「ジェフの奇跡的な残留」を知る上でのザッとしたおさらい。その1・「ジャスティスの罪状ズラズラ」メモから。
基本的にトリガーをしっかり引き抜いたのは最終局面で
こやつの「最後の道連れ」があったからではあるのですが。
例のTOTOだか宝くじの配当金をベースに作られたとも云われる
画像から先出ししてしまった「ジェフの奇跡的な残留」ですが、
やはりそこに至るまでにはベースとなる背景をある程度知識として
持っていた方がより楽しめるだろう、といふことで第1回は
「ジャスティスの罪状ズラズラ」メモから。
表面的には「魔性の笛吹き」に操られすぎて、「下町の至宝」を
次々と亡き者にしていった、といふのがまず罪科の一つ目として
挙げられるでしょうか。既に野田鶴声社は廃業されています。
まあ喪黒福造に「ドーン!」とやられて様々な過失と罪科を
撒き散らすだけ撒き散らした、といふのがまず後世の評価には
なるし、「あああれね」扱いされる「笑ウせぇるすまん」に
出てくる典型、と観ればあの惨状も少しは冷静に観られるの
かもしれませんが。
以前の掲示板では八奈見乗児さんの追悼を飯島愛を介してついでに
ジャスティスと「ソウルの練習こそが問題」を綴っていたのですが、
今回は文章を引きつつ別角度で行こうかと。
なもので、このような大絶賛の賛辞も当時の証言としてはあると。
まあこうも磯(インファイト、ってサポーター集団がいたことから
イソファイト表記となり「磯」と略される)がカリカリしていたのかは
主な「Jリーグ審判25年の歴史」をまとめたこの項をザッと観れば
大体把握出来るかと。
「ヴェフリー」の力が減衰し、「鹿島の犬」が「新東京国際空港公団職員」
出身であった松崎康弘審判(2003年に審判を引退し、その後は審判委員長)
を中心に醸成されていく中で、その中でもカウンター的に野田鶴声社の笛を
ピッピキ吹いた「ソウルの練習問題」で講習を受けた方がジャスティス
だったので、主な話としては2001年12月の「首投げ退場」あたりから顕在
していたとも云われております。
・2001年12月の「首投げ退場」
磐田-鹿島のCS第1戦で福西に首投げされた鈴木隆行にハンド判定し
黄紙2枚目退場させるなどして磐田のドローを幇助。
以下「ジャスティスの罪状ズラズラ」メモには次のような経緯が
纏められている。
「エーイング」はまだどこかで観られるのだろうか。この人もある意味で
サッカー選手(Jリーガー)から国際主審、審判委員長とのし上がった人で、湘南ベルマーレ(ベルマーレ平塚)出身の人としては中田英寿とは別の面で頂点を極めた人の一人でもある。
そんな上川徹氏のターニングポイントはこの「エーイング」になるのかと。ここから劇的ではなかったけど、それなりに評価出来るし納得もする
主審道を歩めた人ではあるのかなと。
まあそのような経緯がベースにあったので、ジャスティスの引退時に
記事になってた松崎康弘審判委員長のコメントがこうも憶測的で
恬淡なのは、以上の事情が含まれているから、と観るとより面白い。
ジャスティス末期最大の汚点とも言われる多くの人をシーズン長きに
渡り宙ぶらりんにした事件といえば、「鉄人八塚」がスカパーの番組でも
熱心に語っていたザ・ロンゲストマッチ。
備忘録で記してあった元データは消えたようだが、こんなものが
証言として残されていた。
試合中断が後半29分だった、ということもあり、試合の中止、ノーゲーム、
再試合という扱いは確かに受け入れがたいものだろう。
テレビで見ていたが、川崎サポの中には泣いてしまった方もいたようだった。
後の再試合や再開ゲームのルール作りには役に立った、といふ後世的な
部分は残されていますが、この怯懦(きょうだ)と「本当に安全性に配慮
した結果だった」のか、判断力としても審判としての資質としても色々と
疑わざるを得ない中で、当該の宙ぶらりんになった2チームは次第に成績を
落として試合再開となるわけですが。
で、ラスボスと化したさわやか893こと福西が東京ヴェルディで引退
ゲームを飾るとき、主審は岡田ジャスティス正義で、「ジェフの奇跡的な
残留」の大事なトリガーになるのです・・・。
といふことで第1回はここまで。第2回は「オシムって言っちゃったね」
から「ジェフの奇跡的な残留」に至るまでのジェフの情勢について、「ら」
スレ当時のメモなどを紐解きながら語っていこうかと思います。