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「イチオシ」の「十二軒」特集があまりにも浅いので、もう少し深く掘ってみる。

珍しく三度寝でもしてみようかと、丹前出してきて
ぬくぬくだったが、小一時間ほどしか寝られず。
 といふことで、録画してた「イチオシ」の四時台分を
チェックしてみる。

 みんなのランキングは澄川だったが、「ろまん亭」
以外は最早知らない町だな。意外とスルーされている
あたりなのはある程度納得(こちらに通う理由がない
となかなか行くことのない、通り道になりにくい地域
なので。因みに少しだけ配置換えで澄川図書館に勤めて
いた経験あり)。まあその「ろまん亭」でケーキを買う
ほどブルジョアな図書館勤めでもなかったし。

 で、件の「十二軒」特集。
 「調査完了」と銘打つ割には、至らない部分が多すぎる。
 なので、もう少し掘り返しておこうと。
(ま、道立図書館が町村行政で江別市の文教台に移転した
のに伴って文書館出してきたのはいいけど、典拠が結局
さっぽろ文庫の「札幌地名考」だったのなら、別に中央
図書館でも、HTBの近くにある札幌の図書館貸し出し
センターから借りてくるだけでも良かったはず)

 「二十四軒」「八軒」そして地名としては今は無い
「十二軒」に関しては東本願寺が関わっているのを出すのは
先決。

そしてもう一つこれらの「強制疎開」は全て「旧琴似村」
への「強制疎開」であったことが重要なポイント。

 ついでですが、これとは別に神社などに名を残す「十軒
(じっけん)」といふ地名がかつて札幌にありましたが、
それはここでは関係ない、別の云われがある、と。



経緯としてはこれがまだネットにあるかによるけれど。

あった。

札幌原人著
  札幌古地名考目次    
         支部だより「街」連載(1976.12~1995.5)

その15  十二軒の巻

http://members4.tsukaeru.net/hks-sapporo/mati/sono15.htm

こちらは牛鍋蝸牛さんが至った方の解釈。

70 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/08/10(日) 19:35:48
ID:WXRcMx9g [ N044102.ppp.dion.ne.jp ]

当時「東本願寺」が本道開削にいかに関わることになった
かは、思い出していただけると思います。
では、「十二軒」はどう「東本願寺」と関わるのか、と言い
ますと、これも以前にやりました「御用火事と八軒、十二軒、
二十四軒」を思い出していただきたい。

忘れた?
だよね、ワシも今回おさらいです。
お付き合い願いたい。
どうせ、ヒマでしょ?

「八軒、二十四軒という地名は入植した農家の軒数である」
ことは、今でも学校で教えているのでしょうか。
ワシは小学校で習いましたが、その時、ションベン臭い鼻たれ
小僧に浮かんだ疑問は、「八軒、二十四軒の人達は一体、
どこから来たのじゃ?」ということ。
先生には聞きませなんだ。
「到底、答えられないだろ」という、子ども心の親心じゃった。

実は、当初「御用火事」を取上げた時、この事件が地名に
直接関係するとは思っていなかったのです。
でも調べているうちに「本願寺移民」(本願寺百姓)といわれた
人たちが現在の「東本願寺札幌別院」周辺にいて、岩村判官の
「御用火事」で焼け出され、現在の「八軒」、「十二軒」、
「二十四軒」に移転した、という説と出会いました。
この説は長いこと、疑うことのない事実とされていたわけです。
実際に「札幌地名考」でもこの説が「二十四軒」の項で取上げ
られています。

「なるほど~。そうだたのかぁ…」と積年の思いが溶解した
と収束に向け調べを進めて行きますと、実は各々の「○軒」
に入植したのは「本願寺移民」ではなく、「辛未一の村」と
呼ばれた村の農民であったという説が浮上して参りました。
しかも、「御用火事」があったのは「辛未一の村」の良民
五十戸が「○軒」に移転した翌年であることも…。
つまり、「○軒」に入植したのは「本願寺移民(百姓)」が
「御用火事」で焼け出されたから…、というのは二重の間違い
であったと言うことだったのです。

「辛未一の村」は、それ以前の入植農民が補助に慣れてしまい
自助努力を行わなかったため、開拓使が戸数限定で道外や
札幌より"良民"を募った、いわばエリート集団でした。
それが東本願寺周辺に入植したものの、「琴似村」の開墾が
優先され、すぐにそちらへ移されたのです。
五十戸は現在の「八軒」、「宮の森」(十二軒)、「二十四軒」
へと移転しました。
え?「六軒」足りない?
あ、その六軒は円山村へ入植したそうです。
合計五十戸ですね。
合ってますね?
その翌年、東本願寺周辺の草葺きの空小屋(無断で住み着く
ものもあったよう)に岩村判官が「御用火事」として火を
つけて回ったわけで、この辺りの事実が長年ごっちゃに
なっていたわけです。

