自己肯定と、自己否定と、自己認識。
最近、「自己肯定感」という言葉をインスタントに耳にする機会が増えてきたなぁと思いました。
テレビで とあるヒット曲が、
「”自己肯定感 爆上げソング"として若者に人気!」
みたいな紹介のされ方をしていました。
正直、「気持ち悪い紹介文だな」と思いました。
僕は「自己肯定感」自体を否定する気はありません。
というか、必須だと思っています。
ただ、「自己肯定感だけでOK!」なんて考えにはなれません。
そのへんが、一般的にはどう考えられているのか気になっています。
「自己肯定」は土台
まず「自己肯定感」ってなんだ、というところですが、
”ありのままの自分を肯定する、好意的に受け止めることができる感覚”
だそうです。
しかし、僕の考えでは、「自己肯定」だけではなく「自己否定」も大切な要素だと思っています。
まず初めに「自己肯定」をして自分の心理的安全を確保するのは、必要なことだと思っています。
精神的に落ち込んでいる人や、幼少期から親に侮辱・育児放棄などをされて育ってきた人たちにとっては本当に大切でしょう。
なので、「自己肯定」はベースとして必須だと思います。
「自己肯定」だけでやっていけないことは、誰でもわかっているはず
ただ、「自己肯定」だけしていても仕方ないですよね。
極端に言えば、「自分は正しい!!」と思っている面倒な人になってしまうわけです。
協調性もクソも無く、自分の思うままに行動する人になってしまいます。
僕は仕事でデザインに関わることも多いのですが、デザインなんかは相手があってなんぼの世界です。
「僕はこれが美しいと思うのでこれにします!」では仕事になりません。
「そのデザインが対象にどんな作用を及ぼすのか」というのを本当に深く考えるべきです。
僕自身のデザインのレベルなんて全然まだまだですが、それでも毎回深く考えます。
デザインなどの仕事は、「自己否定」の連続だと思っています。
「なんだこのデザインは…ひどいな。」
「ダサいから1からやり直しだ」
「結局何を伝えたいの?」
「このデザインで目的が達成できると思ってるの?」
そんな風に自分を追い込みながら進めていきます。
これはデザインに限らず、どんな職種でも必要だと思っています。
「今、会社に対して全然利益出せていないよね。このままだと居る意味が無いのでは?」
「ずっとこのポジションでいるつもりなの?」
「いつまで新入社員の感覚でやってるの?」
「相手の期待に全然応えられていないよね」
こんな風に自分を「否定」して追い込んでいかないと、成長も何もないと思います。
ただし、否定しすぎると精神的にまいってしまう人も居ると思います。
なので、最近は「自己否定をすればいいってもんでもないよな…。」と考えるようになり、
「じゃあどうすれば良いパフォーマンスを得られるのだろう?」
と考え直していました。
「自己認識」がベストか?
最近読んだ本で、「インナーゲーム」というものがあります。
この本には、テニススクールの講師をしている著者が、生徒への指導を通じて「何がベストな指導方法なのか」を模索した経験談が書いてあります。
著者が発見したベストな方法は、
「講師は教えすぎないようにし、生徒自身が自分の体や、道具(ラケット・ボール)に集中すること」
でした。
かなり深くて面白い話が書いてあるので、ぜひ読んでいただきたいです。
テニスの話ですが、その他の競技や、ビジネスにも活かせるはずです。
この本を読んでから、
「なるほど、”自己認識”が人を一番成長させるのかもしれないな。」
と感じました。
実際、僕も「インナーゲーム」に書かれていたことを趣味のBMXの練習に取り入れてみましたが、成長速度が変わったように感じました。
メンタル的なストレスも減りました。
また、1年以上前に読んだ「アイ・アム・ザット 私は在る」という本で学んだことも、「自己認識」の考え方につながりました。
この本は、かなり抽象度が高くて、スピリチュアルに感じてしまうほどの本なのですが、
「世の中には『私は、今、ここに在る。』という事実以外、何も確実に言えるものはない」というニサルガダッタ・マハラジの教えを示しています。
仏教の「空」や「無常」の思想と共通するところがあります。
この本も面白かったのでオススメです。
(かなり難解に感じられる上に、ページ数も多いですが。)
そんなふうに、本から学んだ考え方を「自己肯定と自己否定のバランス」に当てはめて考えていたら、
「”自己認識” で解決するのでは?」
と思ったわけです。
自分を無理に肯定なんかしなくていい。
ポジティブにならなくてもいい。
自分を否定もしなくていい。
ネガティブにならなくていい。
とにかく、
「自分は今何をしていて、どんな状態なのか」
「そのうえで、やりたいこと・するべきことは何か」
これだけ考えていけばいいのでは?と思いました。
余計な感情を入れないという感じですかね。
「自分はこういう人間だ」という思い込み
こういう話をしていくと、
「いやー、自分はネガティブ思考なので、なかなかそうはなれませんね~」
という人が出てきます。
いやいや、それ、あなたの思い込みですから。
と声を大にして言いたい。
まぁ、中には本当に鬱病を患っていたり、遺伝の影響や脳の構造的にそういう思考になりやすい人も、居るには居ると思います。
ただ、思い込みで「自分はネガティブ思考だから変えられない」と言っている人がほとんどだと感じます。
そういう僕も、10代後半から20歳くらいまでは、とんでもなくネガティブ思考でした。
「このままでは まずいなぁ」と思って、自己啓発本を色々と買って読むようになり、それからネガティブを脱却できました。
(今思えば、それが最初に読書をし出したきっかけです。)
ネガティブ思考は、意外と変えられるものです。
本当にネガティブで困っている人は自己啓発本を読んでみるのもいいと思います。
(ちゃんとした資格や実績を持っている人が書いた本が良いです。)
「生活習慣をこういう風に見直す」とか
「ここまで酷い場合はメンタルクリニックを受診してみよう」とか
具体的なアドバイスが書いてある本もあると思います。
「自己肯定感」は流行り言葉なのか?
ここ数年の風潮を見ると、「自己肯定感」が、ただの流行り言葉として使われている気がします。
薄っぺらい使われ方がされているというか…。
心理学の考え方が広く知れ渡ること自体はプラスだと思うのですが、
「自己肯定最強~!」みたいな浅はかな考え方が蔓延しているような気もして残念です。
さらに、これだけSNSが普及している現代だと「自分を他者と比べること」も容易になっているので、
「あの人は自己肯定感が強くていいな~!」
「自分はどうしてああなれないんだろう」
なんて考える若い子も多そうです。
他者を羨ましがっている時点で「自己肯定感」からは遠ざかってしまうという、本末転倒な状態ですね。
余計な比較なんてせず、幸せに過ごしてほしいなと思います。
SNSを一旦やめてしまうのも、とても良いと思います。
僕自身、「数か月Twitterを見ない」とか、「スマホの機能でSNSの使用時間を制限する」というのをやったことがありますが、
そのほうが1日が充実するようになりました。
今も色々と工夫をしながらSNSを利用するようにしています。
まとめ
とにかく、心の土台としての「自己肯定感」は必要だと思いますが、
最低限自分を肯定することができたのなら、そこから先は「自己認識」に徹するのが良いのではないかと思います。
あくまで個人の意見ですけどね。
「自己否定の連続」が性に合う気質の人も居るでしょうし。
僕自身は、「自分は今どんな状態か・何をするべきか」を考えていく「自己認識」を徹底していこうと思っています。
それでは。
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