ものづくりと生きること死ぬこと

作品を作ることは好きですが
自分の作りたいようにつくるのではなく

誰かに買ってもらったり、お金のために作るとなると、楽しく無くなってしまうのはなぜでしょう。

お金のために作る物作りが好きじゃないということは仕事には向いてないのかもしれません。

自分の作ってきたものは
自分の子供みたいなものです

いや、子供はいたことないので
自分の腕とか足とか
自分の心臓みたいなものかもしれません

でも作品を世の中に公表した瞬間に
私だけのものではなくなるのも
不思議な気持ちです

最近は自分がいないみたい、影みたいになってきた
そんな気がしています

このままいつか消えてしまうかもしれない

今日はとても晴れているので
地球に隕石が落ちてくれればいいのに、と
バスの窓から見える景色を眺めながら
思いました

自分が死ぬ時は
暑くも寒くもなく晴れていて
街の人が外に出ていて
散歩したり手を繋いだり
笑っていたり
そんな心地のいい日に死にたいです

場所はイメージつかないけど。

老人の会話を聞いていると、だいたい
死生観について話している気がします

歳をとると周りの人が死んでいくからでしょうか。

もしも自分の納得のいく
最高の自分のカケラ(作品)をつくることが
できたら
その時は死んでもいいと思うかもしれないです。

むしろ、その作品に私の全てが宿ったら、
私は空っぽになっていることでしょう。

その時は影ではなく透明になって
誰にも見えなくなっているかもしれない。

今どうして自分が影になっているのか
自分の心を客観的に見るのは得意じゃないので

わかりません。

いつか透明になって死ぬ

ものづくりと私の関係は
そんな感じだと思います。

今日もさよならトロロちゃん

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