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「デジタルPR」と「デジタル(の媒体)を使ったPR」はちょっと違うのでは、という話

「デジタルPR」とか「デジタルを使ってPRをしたい」という話を聞くことが多くて、どんなもんかなーと思っていた矢先。

このことでコラムを書くきっかけがタイミングよく出てきました。SNSの広告で流れてきたこれのことなんですが。

少なくとも、講座概要を読む限り、これは本質的なデジタルPRではなく「デジタルの媒体を含めたPR」でないかなと思う次第です。PESOモデルはデジタル以前からあった考え方なのでそれを今、改めてデジタルにも適用、と言ってる時点で伝達する媒体のデジタル化でしかないような。

PRパーソンが本来アプローチすべき情報の受け手側であるオーディエンスの情報取得行動が、デジタルないしはインターネットでどう変わったのか? この視点と考察が本来のデジタルPRに必要なのではないかと。

・オーディエンスは自ら積極的に情報を取得し、自ら判断を下すようになった(主として検索。セルフラーニングカスタマー/ユーザー)

・旧来情報の受け手であったオーディエンスが情報の発信者になった(Facebook、Twitter、Instagram、YouTubeなどなどSNS全般&ブログなど。いわゆるUGC)。そしてそれは等比級数的に爆発的に増える

・オーディエンスはプロの作ったコンテンツのみならず、上記オーディエンスが作ったコンテンツ(UGC)も参照にする(YouTubeコンテンツ、ブログやnoteがいい例)。クルマや時計、食のようなプロによるメディアのインプレッション・批評が成立しているものに関しては、プロのコンテンツは“答え合わせ”の側面や“リレーションシップ・マーケティング”のために読まれているという側面もあると思う(だって自分が買ったモノが正しかったと誰でも思いたいじゃない)

結果、Public Relationsにおける“意味”は、事業会社ないしはブランド(いわゆるPR側)とオーディエンスそれぞれ一人一人との関係性にのみ存在するのではないかと。“ブランド”がそれぞれの個人のココロの中にしかないように(例えばモノグラムで有名なブランドの製品は「お金持ってそうに見えていい」と思う人もいれば「これ見よがしで恥ずかしい」と思う人もいるわけで。一方で家族の遺品だったりしたら、その人の思い出として大切なブランド、にもなるでしょう。いずれもブランドイメージなわけです)。

これは本来のPublic Relationの定義であるあらゆるステイクホルダーとの良好な関係性の構築、とも軌を一にします。UCGを観察することは広報に対する広聴の意味合いもありますし。これこそが本来のデジタルトランスフォーメーションです。情報流通と取得の“デジタル化”における変化とPRとして成すべき対応とは何か?

その視座がこれでは組み込まれていないんじゃないかなー。

そんな考えで以前実践したのがこちらなわけです。

……とこんなことを含めた内容の本出したいんですけどねぇ。今のうちに。

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