(1)「白い少女たち」と「さよならアルルカン」~ママチャリに乗って氷室冴子のコバルト文庫を探しに
といふことで、前段としては大体話がついたので早速初期の
氷室冴子作品からツッコんで行こう、となるわけですが。
「少女小説家は死なない!」は逆にサッサと文庫本が
見つかった。定価は(消費税もないし)300円、とある。
この頃の適正価格とはいえ、本質的にコミックス一冊よりも
安い価格で提供出来ていたことに、この文庫のしぶとさの源が
ある種あったような気はする(次に上下巻で出て来た「ざ・
ちぇんじ!」は一冊260円、とある)。
すぐに探したところで出て来たのはその3冊くらいか。
ぼっちらぼっちら掘り起こしていく算段ではございますが。
で、前回も出した以前の書き込みをした時の元文章。
これに対して(まあ石田敦子もかなりリリカルなコミック
エッセイは書くのですが)、むしろ高橋しん、とコメント
したのは「最終兵器彼女」も意識してのことですが、やはり
そこは広島ではなく北海道出身のリリカルさ、とすれば
高橋しんの描く鈍色に近い雲だし、そんなどんよりとした
雲を幼い頃から観て来た氷室冴子の原風景はやっぱりどう
足掻いても「ひどく生真面目で、陰気」な藤女子大的空気を
多分に内包しているのかなと。
あとはmegyumimegyumi氏も当時気付かれていましたが、
後のコバルトでは有名になったあとがきがこの2冊の掌編集
にはなかったかと(まあ後に現物見てあったなら修正します
けど)。
これに対して新井素子が普遍的にかつ天然で、対して
氷室冴子は自覚的にかつ戦略的にあとがきを使って自分達
なりの「決意表明」なり「お気持ち表明」をちゃんとやって
いたような気はする(それを外側に押し出すと角川文庫で
やっていた「プレイバックへようこそ」になるし、一方で
集英社の柱の一つにもなる「青春と読書」方面へ向けた
エッセイ本へ展開するような足跡も「氷室冴子のあとがき論」
からは見えてくるのかな、と)。
ま、今回は軽くここまで。次回はすぐに発掘出来た文庫で、
書いた本人の錯乱と酩酊が楽しめる「少女小説家は死なない!」に
ついて述べた後、少し変化球で(これも所在はわかっている
から再読した上で)「ライジング!」を少し語って、
もう一つ既に発掘できた「ざ・ちぇんじ!(前後編)」に
ついて語るまでを今月中にまずは達成できればいいかなと。
(今回読んでた時期も若いから写経ノートが見つけづらい
のが少々ネックですが、このまま進めて行こうかと)