トールシェアリング
0円でなんでもやったらどんな経済になるだろうか?という問いを持ち始めて8年。それから佐渡ヶ島に通い始めて8年。住所を移して3年の嘉向徹。海沿いにある6軒のお家を開放する「佐渡ヶ島をシェアヶ島に」構想を実現するべく日々のんびりしている僕の、さどのこと。
○日後に結婚予定の 千明と徹のお手紙交換日記💌 往復書簡
初めまして。新潟生まれの30歳、嘉向徹と言います。かむき と読むのですが沖縄にルーツはありません。全くないのですが僕自身めっちゃ沖縄顔かつ色黒かつ半袖短パンかつ時間には大変ルーズであります。お母さんの実家が佐渡ヶ島というご縁あって島に住んでいます。 このマガジンでは佐渡を舞台に繰り広げている「0円で自分自身を共有する活動」のことをメインにその他諸々を書き記し、物事を忘れがちな自分のためにまとめています。どうぞよろしゅう!🐳🐳🐳 ーーーーーーーーー 始まりは2014年夏の
佐渡ヶ島に着いて早速あの浜辺を覗いた。昨年の滞在時間は30分。心惜しい気持ちで島を出ざるを得なかった隠れ家的スポット。砂浜と海の青がいい感じにマッチしてやっぱり素晴らしい海岸だ。その海水浴場とポツンと建つ海の家の運営を知人のMさんが任されている。一つ前の夏から始まって今年で2年目となる。 海の家といっても料理の注文やBBQなどはできない。Mさんに話を聞くと、市営のため有料で飲食の販売はできないということらしい。簡単にいうとセルフ海の家。市民が自由に使える海の家ということだっ
約一年寝かせた手紙を読み返し、書く。 彼がSNS上から姿を消して、約三ヶ月が経った。すっと身を引いた様は、ネットでの姿形など、もともとないようなものだと思わせる。夏が現れるのと同時に春が消えゆくように、それはとても自然な流れであった。 前のやりとりから1年の時が経ち、私は北斗の拳ではなく、花の慶次〜雲の彼方に〜を読んでいる。命のやりとり、それは寸分の違いで生き死にが決まること。生きるだけが人生じゃないさ、と戦国の世を描いた漫画である。 保科さんがサムライっぽいのをいいこ
この往復書簡は、7年間いつも一緒にいなかった二人の、一緒にいなかった間に起こった出来事を交えながらいつも一緒にいなかった日々を振り返り、一体いつになったら一緒にいるのだろうと首を傾げながらも、結婚すると決めたその日(2021/11/15)までに起こるであろう様々な話し合いや精神的綱引きなどのあれこれを赤裸々に明かす、そう、子々孫々への秘伝の書です。 千明の記事への返事です。 帰国してから2週間の待機期間、お疲れ様でした。 1年と数ヶ月ぶりに会うちあきは見違えたようにシャ
京都から東京へ。そして東京から京都へ向かう道中からー。 久しぶりに東京へ行くと、何も変わらない街がそこにはあった。梅雨時期の都会というのは、いつの日もあまりよろしくない、と感じつつ車を走らせるとそこかしこで工事をしていることに気づいた。 オリンピックだ。綺麗な建物が地面から突然ニョキっと生えたように建っている。整えられた街並みが自分にとっては気持ちの良いものではなかったけれど、開発とはおっちゃんたちの夢なのだろう。きっと今頃は思い切り疲れ切って布団で寝てるに違いない。そん
この往復書簡は、7年間いつも一緒にいなかった二人の、一緒にいなかった間に起こった出来事を交えながらいつも一緒にいなかった日々を振り返り、一体いつになったら一緒にいるのだろうと首を傾げながらも、結婚すると決めたその日(2021/11/15)までに起こるであろう様々な話し合いや精神的綱引きなどのあれこれを赤裸々に明かす、そう、子々孫々への秘伝の書です。 下のちあきの記事への返信ではありません。 ちあきがバリでの滞在を伸ばすことは、 これまでに何度かあった。 その気でいればい
この往復書簡は、7年間いつも一緒にいなかった二人の、一緒にいなかった間に起こった出来事を交えながらいつも一緒にいなかった日々を振り返り、一体いつになったら一緒にいるのだろうと首を傾げながらも、結婚すると決めたその日(2021/11/15)までに起こるであろう様々な話し合いや精神的綱引きなどのあれこれを赤裸々に明かす、そう、子々孫々への秘伝の書です。 千明の記事へのお返事です。 やあやあ。千明が帰国したら一緒に行きたい場所リストをせっせとこしらえている俺です。グーグルマップ
この記事は、7年間いつも一緒にいなかった二人の、一緒にいなかった間に起こった出来事を交えながらいつも一緒にいなかった日々を振り返り、一体いつになったら一緒にいるのだろうと首を傾げながらも、結婚すると決めたその日(2021/11/15)までに起こるであろう様々な話し合いや精神的綱引きなどのあれこれを赤裸々に明かす、そう、子々孫々への秘伝の書です。 下のちあきの記事へのお返事です。 ハローちあきんぐ。と、こんな風に、ちあきの「き」に繋げて、ちあきんぐと呼ぶことがあります。これ
