私の初めての研究授業
教員生活1年目。4年生の社会で消防署のことを研究授業で扱った。
その時の授業展開は…。
授業の導入で、消防車の写真を見せ、知っていることやイメージを子どもに言わせる。展開で、消防署で働いている人たちの様子を動画で見せる。そして、どうして早く出動できるのか、個人で考え、その後グループで考える。最後に、消防署で働く人たちの努力を知り、まとめる。
といったよくある授業の流れだったと記憶している。
さて、どうなったか・・・。
導入。緊張していたが、子どもは消防車の写真に食いついてたくさん発言してくれた。ほっと一安心。その後、消防署の動画を見せようとした・・・が、あれ?動かない!?
そう、パソコンが思ったように動いてくれず、動画が全く流れなかったのだ。そこから約30分間、(授業中にもかかわらず)パソコンと格闘し、見かねた当時の校長先生が、子どもたちに「教科書を読んでごらん。どんなことが書いてあるかな。」と指示を出してくださる。そして、意図した動画は準備できなかったが、それに近い動画が見つかり、子どもたちに見せた。「気づいたことを書いてごらん。」と言って書かせ、終わりのチャイムが鳴った。
その後の研究協議会。授業の検討以前に、授業になっていなかったという残念さ。先生方のお時間を使って授業を見に来てくださり、研究協議会を開いてくださる申し訳なさ。あの研究授業は一生忘れることがないだろう。
細かい問題は山ほどあるのだが、あえて2つのポイントに絞って振り返る。
1.完全な準備不足
私は当日までに、使う予定の動画が教室で流せるか確認をしていなかった。実はその動画は、職員室のパソコンでは見られるが、教室では見られないものだったのだ。そのことも知らず、授業に臨んだ私。模擬授業を行って、一度でもシミュレーションをすれば、この事態は防げた。そして当日は、授業前の休み時間にパソコンを用意し、いつでも動くように準備しておくべきだった。コロナ禍の経て、ICTを用いた教育が声高に叫ばれる中、私がパソコンやタブレットを使った授業を好まない理由はこのトラウマがきっかけである。
2.うまくいかなかった時の方向転換
パソコンが動かなかったことは仕方がない。駄目なら切り替えて、次の指示を与え、子どもの学習を保障したい。だが、当時の私にはそれができなかった。「映像がないと何もできない」と思い込んでしまったのだ。パソコンをただひたすら操作し、子どもたちには「ちょっと待ってて」と指示するだけだった。見かねた校長先生が指示を出してくださり、学習が進み始めた。でもこれではいけない。日々の授業でも、「自分の予期していたトラブルが起きた」と思ったら、さっさと見切りをつけて教科書の学習に戻るべきだ。もとはといえば、どの先生だってICTを使わず授業していた。「チョーク一本、口ひとつで勝負だ」という言葉を教えていただいたことがある。映像や写真などに頼らず自分の口と板書だけで授業を成り立たせる力を身に付けるべきだ、ということだ。この力がついて初めて、本当の意味でICTを用いた授業が成り立つのだと思う。
今でこそ、タブレットが全国的に普及し、ICTを用いた授業が一般的になった。ICTありきで授業内容を考えがちだが、それがなかったらどう授業を展開するかという視点は常にもっていたいものだ。
このブログでは、現役教員としてたくさんの失敗を積み重ねてきた私が、当時の失敗を今ならばどうするかという視点をもち、書いています。教師として働いている皆様に向けたヒントとなることがあれば幸いです。
また、時には教育の世界に向けた私自身の思いを語る場になることもあるでしょう。
興味があれば、フォローや感想がいただけたら、励みになります。学校教育を皆様とともに素晴らしいものにしていきましょう!