バブルチューブ或いはドーム盲腸線。そんな札幌地下鉄東豊線の現在地。
まあそろそろこのあたりの「リメス(防衛戦、もしくは
堀川)」が心許なくなって来たので、一通りまた(今回は
シテになって)書いてみることにしますか。
札幌の地下鉄は便利すぎるという話|Saku|note
ここにコメントしたことで話題を整理しておくのも重要かな、
と思いまして。
なお無神経な大吉先生のようになんでも「電車」という人を
使い分けすることで成り立たせている人なら訝しく思うのは必然、
ってことでそのあたりのコトバの使い分けはこちらに以前提示
しておりますので、そちらも読み通して頂けると話が助かります。
ぐずたらと近況を並べていくところから行くから、別に看板はいいや。
2022年10月ノ巻-「汽車」と「市営の路面電車」と「地下鉄」と-
|torov|note
まあ一応札幌オリンピック以降の生まれで札幌のゴムタイヤ
(新交通)地下鉄を観て来た者にとって、現在の3路線に
対する心情は次のように分けられる。
・南北線=札幌におけるサブウェイ(なくてはならないインフラ
路線。乗客も多く、黒字化に等しいドル箱路線)
・東西線=延長前はオーバースペックで一種の憧れ。
延長後はときめきこそ落ちているが、ゆったりと
乗り心地のいい札幌大通を東西に渡れるアンダー
グラウンド。
・東豊線=凶悪な東区民と自民党市長が急がせたバブルチューブ。
福住延伸は結局つどーむと札幌ドームをそれとなく結ぶ
ドーム盲腸線に。
ちなみにサブウェイ(subway)、アンダーグラウンド(underground)、
チューブ(tube)は(工法もある程度含まれていますが)地下鉄を
現す英語のそれぞれでもあります。
「誰にとっても中途半端」という定冠詞がつきやすい、札幌地下鉄東豊線。
その中でもとりわけ評判が随時悪く取り沙汰されてたは延伸論が
消滅していったのが札幌地下鉄東豊線。
凶悪な東区民の地主がゴネた挙げ句地下鉄東豊線の初期ルートを
東苗穂方面から栄町方面に捩じ曲げた上につどーむや丘珠空港とも
連絡させる方策を悪戯に軽視したが為に、「誰にとっても中途半端」
な決着を生んでしまい、道新と西友(西友牛肉事件)がトドメを
刺したことでも知られています。
(でなければ学園前まで東豊線一本で行けるようになったのに、
当時まだ栄町周辺にあった北海学園の学生寮(珠匣寮)があっさり
閉鎖する、なんて不便は起きません)
モラルが低くて態度も悪い。そんな吹き溜まりが悪影響をしっかり
及ぼして丘珠空港の再出発あたりまで尾を引き続けはするのですが。
東豊線沿線には車庫が一つもない畸型線(蛇尾線)であることでも有名。
それに凶悪な東区民の地主は頑なに栄町周辺に車庫(車両基地)を
建設することまで拒みましたので、なんと札幌地下鉄東豊線の沿線地域
に車両基地はありません。
当時東西線は本社機能を大谷地に集約し、東車両基地と呼ばれる
大谷地の車両基地を主に使うようになって、それまで(琴似-白石間
営業時代)に多く使用していた二十四軒駅近くの西車両基地に空きは
確かにあったにせよ、結果的に札幌地下鉄東豊線の車輌の多くは
西車両基地にあって、時々謎のルート(東西線の二十四軒-西11丁目-
さっぽろルート)を通って札幌地下鉄東豊線に搬送されます。
なのでこの余波から東豊線と東西線は1500V直流のゴムタイヤ
方式の共通規格に統一しなければならなくなった、って事情もあると。
(ま、このルートを通る由縁もあって、初期は栄町-さっぽろ発着、
ってルートもあったけど、道珍の迷惑提灯記事で「大通まで行かない
地下鉄(ここをあえて電車、表記しているミスリードなコトバの使い方
に悪意と無知を感じますね)に利用者迷惑」とかブチあげてしまって、
「地下鉄乗って大通までお買い物」気分な人達にトドメを刺すいかにも
ネガなキャンペーンが敷かれた時期もあったもので(さっぽろ着便を
やめて豊水すすきのまでの盲腸路線だけに)。でも今の「わした」
があるあたりは昔から地下道が整備されてはいたのに「YES」がある
くらいで、南北線の大通とさっぽろ間にあった(現在の地下歩行空間の
上にあった強力な商店会との軋轢があって「創世スクエア」出来るまで
あのあたりの地下道をハメ殺しにしてた歴史もあると))
大通地区の空洞化が起こったのは2002年から2003年あたりで(狸小路の
映画館が連鎖的に潰れてJRタワーに高橋優も勤めていたシネコンが
出来て人の流れが急激に変化したので、創成川アンダーパス連続化事業
と共に地下歩行空間が(周縁のビルの老朽化と建て替え需要から地下で
接続するビルが増えたこともある)出来たのが2011年3月、って話も
あるけど)、まあそのあたりは別口を設けるべきか。
ホームドアもエレベーター全駅設置も進むには進んで現在地に至る札幌地下鉄東豊線。
ともあれ福住延伸以降の札幌地下鉄東豊線は札幌ドームが出来たこと
で「混雑時繁忙期の時間が読めない」ことと「7分30秒間隔(ヘッド)
での運転」で微妙な混み方をすることから不便さが微妙に入り混じった
ままやけに座る椅子の高さが低すぎる9000形にも置き換わり、ホームドア
もエレベーター設置も進むには進んで現在地に至る、といふあたり
でしょうか。
かつてこちらのブログにもコメントが出来てはいたのですが、
突然の仕様変更でまるまる消されたので、当時のメモ書きを
参考に一部だけレストアしてみる。
問題はこれらを捌いていた交通整理の腕と技術の継承がちゃんと
出来るか、ってのがちゃんと「おもてなし」の文化を札幌市が落とし
込めるかの一里塚のような気もしますが(高齢者であればあるほど
福住から札幌ドームまでは「登山」にたとえる人もいるくらいある種の
恐怖にもなっていた、って状況をもう少し加味するべきかな、とも
思うのだけど(まあ私はそれ以前に「のりゆきののろい」であそこには
そもそも行けないのですけど))。
まあでも三々五々で複数の行き帰り出来る道があるのはそこを多分に
「哲学の道」にはするので、多人数の集客を捌いたり散らすには、
有効な手段の一つなのだ、といふ定見があってもいいのだけどね。
そんな札幌地下鉄東豊線の現在地、について少し語ってみました。