こうも外が白く眩しいと、小ネタでも丹念に拾ってからサッサと寝よか、という気分にもなる。
まあペース下がり目ながらも11月はあと一本で
50本に到達するペースまで乗せることはできた
のか。
まあリアルで言うと外が白く眩しい、眩しすぎる。
なんで11月分のコメントメモもある程度
とり纏まったので、少しづつ小ネタでも拾って
次回以降の大ネタの参考、或いはとっかかりに
なればとまずは拾ってみる。
(札幌にある)百貨店の生鮮(特に魚介)の
レベルは丸井今井札幌のB1が一番レベル高いかも(丸井さんのとうまんの機械が動いている
フロアですね)。
まあこないだ丸井今井札幌は探訪して北海道
唯一の営業店舗になったアンデルセンにも
行ってきました。高かったけどサンライズ
(西日本でよく見られるザクザクしたビスキュイ
記事とバターとシュガーが利いたパン)売って
ました。それを休憩できるスペースで食べながら
とうまんの唐饅頭製造機眺めていたのは雪が
積もるまでのいい思い出。
広島の独特なパン文化・冷凍技術と
『メロンパンの真実』にまつわることを
近況随想交えつつ。|torov|note
一応昔の書き込みをしてた中で「サンライズ」
「サンライス」の書き込みをしたのはこの二例が
あったくらいなのかな。
まずは以前「鳴茂部屋」っところでシャナをやってた頃に
こんな記述をしている形跡がある。
あとは初めておけいはんで黄檗へ行ったときに「サンライス」
の記述があるかな。
まあゆりえほいさん状態くらいは調べよう、ね。
あとは一度だけ呉に行けたメロンパン来訪に関しても
記述はいくつか見つかった。
ひとまず史料的にお店のメロンパンが昭和11(1936)年開店で、
その家のルーツが北海道だったことを伝えるものは散逸して
いるのですが(なにせ一度だけ呉に行けたメロンパン来訪は
15年前)、2007年の12月、と記されているものだからこれは
流石に仕方あるまい。
(食パンの名前に「むろらん」があったりとイコン的な
繋がりまでは散見出来るけど、確証部分が消滅しているんだっけ)
まあこの日は母親が望んだ阿伏兎(あぶと)観音から、
1ネット100円でみかんを売ってたアリストぬまくまに
案の定寄った後、呉線沿いの下道を抜けて、竹原をスルー
しつつ「メロンパン」だけ寄ってパンを購入。そこから呉道路
を抜けてJR側の宮島航路に乗り、厳島神社に抜ける鬼ルート
だったかと(ただその鬼ルートな上に前日備中松山城を強行
して歩いたバチが当たって(私は興味も体力もなかったので、
本を読みながら車で待機)厳島神社で地獄を見てた頃だっけ。
なのでこの時楽しみにしてたうえのの「あなご弁当」は次回
持ち越しになったのかな)。
こちらをラストに。氷室冴子の雑居時代にはなんでもかんでも
三越で買い物したがるキャラが出てきますが、例の西友牛肉
事件までの趨勢としては、地下鉄で百貨店までどうぞ、の
導線がある程度敷かれていて、魚介も精肉も一番いいものは
丸井今井札幌にあつまるのがならわしの一つでした。
欲しいけどなかなか現物が見つからないときに探す箇所の
一つとして丸井今井札幌B1はなんか今だと妙にしっくりして
落ち着きます。
こうも外が白く眩しいと、小ネタでも丹念に拾ってから
サッサと寝よか、という気分にもなる、から始めてたら
結局ぬくぬく日没するまで寝てたんで記事を仕上げます、でした。