I/O
input
『神経症の時代 わが内なる森田正馬』渡辺利夫著、 文藝春秋 、2016/10/7
output―Ⅰ
やみと裁かれ名づけられ追いやられたものたちをひかりへと
やりくりをこころみることなくやみのまま
さみしい
やりたい
しにたい
もしかしたらぜんぶいっしょかもしれない穴をのぞきこむ
だれかがわたしがあなたがどうかしてくれるはずのころ
しらなかったあまさとぬるさにぬくぬくとはいりこむ
やりたい
さみしい
しにたい
あなたもそうとしんじてうたがわず
でもうめあわず
でもいっしょに
しずむ夜みちる夜
output―Ⅱ
相手の一言一言をすべてポジティブリフレーミングで返そうと試みる人を見かけたことがありますが、誰にでも訪れるときには訪れるような感情や気分、つまり人であれば当たり前の姿あり方について、いちいちネガティブ/ポジティブとジャッジを下し、ネガティブを克服の対象として労力を注がずにはいられないのは、やはり強迫的であり神経症的と思えます。
落ちるところまで落ちればあとは自ずと上がるしかないものを、例えば相談、自己啓発などを頼って回り、落ちまい、落ちまいと力を使うのは執着であり、だからそこに留まり経過できないのはからくりです。
怖いのは、不安なのは、さみしいのは、駄目ではなく、ゆえに私たちは人なる存在のようです。