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十】

もう一つ現地調査で電柱や橋の名前に着目しているのに、
「十二軒川」の追跡を全くしていないところが浅い。
一応かつてはバス停の痕跡もあったとされていますが、
地名としての「十二軒」の他に「十二軒川」と「十二軒通」
があったことはある程度知られています。

「十二軒川」に関しては例のプレート(宮の森12軒~)が
あったところを流れている川の名前にゼロ年代あたりまでは
「十二軒川」の表示があったと思うのだけど、その後に通った
時にはその表示も無くなってた、ってのはあったかなと。

 その要因に関しては「十二軒川」の上流にあった札幌市
水道局の建物とその関連が多分あるんだろうけどね。
(今は北海道森林管理局になっているあたりか)

その沿いを流れている琴似川がかつて十二軒川と呼ばれてたと。
「十二軒通」はかつて宮の森2条と3条の間の通りを指して
いた、って記述があるのかな。

206 名前: なまら名無し 投稿日:2002/07/19(金)
かなり遅レスですが、
町名としては現存していない「十二軒」については、
「十二軒通り」という通り名として現存しています。
場所は、中央区宮の森2条(3条)11丁目~1丁目に伸びる
道路です。
ランドマークでいうと、北一条通りの、セブンイレブンと
KFCと暖中のある交差点と交わる通りです。

【知名度】スレも立たないマイナーな地名in札幌【ゼロ】

暖中は栃木の飲食店に吸収されて、「あんかけ焼きそば」
だけ引き継いだ中華の「暖龍」になったところ、でしたっけ。
宮の森二条11丁目の交差点の辺りか。

252 名前: k 投稿日: 2003/07/23(水) 10:47:09
ID:pE8a7qfM [ customer77-4.mni.ne.jp ]
さて、円山に関連する地名としてまず宮ヶ丘、この地名は
比較的新しいのではないでしょうか。少なくとも北一条通り
の北側はかつては北1条西29,30丁目などと呼ばれていた
ように思います。いつ頃このように呼ばれるようになったか。
ご教示いただきたいと存じます。

次に、宮の森、今日「宮の森〇条〇丁目」となっている地域
は、以前の「宮の森」よりも広くなっているように思われます。

これは以前琴似町十二軒であった地域が含まれているため
ではないかと考えられます。現在西高のあるあたりなどは、
明らかに琴似ですよね。とすると現在宮の森地区は全部中央区
となっていますが、十二軒は旧琴似町であり、現在の中央区と
西区の境界線は、昭和30年以前の札幌市と旧琴似町の境界線
よりも西へ進んでいることになります。
このあたりについてご教示いただければと存じます。

253 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/07/23(水) 11:25:38
ID:lJVJ9Xjg [ N047237.ppp.dion.ne.jp ]
>>252
いっや~、待ってました!
「宮ヶ丘」から「宮の森」、「琴似村十二軒」!
これなんですよね、実はワシが今回、やりたかったのは。
kさんナイスです。

実は「宮ヶ丘」という地名は案外古くて、大正時代あたり
からあるのです…。

255 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/07/23(水) 21:10:43
ID:lJVJ9Xjg [ N047237.ppp.dion.ne.jp ]
「宮ヶ丘」。
かねてより賛否渦巻く「さっぽろ文庫1 札幌地名考」には、
「北海道神宮を中心とした一帯が小丘であるところから、
この名が生まれた。昭和十六年(1941)七月である」とあります。
普段、かなりお世話になっています同書ですが、これは
ちょっと違うんだよなぁ。

「さっぽろの昔話 大正編上」(みやま書房 昭和53年)なの
ですが、なんども書くので恐縮しながらシツコク書いちゃいますね。
この本は昭和2年8月12日から同年10月28日にかけて「郊外
繁盛記」として当時の「北海タイムス」紙(現・北海道新聞)
に連載されたものです。
(注・数年前に潰れた"北海タイムス"は全くの別会社です)

「郊外繁盛記」はいくつかの札幌関係の書籍には、それなりの
扱いで引用されています。本と言うのは実際に出版された時期と、
書かれた内容にいくらかのタイムラグあっても不思議ではありません。
しかしながら、新聞はその点に関しては、誤差は少ないと思います。

ま、長々と書きましたが、「宮ヶ丘」の名はその「さっぽろの昔話」
(郊外繁盛記)にすでに出ていますので、昭和16年というのは
住所表示として採用された年かもしれません。
これは今後の調査が必要ですね。
今日のものになるかはわかりませんが、その「さっぽろの昔話
大正編上」の「宮ヶ丘」の記述はこの後、書きます。
面白いことに「円山」の項じゃなく、「琴似」で出てくるんですよ。
ここもkさんの着眼点と一致しますね。

