いよいよ本陣の十番勝負六番目は「# F1を語ろう」になるわけですが。F1はセナサバよりもラッツェンバーガー寄りでヨタり過ぎの末に人を道連れしたイーティッド右京には容赦なく。ルカ・バドエルに関しては一家言あり。
一応十番勝負は4番目までここにおさらいした通り。
4番目の「# あんまし使わない憲章タグを使って十番勝負」
はこれで。まあちょっとだけブレイクネタで一本とするなら
「#最近の一枚」タグで納豆カレーの写真でも。
|torov|note
明言してなかったけど、5番目はこちらの記事で使ったタグは
「好きなスタジアム」としました。
久方ぶりに看板記事を外してスッキリとclearに。「暑くも
なく寒くもなく」なのでおかたししまして。幾つか失せ物も
出て参りました。ここはともあれ月末の近況など。|torov
そちらにも軽く使いましたが、いよいよ本番として普段は
使わない憲章タグ十番勝負六番目は「# F1を語ろう」と。
まあ激し目な久川綾の曲でもキャラソンが強めすぎてなかなか
紹介出来ないのは「大阪なにわんソウル」(久川綾の泉州弁が
随所にまぶされた最高のキャラソン)なのですが、「なんやねん」は
紹介できたので、もう一つ久川綾らしい一曲を(あえてT-SQUARE
ではなく)紹介。だんじりをベースにした勇ましさと
朝ドラ「カーネーション」とはまたちゃう捉え方の
光る祭りな一曲、久川綾で「人生,祭りやっっ」。
なもので、フジの地上波中継があり、古舘伊知郎節が随所に
炸裂してたF1中継の醍醐味はこの「人生,祭りやっっ」の
如く「アクシデントがあったら面白い」なのでした。
だからミケーレ・アルボレートとかルカ・バドエルあたりの
少しマイナーなドライバーにも情報の日の目が当たるのが
古舘節の真骨頂で、上位下位分け隔てなくのF1中継の醍醐味は
「余所見すれば大怪我もする」ヒリヒリさをこまかな
情報と共に楽しむのが一興だったわけで。
アルボさんのいぶし銀な「最後のF1パイロット」感は非常に
通好みでした。
逆に言うと、セナサバは既にマイナー時代を詳しく掘る迄
もなく武豊のようにスターダムを駆け上ってからモンツァで
犬死にしたので、むしろ思い入れがあるのはその前日に
亡くなったラッツェンバーガーの方にウエイトがあった。
(でまだ4453さんとブホウが現役なのに呆れつつ、遂に
ナイスネイチャが亡くなったのを偲びながら、たまには
岡潤一郎という騎手がいたことを偲ばねば、とも思うのだけど)
そして、モンツァで九死に一生を得たイーティッド右京ねえ。
そしてその年のイモラからヨーロッパGPまでわずかな輝きを
放った1994年の片山右京の走りの方がより鮮烈だっような。
(その右京もイモラの一週前にお姉さんを亡くしていたわけですが)
ヨタの金で山登ってたのが酷くて(解説もヒドいもので)
あの事件をやっぱり起こしてしまうアレ、ですが。
ちなみに1992年の南アフリカGPがF1デビューで、その
頃のインタビューで中島悟らに英語力を問われて
「eatの過去形は?」(ate)
を問われそう答えたからイーティッド右京なんですが。
まあそのようにしてマイナーチームアンドアクシデント
やって来いやな気質はあったので、ルカ・バドエルには
やはり一家言あり。
まずは巻き込まれてワリを喰うその1、で行くとこの
かつてのリザルトから。
ジャン・アレジこそまさしくゴクミの夫ですが、
確かに勝てなかったけど愛された、
愛されたけど勝てなかったF1界の高見盛ですからねえ。
(但し実力的には高見盛よりもむしろ高見山くらいには強かった。
勝てない惜しい2位が多いドライバーだったしね)
そんなアレジのF1キャリアで唯一の勝利の時。
因縁はミカ・サロでバドエルは7位で入線したのに、結局
アレジ初優勝で観客がコースになだれ込み、結果後日の
記録で順位が逆になったと。
で、ルカ・バドエルといえばなんと言ってもこのレース。
かつてとあるブログに書いたコメントは少し改稿しますが
およそ次の通り。
で、件のレースのリザルトはDVD-Rに残してまとめていた
90年代記憶整理スレ 7 (1997~ )
の纏めメモからレストアしてみた。
といふことでたまには「# F1を語ろう」してみました。