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Lesson90 フウンとフコウを受け入れる〜障害受容の話

障がい者支援を仕事にしている。
日々、難しさを感じながらも、色々やってみてるのだけれど
今回のテーマは、最近特に難しいなと感じていることについて。

一部分だけ、私の解釈で切り取るので
名前は出さないけれど、たまに見る精神科医のYouTuberが
だいぶ前の動画で、このようなことを言っていた。(ざっくりと、意訳してます。たぶん実際に文字に起こしたら、全然違うと思う)

クリニックに来るような患者さんは、実際に不運にあっていたり不幸なことが起きていたりする。
まずは、それを受け入れること。

この話を聞いて、私はすごくショックだった。
この人が、淡々と話すものだから、すごく勇気があるなと思った一方で
私は不運なんだ‥不幸なんだ‥。たしかにそうだよな。と、分かっていたけれど見ないようにしていた事実を突きつけられて、衝撃を受けた。

同時にすごく納得もした。

これは、障害受容の話なんだと思った。
(一瞬、話はズレます。が、戻ってきます)

障害をおったとき、例えば事故などで中途障害をおった人が
その事実を受け止め、受け入れるまでの過程を表したものとしては
フィンクの危機モデルというものが有名だが

①衝撃→ショックを受ける、パニックになるなど
②防御的退行→自分を守るために現実逃避をするなど
③承認→改めて不安や混乱を経験しながら、徐々に新しい現実を受け入れはじめる
④適応→新しい自分のできることに目を向け経験し、不安が減っていく

上記のような段階を経て、障害を受け入れていく。

身体の場合は、受け入れたくなくても、受け入れざるを得ない(例えば手が動かないなど、はっきりとできないことが見える)だろうが
精神の方は受け入れなければ、ずっと現実逃避もできるという点で、
障害受容はなかなか難しいように感じる。

発達障害の場合、生まれつきではあるものの、成長してから障害に気づくことも多く
目に見えるものでもないので、障害受容が難しい。

フィンクの危機モデルは、身体障害の場合なので、精神の障害はまた別のモデルがあると思うが(私は詳しくない)、
この危機モデルが表しているのは、
ショックを受けながらも、自分のできないことだけでなく
できることに目を向けて、大切にして、新しい自分を作っていくということだと思う。
大枠としては身体障害も精神(手帳)の方の障害も、同じ流れなんじゃないかと思っている。

ここで、YouTubeの話に戻るのだが、
できることに目を向けるためには
一旦、現状のできないことやできなかったこと、失ったもの、うまくいかなかったものを
大きくも小さくもなく、等身大で受け入れる過程が必要なのだ。

そうじゃないと、ずっと、過去のつらかったことや今の自分に足りないものを見つめ続けないといけなくなる。
言うは易し。
これはめちゃくちゃ難しいことで、苦しくてつらい。

でも、支援をしていて、何かどうしてもうまくいかないなと思う時
ここの問題に行き着くことが多い。

誤解してほしくないのは、受容がうまくいっていなくても
他の器用さとか、違う強みなどで補って、スムーズにいく人もいるので
これができてなきゃ何もうまくいかないとかではない。

ただ、一度、自分はどうだろう?と考えてみるのは意味があることだと思う。

ちなみに私は、うつになったときに、一瞬で適応まで行ったかのように見えたけど
早すぎる適応は歪みを生んで、現在でも、何かうまくいかないときに、それが影響しているなと思うことがある。
いつか本当の意味で適応するのかもしれないし、しなくてもやっていけるかもしれない。

それくらい、本当に難しい問題だ。


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