271 名前: k 投稿日: 2003/07/26(土) 09:02:17
ID:XLCFZiTk [ customer75-24.mni.ne.jp ]
>>255 牛鍋蝸牛様
「宮ヶ丘」の件 昭和16年7月というのは、旧円山村が札幌市と
合併したときです。つまり、このとき「宮ヶ丘」が札幌市の
住所表示に入った時点ではないかと思われます。

「十二軒」という地名、現在は住所表示からは消えてしまって
いますが、現在山の手〇条〇丁目となっている地域も含まれて
いたようです。このことは西区のHPにも記載されています。

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その九】

で、この表示は今のあるのかどうか。西区の歴史のページで
該当する記述は見られませんでした。

295 名前: k 投稿日: 2003/07/29(火) 17:14:22
ID:dFod4t9E [ customer71-242.mni.ne.jp ]
「十二軒」関連で山の上のほうは従来から「宮の森」と呼ばれて
いたように思います。従って、従来の「宮の森」と「十二軒」の
大部分が現在の「宮の森〇条〇丁目」となり、中央区に入ったもの
と考えてよさそうですね。そして「十二軒」の西よりの一部が
西区山の手となった。ということですか。

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その九】

スレは更に考察が進んで。

9 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/07/30(水) 10:29:14
ID:lI.7Aaa2 [ N044072.ppp.dion.ne.jp ]
現在の地図を見ていたら気が付いたことが…。
「宮ヶ丘1~3丁目」及び「条丁目」と「宮の森」の境界線って
道々西野白石線(山の手通)から北は道路に沿って引かれて
いるのに、それより南(円山方面)は区画の中を無理やり通って
いますね。

「北3条西30丁目5番地」なんか、んもう、これでもか!
って感じで、一軒の建物を回りこむように引かれている(W
これが札幌市と「琴似村」の旧境界線の名残りなのですね。
なんか、妙に生臭い感じがしますね~。

33 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/08/02(土) 22:52:42
ID:yW/azWsI [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]

そう、結論から言いますと「琴似川」は「十二軒川」と昔
呼ばれたようです。
「さっぽろ文庫1 札幌地名考」の「琴似川」には、
「旧称はアイヌ語の「ケネ・ウシ・ぺッ」(ハンノキの多い川)
であったが、十二軒沢を流れることから十二軒川と呼ばれた
こともあった」
とちゃんと書いてあるがな。
なら「宮の森」でもそのように書けば良さそうなものを、
書いていないのは不親切。
ま、実際にはこの二つ著者が違うんだろうな、とは想像が
つきますけど。

いずれにせよ、なぜか「十二軒」という地名は、土地からも、
川の名前からも徹底的に消されてしまった地名のようです。

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十】

「琴似川」の記述はp196に記載されており、その後段には
こうも書かれている。

コトニはアイヌ語の「コッ・ネイ」(低く窪んだところ)で、
明治初期の低地帯を指したものであるが、琴似村開村を機に
コトニの名が西方に移り、のちに川の名ともなった。

「さっぽろ文庫1 札幌地名考」p196

37 名前: 18丁目@本村 投稿日: 2003/08/03(日) 10:46:47
ID:pKrxIZSA [ p7254-adsao01sappo2-acca.hokkaido.ocn.ne.jp ]
十二軒について
初めて札幌で取れた米を、ちゃんと炊いて江戸城の将軍の
前に差し出したのが、この十二軒で水田を作った早山清太郎
だそうです。
3年に渡る水田事業は、安政五年に幕をおろし、安政六年に
篠路開墾に切り替わったようです。
早山清太郎は「ケネウシベツ川」(コトニ川の支流)の水を
使って札幌最初の米を作ったと伝えられているようです。

どうもこの早山清太郎さんというお方は、いろんなところで
出てくるんですよね。

大友亀太郎の御手作場~札幌村というコミュニティーの成立に
ついては、ある一定の評価がなされていますが、安政以来の
在住制がらみと、この早山さんのご活躍は意外と縁の下の力
持ち的な印象になっている気がします。
琴似、円山と明確なコミュニティーが成立して、そこにはさ
まれた形となった十二軒地名の場所が、やがて宮の森と変更
され、消えざるを得なかった地名だったのでしょうね。

38 名前: k 投稿日: 2003/08/03(日) 16:45:58
ID:aC8poJFY [ customer71-242.mni.ne.jp ]
>>33 牛鍋蝸牛様
十二軒川について、
さきに札幌温泉電気軌道についての濱田氏の報告を紹介しま
したが、ここで使用されていた地図(昭和10年修正版)には、
琴似川上流に十二軒沢の注記があります。

