「金ロー」とは「壊れかけたテレビの象徴」である。
「水曜ロードショー」から「水曜どうでしょう」の
タイトルが取られたのも今や遠い昔。
映画枠が金曜に移り(1985年)、水野晴郎の解説も無くなり
(1997年)、同時に「フライデーナイト・ファンタジー」の
トランペット演奏も消滅。2012年に名称変更で「金曜ロード
SHOW!」に変更され、最近(2021年)「金曜ロードショー」に
戻ったなんて知られる由もなく。
今や「水曜どうでしょう」のパチモン以下であるばかりか、
更に劣化を重ねた日テレにおける「壊れかけたテレビの
象徴」になっているのが金ローこと「金曜ロードSHOW!」
(最近戻った「金曜ロードショー」)なのではないかと。
基本的に「金ロー」は映画に対する愛情が根本的に足りない。
最たるモノは「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
の「なせば成る」のシークエンスを削るセンスのなさ。
尺の奴隷になりすぎて、内容を全く勘案していない
(上にドク役青野武のクレジットミスだったのは致命傷)
なのがいかにもだったのですが。
に加えて、映画に対する見識も足りないから、上滑りが
ともかくヒドい。
上記の「なせば成る」案件でいえば、上杉鷹山の挿話を
ジョン・F・ケネディが紹介していた有名な話をベースに
「日米の友好的な状況」(この縁と富士通さんが出てくる
流れで、富士通のビギナー向けパソコンに「マーティ」
(MARTY)と付けた、ってところまで)がいわゆる
日米の呉越同舟な部分なんですが、そこを無視してオンエア
するのは決断権が日本人にないのか、只の「尺の奴隷」に
なってて内容が読めてない「見識の無さ」をひけらかして
いるだけの人であり、テレビ局だふふん、ってことのどちら
かなんですけどねえ。
まあ決断権が日本人にないのかな、と思わせるような点も
多いですし、それこそ最近のラインナップでここに近藤喜文
監督の「耳をすませば」が来るあたりは、高橋一生のカブリ
(裏のTBSドラマとのバッティング)を今更避けた、
なんて話も伝わっていますし。
政治的な空手形の没発想だけでいろいろ動かされている
「金ロー」が「壊れかけたテレビの象徴」と化しているのは、
ある程度このくらいの説明であれば御理解して頂けるのでは
ないかと。
まあ似たような案件でBeyond the Timeをオールカットした
日テレに対して本家のメーテレがバッチリオンエアかました話は、
ある意味「どちらが日本人としての対応なのか」を局自体が
試されていることすら理解出来てない、流石は「ピートルス」
の局ならではよな、とは思うのですが。