レファレンスのオーダーがなんとなく入ったから耳を揃えて書いてみましょう。「あんころ雑煮」と「青のりおはぎ」の高松旅行記から。
まあこの記事を書くきっかけになったのは、さぼさんの
この記事でコメントしてたからです。
推しのお雑煮|さぼてん主婦|note
このうちなぜ空海が讃岐で溜池沢山造成したりいろいろしてた
かは善通寺のHPを観れば大体解決することなので。
あと結局一番狭い県になってるトコがなんで成立したのか、
の逃走劇に関してはかつてここで触れたかと。
讃岐と信州はもうそっちで出した方が角も立たなくて
いい気がしてきた。|torov|note
で、自らのタスクとして課したのが、
でわたしのタスクは高松で食べた「あんころ雑煮」と
「青海苔おはぎ」の写真とレポートですね。ひとまず
それは(読者もこれで確保出来ましたし)今日まだ
一本も上げてないのでそれで書いてみます。
としたので、まあ単純に当時の資料込みで書き出してみよう
かと、といった次第。
かつて書き込んでいた「D2 STATION」の掲示板だと当時書いて
たのはこのくらいの記述に留まるか。
ま、これは完全に高松、という城下町が武家町(ぶけまち、では
あるけど、身分差を気にしがちなところほど「ちょう」で区別
してた地域も多い)と商人町(しょうにんまち(よく対比で「まち」。
町を「まち」と呼ぶ方の大方の根拠でもあるけど、大阪は無視しま
くったモンロー主義の地名殺し小役人が呼び方をブチ壊したことでも
大いに知られる、だっけ))に完全に(町割が)別れていたことの
所産でしょう。この連帯と力業が後年においては「丸亀町」の
町作りに活かされていきます。
片原町駅の異郷感は結構尋常ではない光景です。
高松築港駅から片原町駅のルートは鉄道が走る際、高松城の外堀を
埋める形で造成されました(なのでああうねってもいると)。
で、どうせ自己満足、と記述してなかったエビスヤの記述は
日記の中にある。
エビスヤで青のりおはぎをゲットし、(高松)三越が開く前に
一旦長尾線をほぼほぼ往復して帰ってくる。と2018年3月12日の日記に
ある。大返ししたのは高松からだと小一時間ほどで行けるけど、
高松三越には岡山名物「大手まんぢゅう」を売っているから。
青のりおはぎは高知県四万十川流域が名産の青のりを使っている
ことが多いため、主に西日本での普及率が高い商品になります。
昔明石の「ふなまち」でたらふく明石焼きをはじめとした
コナモンを堪能した後に当時明石にあった播磨屋で買って以来
とんと見かけることがなかった(その間に関西を訪問した際には
お月見団子の時期に入っていたりして、全く青のりおはぎに
出逢えた試しがなかったのです)。
四国ならば産地に近いし、と思ってやっとご対面出来たのが
こちら。
青のりおはぎも東で主流の黒胡麻おはぎもどちらもこしあんが
入った主流なのはほとんど交わっていないのだけど、興味深い
一件でもあったり。
で、その前の日に食べたのが青のりおはぎもテイクアウトした
エビスヤの喫茶部。
喫茶部のメニューは当時こんな感じ。
で、出て来たのがこれ。まさかでもあるが青のりがトッピングに
付いてる。
外食でオーダーしたうどん以外のメニューは実はこれだけだった、
のですが(後は全て讃岐うどんの店で食べてた)。
といふことで、高松で食べた「あんころ雑煮」と「青海苔おはぎ」
の写真とレポート、ってタスクはクリア出来たかなと。
耳を揃えて書いてみましょう、でした。