国語科定期考査が抱える一つの問題点
翻訳に携わった本を紹介するなかで、現状の定期考査の問題点に触れたのが次の記事であった。
上の記事に加筆する形になるが、日本の高校国語教員の立場からも、定期考査の問題点は指摘されている。たとえば田中洋美は定期考査の弊害を次のように述べている。
「おさらい」を避けるためにはどうするか。田中が提案するのが、定期考査で出題する文章を、当該期間中に学習した教科書教材「以外」のテクストにしようということである。そうすることで、教科書教材の内容面の定着ではなく、教科書教材を通して学んだ読む力の定着と応用を図ろうというわけだ。やや単純化した言い方になるが、定期考査を模擬試験のような出題形式に改めようというわけである。
そのことによるデメリットがないわけではないが、現在の国語科定期考査の課題を乗り越える一提案であることは確かである。すでに実際にそのような出題をしている事例もあると思われる。到達状況を評価したい読む力(言語能力)の面で、教科書教材での学習と連続性のあるテクストを発掘することは難しいと想定されるが、生徒たちの、テストや授業への意識は変わることになるだろう。
そして教員の意識もいっそう変わることになるはずだ。評論や小説の中身を教えることが重要なのではなく、読むプロセスのなかでテクストと生徒たちのあいだにどういう現象が起こるのか。そして、その力を生徒たちに別のテクストで応用できるようなかたちで実感させ、評価するにはどうしたらいいか。「前はそのように読めなかったが、今回の授業を通して、そのように読むことを知って、別の文章でも試すことができそうだ」。そのような感触を味わわせることをめざして、学習指導の方法を模索することになるだろう。いや、なってほしい。これがおそらく深い学びだ。
中学校・高等学校の国語科授業の方法を変化させることは実践現場の立場では簡単なことではないけれども、常に、実施はできなかったとしても、いまここに別様の授業形態がありうることを想像したい。そして、もう一つの形で実践できる方法論を頭の中に思い描いていたい。オルタナティブに開かれた思考でいたい。
定期考査のあと剥がれ落ちる(少なくともそのように担当教員に感じられてしまう)ことが懸念される現状は、やはり深い学びが起こるかたちに国語教室が営まれているとはいえないのではないか。少なくとも私はそう思う。