広島の独特なパン文化・冷凍技術と『メロンパンの真実』にまつわることを近況随想交えつつ。
ひとまずケンミンネタでネタは一つ転がり
込んできた。テレビと写経ノートは見つかった。
あとはもろもろ絡めながら近況を交えつつ、
ですかね。
といふことで昔は呉に行ってメロンパンの
パンだけ買って帰って来たことがあります。
(この頃竹原に対する熱はなかったし、道の駅
も存在しなかったので、保存地区を軽く車で
通り過ぎるだけだった)
その前後で図書館で借りて写経ノートにある
程度記録されているのが2004年刊行のこの本。
こちらをベースにしてメロンパンに行き、
メロンパンへ来るだけの為に(北海道から)
呉に来た旨を伝えたらすごく感動されて
(確かメロンパンのルーツは北海道の
出身者が開いたところって記述がどこかに
あったと思うのだけど)少しオマケして
貰いながら宮島に向かったような。
食パンに「むろらん」もあるし、確か
ネットのどこかに記述があったと思うけど、
現時点では見つけられず(ただそこもあって
こしあんの旨さは流石と唸ったような)。
後でゆっくり食べたパンはまずこしあんの
パンがずっしりしていてボリュームもあって、
食べ応えも十分だった記憶が。目的のメロン
パンはしっかりマクワウリ見立てベースの
クネル型で成形された感じの楕円形ボール型で
中は白あんっぽいクリームがたっぷり。
すごく満足度の高いパンだった、と記憶
している。
(でもなんか最近フランス語由来のクネル型
はシリコンタイプが多くパティシエ側の使う
コトバになりつつあって、オムライスの昭和
風な型をライス型、メロン型って呼んでる風潮
に推移しているような)
平和パンを車の中で食べ切った記憶もあるの
だけど、平和教育が行き届いた広島らしい、
とまでは思ってた。あの中のカステラが
長崎をイメージしているのか。
平和パンも大事に配置されてるのはここか。
赤色のパッケージにあしらわれてるハトも
ちゃんと映っているし。
そして本筋としてはケンミンSHOW極の
「ケンミン刑事」(以前のバーのマスターは
亡くなられたのでこの新シリーズに至ったん
だっけ)でメロンパン問題が無事にオンエア
されたと。
でコッペパンが東のメロンパンっぽい作り
になっている事情は先代の二代目の証言が
残っているような。
まあ広島全域ではないかもしれませんが、
かなりの広島県内で他地域では量産されている
よく見るタイプの「コッペパン」が焼かれて
いなかった可能性はあるのかも。
そもそも全国的なパンの普及に関しては、
大正時代の米騒動の余波と関東大震災によって
代用食として広まり、地方の大手もこの頃に
創業していると(バナナクリームロール・バナシガの
岡山木村屋が大正六(1917)年、名古屋の
敷島製パンが大正八(1919)年、同じく
名古屋のフジパンは大正十一(1922)年)。
ただ広島のパンの特色はそれ以前から
あり、こんな記述もある模様。
まあそれで一時期(まだJR北海道が内輪の
ゲバルトかまして順調に生え抜きの社長を
次々と自殺に追い込んでいた恐怖の労組も
イケイケの頃)JRの各駅で支店を広げていた
のが、パンやパン種の冷凍技術に長けていて
クルミパンなどが名物だった「リトルマーメ
イド」なんですが、ここがタカキベーカリー
資本なので広島ルーツのパン屋さんであると。
江別の大麻駅にあった頃はよく通っていました。
生協のトドックなどではしばらく冷凍パンの
技術もあるのでわずかに残っていますが、
今日びの「新幹線疎開」でトドメを刺された
ようですね。
直営タイプのアンデルセンは結局丸井今井
さんに出店することで切れきってはいないよう
ですけど。
まあでも帯広のスイートポテト屋はこの
余波でアンデルセン使えなくなってクラン
ベリーになったのかな。
邪神ちゃんドロップキックXの7話帯広編に
出てきたスイートポテト屋はクランベリー
ですね。
タカキベーカリー(アンデルセン、リトル
マーメイド)に話を戻すと、やはり注目は
焼成冷凍パン。
https://www.takakibakeryshop.jp/f/the_secret_of_frozen_bread
この技術と冷凍生地の普及で西日本を中心に
伸びているのがアンデルセングループ。
ってあたりを観ても広島のパン文化は
独自性が強いんだよな、といふあたりで。
(まあ福岡から京都あたりまでに広がる
マクワウリタイプ白餡入りのメロンパンと
関西中心のサンライズないしは濁点が脱落
して呼ばれるサンライスに関しては別口で
またの機会に)