洞窟と宮本武蔵
宮本武蔵は晩年の五年間熊本の霊巌洞という洞窟にこもって有名な『五輪書』を記したらしい
もの凄くストイックで格好がいいようなイメージでいたのだが
自分が歳を取るに従ってその見方が少し変わってきた
ひょっとするともしかすると武蔵は洞窟にこもらざるを得なかったのではないのだろうか?
ご存知の方もおられるだろうが、武蔵は勝つためには時には非情で卑怯で姑息なことを行ってきた、そして常に勝った敗けなかった
自分に力が漲って自信があるうちはいいかもしれない
しかし、武蔵にも衰えはくる
武蔵ほどの人物ならば周囲には解らなくとも自分自身が一番それが身に染みてわかるはずだ
その時に、それが事あるごとに蘇ってきたのではないだろうか
自分が過去に卑怯で姑息な手口で葬ってきた者達のことが
彼は恐れた、自分もそうなるのではないだろうか
今の自分では多分それを防ぐことはできない
しかし彼だけはその卑怯で姑息な手口を批判することも馬鹿にして鼻で笑うこともできない
彼だけは逃げられない
どうすればいいのか?
そして最終的に行き着いた先がこの洞窟
その迫りくる恐怖と日夜戦いながら記したのが『五輪書』
その書が説得力があるのが良くわかる気がする
何故なら、終わることなき物凄い戦いの最中で書かれたものであるのだから
もし仮にこの仮説が本質的な核となるある一点において真実だとするならば
果たしてそれは彼に卑怯な手口により葬られた方達の怨念によるものなのだろうか?
それとも彼自らが作り出した内なる修羅との永遠の戦いなのだろうか?
そして彼は最後も敗けなかったのだろうか?
それとも最初から・・・
そうだとすると
今の我々にできることは彼の虚像を神格化して、誤った嘘偽りのそれを自らのために吸収したり利用しようとするのではなくて
彼の弱さを認めて憐れんで許してあげて、そっと包み込んでどこかに返していくしかないのだろう
自らが作り出す修羅
その借金取りは上り調子の時には決してやってこない
陰りがでて疑念が生じるころにやってくる
それを清算するには自ら悔い改める以外にはないのだろう
しかし、人は時として違う道を選ぶ
その恐怖と戦う道を選ぶ
自らの内にある修羅と戦う道を選ぶ
阿漕な行いをしたものほどその修羅は壮絶なものとなる
時として自分の持てる力を全てを注ぎ込み
それでも安心できずに更なる力を得て何としてでもそれを抑え込もうとする
そして遂には内なる修羅がどんどん形となり現実のものとなり増殖していく
そして幸か不幸か現在は科学がそこにあり
こんなこといいな できたらいいな ♪ が現実のものとなる
武蔵にならずとも武蔵以上のことが誰にでもできる
最も軟弱なもの達による誰の手にも負えないような凄まじき修羅
その姿はあたかも過去のヒロシマ・ナガサキそして現在のフクイチを見るかのようだ
夏草や汚染水タンク夢の跡
自らの修羅を自ら背負うこともできぬものたちが現実の想像すらできないような凄まじき修羅を生み続け垂れ流す
尽きることなき汚染水のように
あちらこちらで封印を解かれた修羅が今や物凄い勢いで息をひそめて増殖している
その気配はどうやってももう隠すことなどはできやしない