琴似川の本流は宮の森シャンツェのあたりから荒井山の麓を
めぐって流れ下っていますが、この川の十二軒川(沢)と呼ば
れていたのかも知れませんね。

43 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/08/04(月) 11:43:06
ID:IcMIQfCA [ N044033.ppp.dion.ne.jp ]
さて、広い「円山」の中で今回は「十二軒」(宮の森)、
「宮ヶ丘」をやっておるわけですが、ちょいと一息ついた
とところで、「そろそろ、この土地の"キーマン"が欲しい
なぁ~」と思っておった昨日、18丁目さんが良いヒントを
くれました。

「早山清太郎」(そうやませいたろう)。
たしかにあちこちに顔を出す人でして、そしてなにより、
「札幌神社」(現・北海道神宮)の場所を実質的に決めた人
なんですってね~。
「島判官に現在所在地宮ヶ丘474番地の円山を宮地に最適だと
推薦した」とあります。

へぇ~。へぇ~。へぇ~。

45 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/08/04(月) 21:40:24
ID:gDH/Yoh2 [ U121193.ppp.dion.ne.jp ]

「島判官に現在所在地宮ヶ丘474番地の円山を宮地に最適だと
推薦した」。
この記述は微妙に、びみょ~なんです。
>>43では「ちょと事実と違う」と書きましたが、ま、いや、
間違いではないんですよ、でもね…。

でも、この記述、はしょった感がありまして、これだと島が
「札幌神社」を「円山」(宮ヶ丘)に建てたように解釈
しちゃいますが、実際に「宮ヶ丘」に「札幌神社」を奉った
のは、島判官ではなく、次の岩村判官でありました。
(明治4年9月14日)
確かに島に、「開拓三神の社地は円山に…」と推薦したのは、
早山清太郎氏だったのですけど、当初はその早山清太郎自身が
「北6条東1丁目」これらの神さまを小祠に奉っていたそう
でして、明治4年の円山遷座は岩村の手で行われたと、こう
いうことらしいのです。
ちょっとややこしいけど、よろしいでしょうか?

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十】

まあ十二軒の地名は琴似村時代に変更された時だけど、
その時(昭和18年)はまだ琴似町宮ノ森。琴似町が札幌市と
合併するのは昭和30(1955)年。札幌市の政令指定都市移行と
共に琴似町の冠が外されて中央区にここだけ編入される形と
なって初めて「中央区宮の森」にはなったと。

 「さっぽろ文庫1 札幌地名考」の「宮の森」の項目はp46に
ありますが、ここは牛鍋蝸牛さんの解釈で。

88 名前: k 投稿日: 2003/08/15(金) 17:33:32
ID:iknvK.2A [ customer71-242.mni.ne.jp ]
ではなぜこの宮の森地区は旧
琴似町にもかかわらず中央区になったのか?という疑問です。
盤渓地区も中央区に入っていますが、札幌市が政令都市と
なったときにこの部分だけ旧市界によらなかったのでしょうか。
この点について何かご存知の方はいらっしゃらないでしょうか。

89 名前: 牛鍋蝸牛 投稿日: 2003/08/15(金) 20:44:43
ID:vUIJSVwU [ N046187.ppp.dion.ne.jp ]
>>88
kさんが以前から提起されていた疑問ですね。
まだ、未解決でした。
そう言われれば、そうだよね。
「十二軒」は「琴似村」だったのに何で「宮の森」として
中央区に編入されたんだろ?
隣の「山の手」は西区になったのに…。
改めて、「さっぽろ文庫1 札幌地名考」の「宮の森」を
参照してみましょ。

「(略)昭和三年に秩父宮、翌四年に高松宮が来道され、
三角山・荒井山を中心にスキーを楽しまれたことを記念し、
昭和五年から宮様スキー大会が開催されるようになって以来、
宮ノ森と呼ばれるようになり、昭和十八年(1943)五月に
十二軒から琴似町宮ノ森と改正された。この琴似町も昭和
三十年には札幌市と合併し、その後札幌市の政令指定都市
移行と同時に琴似町の冠称が削除され中央区宮の森となった」

ふ~ん、「琴似町」の時は「宮ノ森」だったんだ。
それが「中央区」になったときに「宮の森」となった…。
ま、それはそれ、わかったけど…。

【知名度ゼロ】スレも立たないマイナーな地名in札幌【その十】

 ここまでの背景がある程度盛り込まれていれば、まだ
信用ある特集になったのだろうけど、「宮様スキー大会」の
証文だけで、「オデンピック」の提灯的に仕立てた程度じゃ
「門外漢の七並べ」で上っつらを叩いている程度にしか
見えなくなるだろうと思い、ここまでは綴ってみました。

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