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日活映画の素晴らしき世界

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日活映画の魅力をまとめました!
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#日活ダイヤモンドライン

娯楽映画の昭和史〜石原裕次郎と日活アクションの黄金時代

【裕次郎の時代の幕開け】  昭和31(1956)年、経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言した…

『零戦黒雲一家』(1962年・日活・舛田利雄)

敵機数百、零戦一機!やくざ部隊の一六作戦! 日活が総力を結集した破天荒の航空大アクション…

『帰らざる波止場』(1966年・日活・江崎実生)

にぎりしめ、抱きしめたひとつの愛・・・・・ 非情の銃口がひきさく運命のブリッジ! 裕次郎・…

石原裕次郎と日活アクションの黄金時代 1956〜1971 GOLDEN YEARS

佐藤利明(娯楽映画研究家)    戦後ニッポンを象徴するヒーロー石原裕次郎。長身痩躯、精悍…

『霧笛が俺を呼んでいる』(1960年・山崎徳次郎)

 赤木圭一郎は、日活ダイヤモンドラインに参加した昭和35(1960)年2月の『拳銃無頼帖・抜き…

『男の怒りをぶちまけろ』(1960年・松尾昭典)

 トニーこと、赤木圭一郎がスクリーンで演じたキャラクターは「拳銃無頼帖シリーズ」(60年)…

『俺の血が騒ぐ』(1961年・山崎徳次郎)

 トニーこと赤木圭一郎の代表作『霧笛が俺を呼んでいる』を演出した山崎徳次郎監督は、トニーの憂いを帯びた表情が持つロマンチシズムを巧みにスクリーンに引き出し、そのイメージを決定付けた。実生活でも海を愛し、船を愛したトニーの銀幕における「海の男のイメージ」は、山崎監督の功績が大きい。この『俺の血が騒ぐ』が公開されたのは1961年1月、トニーにとっても大きな飛躍の年になる筈だった昭和36年の第一弾映画として封切られた。  シナリオは『錆びた鎖』で、ジェームス・ディーンの『エデンの

『錆びた鎖』(1960年・齋藤武市)

 日活第三の男、赤木圭一郎がスクリーンで本格的に主演として活躍したのがダイヤモンドライン…

『渡り鳥故郷へ帰る』(1962年・牛原陽一)

 小林旭の代名詞ともなった「渡り鳥」は、作品の世界観からすると『ギターを持った渡り鳥』(1…

『渡り鳥北へ帰る』(1962年・斎藤武市)

   小林旭の歌の世界には、「ダンチョネ節」「ズンドコ節」などいわゆる「アキラ節」と呼ば…

『黒い賭博師 ダイスで殺せ』(1965年・江崎実生)

 凄腕のギャンブラー・氷室浩次(小林旭)のさすらいと、華麗なギャンブルテクニック、そして…

『風に逆らう流れ者』(1961年・山崎徳次郎)

 「流れ者シリーズ」第五作!  1961(昭和36)年4月は、なんと「流れ者」「渡り鳥」両シリ…

『やくざの詩』(1960年・日活・舛田利雄)

 日活にはムード・アクションというジャンルがある。石原裕次郎の『赤いハンカチ』(64年)や『…

『広域暴力 流血の縄張』(1969年・日活・長谷部安春)

 ドスを呑込んだダボシャツ姿のアキラが、新宿歌舞伎町を彷徨う。望遠レンズで捉えたキャメラが、ナマナマしく1969年の新宿を行き交う人を映し出す。血まみれのダボシャツ。剃り込みの入った額。全身から発散する気迫。まさか、これが「渡り鳥」で黄色い歓声を浴び、スーパーヒーローとアジアで賞賛されたマイトガイと呼ばれた小林旭だと、誰も思わなかったんじゃないだろうか?  どう見ても本職。もちろん周囲にはスタッフはいない。あえてドキュメンタリータッチで演出に望んだ長谷部とアキラの狙いだから