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「#カマタマーレ讃岐記事まとめ」なんかにピックアップされたので、能サポ以前から注目してたカマタマーレ前史などつらつら語ってみる。
ってなことでここは軽く近況からザッとまとめようかとは
思いましたが。
元旦は午前中にやること決めてたけど未逹のまま一旦寝て
しまったので、『アニサマ』からも少しアイドリングして、
三が日の指針を考える。〜たまの三が日に固定記事を掲げ
るのもまあええじゃないか。|torov|note
こちらの記事が「#カマタマーレ讃岐記事まとめ」なんかに
ピックアップされました(これでコンサ、甲府、山形に続き
4チーム目くらいかな)。
(あ。八戸をカウントしていない。なので5つ目、かな)
まあ折角選んで頂いたので、ついでにヲチしてた頃の所謂
「紫雲」時代ではないけれど、「サン・ライフFC→高松FC
→カマタマーレ讃岐」くらいの前史時代をつらつら書くことは
出来るかなと。
(まあそれは『能サポ』がいきなり「カマタマーレ讃岐って
知ってる?」から、その方向へ向き、数多のコミュ力おばけが
跋扈してあの展開になったので、その前の歴史は結構すっ飛ば
されてるもので)
一応当時のgif素材なんて見つけた。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/94885191/picture_pc_63b8d10227e6dcce47b9a876f2726630.gif)
最初に四国リーグの流れを追っていたのは2002年くらいだと思う。
南国高知FC、サンライフFC、今越FC,アレックスSC、
三和クラブ、三洋電機徳島、メディアファーム柳町FC、NTT
西日本四国の8チーム。
が2003年の四国リーグとあるから、まあそのあたりを結構熱心に
ネットで眺めていたように思う。
その前の年までは高校サッカーのスポンサーでも有名で、全国
レベルのサッカーチームも持ってたテイジンが2002年までは四国
リーグにいたのかと(この年の12月に消滅とある)。
まあ元は紫雲丸の名前が付けられたチームだったこともあったけど、
沈んだことでも有名でかつ瀬戸大橋を作る機運にもなった紫雲丸の
名前が毛嫌いされた一面と、企業チーム的な部分に陥落していた
側面があってこの頃はサンライフFCだった、と記憶。
(ま、もともと高松商業のOBチームで紫雲山の方を由来にしてた、
ってハナシもある)
でもそれなりにコアサポがいて、その頑張りで結構前から注目
してた一面はあったんじゃないかと思う。
ちなみに現在湘南の看板や一時期は練習着に入っていたサン・
ライフと確か同根ではあったかと。
2004年にその後ジャイアントキリングを起こしまくる愛媛しま
なみFC(後の今治FCの母体)が四国リーグ加入(ってか今越
FCがチーム名変更、だっけ)。
サンライフFCは南国高知FCとしまなみに続く3位で終戦。
2005年には高松FCとして四国リーグを戦ったと。
「高松スポーツクラブ」(仮称)の設立発起人総会開催はこの年の
3月。「高松スポーツクラブ」は正式名称になって、この年の10月に
「カマタマーレ讃岐」と命名。2006年から新ネームで動いて、
この年に四国リーグ優勝、の流れだったかと。
![](https://assets.st-note.com/img/1672841727825-qY7hXCzWAj.jpg)
この時のパレード画像は残ってた。
でも地決は突破出来ず。「サーパス」な穴吹工務店が出張り過ぎた
2007年には「徳島ヴォルテイスアマチュア」の後塵を拝しリーグ2位。
羽中田昌が監督になった2008年は四国リーグ優勝で地決(第32回)は
B Group。高知春野ラウンドで日立栃木ウーヴァ、V・ファーレン長崎、
アイン食品と同組に。
結局この年にJFL昇格したV・ファーレン長崎に破れて、この年も
昇格ならず。
(愛媛しまなみFCが一時期愛媛FCのサブチームとして移管され愛媛
FCしまなみになってたのもこの2008年。徳島ヴォルテイスアマチュア
も徳島セカンドになって渦2とか呼ばれてた)
穴吹がやらかして撤退し、羽中田昌が退任したのが2009年。
2010年は地決に進出して今度も高知春野ラウンド。
この年からずっと長くマコトスクープこと北野誠監督時代が続いたのか。
同組には福島(ファジアーノ岡山の監督も務めていたサカつくシリーズ
手束のモデルでもある手塚聡監督。チームは現在J3の福島ユナイテッド)、
長野(もうエルザではなく長野バルセイロ。総監督が鈴木政一の時代で
サツカワボーイこと名言の数々で知られる薩川了洋監督時代)、
さいたま(この年関東リーグを突破してたさいたまSC)と対戦。
プログラムに「カスタマーレ」と誤記されたのも縁起にして、
福島を破り、さいたまは3-2で下し、長野と1-1で引き分けて
決勝ラウンドをC組首位で通過。
決勝ラウンドも再び長野と対戦し0-0のスコアレス。
YSCCに3-2で勝ち、この時点でJFL昇格が画定。2011年から
JFLに入会し、能サポの状況に至っていく、でしたか。
とりあえず「#カマタマーレ讃岐まとめ」に選ばれたのは素直に
嬉しかったので、つらつらとカマタマーレ前史などつらつら語って
みました。