行くあてもなく車を走らせ、なんでもないような駐車場の隅で眠った。 今お手伝いしている『株式会社エル・シャン』では、新しい事業を考案中だ。主に考えているのは社長であるムラキテルミさんだけれど、端っこだけ自分も参加させてもらった。 そこで、通っても通らなくてもどちらにせよ事業は始めるけれどという前置きで、補助金申請をすることになり、絶賛おべんきょう中の俺。 いかにも固そうな字面の書類を読みふけっていると、ムラキさんがポンと机に何かを置いた。 「徹くん、これ、忘れないように
この記事は、7年間いつも一緒にいなかった二人の、一緒にいなかった間に起こった出来事を交えながらいつも一緒にいなかった日々を振り返り、一体いつになったら一緒にいるのだろうと首を傾げながらも、結婚すると決めたその日(2021/11/15)までに起こるであろう様々な話し合いや精神的綱引きなどのあれこれを赤裸々に明かす、そう、子々孫々への秘伝の書です。 下のちあきの記事へのお返事です。 158日後に結婚する二人の、往復書簡 グッモーニンちあき。朝、海に足をつけたら思いの外冷たくな
台湾から帰国する飛行機に乗る直前✈️ 最後の最後までネタづくりに励んだ。 ネットで拾った画像。もう何年も削除せずに取ってある。このブルーは色褪せねぇ。 台湾にある日本語教室に営業をかまし、その日に教壇にあがらせてもらった。華々しい台湾デビュー。 あのときおれは (比較的全身が) 青かった。 ゆうたろう ひでお とおる こうすけ 実家のコタツにて。 人類なんだよ。 おれたちー。 桜舞う空が大好きだ。 散っていくことも含めて。 死ぬときはこういう地面で死にた
アンインストールしたUber eatsを再インストールしている俺がいた。 深夜のテンションとも、ケアレスミスとも言い切れない、はてさてどうしたものか。ということを、満腹中枢が刺激された状態で考えても仕方がなかったと今は思う。 そして寝落ち、120%の後悔と共に起床した。 それにしても (前夜食べ過ぎていないときであれば) 朝は本当に気持ちいい。 前回の投稿のショートムービーに手を加えたくなりもういちどこのカフェへ足を運んだ。 俗世では、これを 「逃避行」と言う。
朝起きてニンジンをかじった。 京都での"お金ありまくり"生活によりほとんど外食に出ていたけれど、今一度自炊せん! と思い立ったのはこれで何度目だろう。 まるで数えきれない。 京都でお仕事をしている会社のホームページのリニューアルが目前な今、お出かけしている場合ではないのに、また琵琶湖に来てしまった。 湖のほとりにウッド調のターザンライクなカフェがあり、とても落ち着く。閉店時間が「夕日が沈むまで」なのもまた、実家のカフェを思い出す。 夕陽が沈むまで。 この言葉だけで
12月27日,2019年,鎌倉−。 一本の電話とその後のたった一通のやりとりで、京都行きが決定した−。 あれから1年−。 12月26日,2020年,神戸−。 年末年始はどこもかしこも混雑するので『年末年始』っぽく過ごさないのが好みの俺。というのもあるし、王様の権威を示すために日にちを引っ越したりなんだりして各月の数字がバラバラになったグレゴリオ暦になんの未練も期待もないので、ふつーに過ごすというのが、私の例年の習わしである。 今年はというと、今ままでの『年』とは全
[カミオシュウイチ] 白と黒の間広がるグレー なんでもいいじゃん 好きなモードでプレイ イージーノーマル イージーノーマル ハード 俺はドカンと逝きたいベリーハード スタートきらなきゃ 裏を切らなきゃ 佐渡に行かなきゃ 大都会感じれないだから 「差差差差差!!!」 冬に温泉行く前に寄ってく滝壺 hook 「とりあえず」 「とりあえず」 「とりあえず」 いつも出だしが 「とりあえず」 「検討します」 「検討します」 「検討します」 ご健闘祈ります 「盛り上げます」 「
京都で働いている。6年か、7年になるか、とても久しい。今年の3月。春とともに本州を北上し、京都に辿り着いた。 あれから数ヶ月が経ち、周りの景色も、あちこちにあるレストランの看板も目に入ってこなくなるくらい、ここでの生活に慣れてしまった。けれど、それに慣れている自分に、未だ慣れない。 野良として生き、遊びといえば『泥団子をこねる』程度だった半裸ボーイが今や週末というだけでビジネスホテルに泊まる生き物になったのだ。 記憶は、なくなったりなくならなかったり、してる。昨日のこと