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2月15日 「惚れ薬」にまつわる迷信

 「中世の迷信」についての本を読んでいたら、フランスで昔信じられていた「惚れ薬」の話が出てきた。食べ物に、男なら精液を入れて意中の女性に食べさせる。女性の場合は月経の血を食品に入れる……というものだ。

 へえー……。
 こういうの、やっぱり中世の時代からあったんだ。

 アイドルはファンから送られてきた食べ物は絶対に食べない。なぜなら、本来食品に入れてはならないものが確実に混入しているからだ。髪の毛、皮膚、爪、体液……もちろん精液も入っている可能性が高い。というか、入っていない方が稀。
 なので、アイドルはファンから食べ物を送られても、食べずに廃棄する。事務所もマネージャーも察しているので、食べ物を送られてきても、即座に廃棄する。
 ついでに「ぬいぐるみ」もファンから送られてきても廃棄する。絶対にカメラや盗聴器が仕込まれてあるから。

 しかし謎だ。
 どうして人は、相手に自分の髪の毛や体液なんぞを食べさせようとするのか? それにどんな意味があるのか? これを考えていこう。

 昔の人は食べることによって、その動物の能力が得られると考えられていた。
 例えば、「足の速い動物の肉」を食べると足が速くなると信じられた。「賢い動物の肉」を食べると頭が良くなると考えていたし、動物の睾丸を食べると精力が増強すると考えていた。
 「カニバリズム」ー「食人」の文化だが、これはその人間を食べることによって、その人間が有していた能力を継承するという考えが元になっている。未開民族の食人がどんなときに行われるかというと、親族が死んだ時、その人が持っていた優れた能力を継承するために、その子供たちが肉を食べていた。

アニメ『進撃の巨人 80話』。巨人の能力を有しているユミルの力を継承するために、その子らが母親の肉を食べている。
2022年発売のゲームである『屍喰らいの冒険メシ』。ダンジョンのモンスターを食べて、そのモンスターの能力を得ることができるという仕組み。「食べることによって能力を継承できる」という迷信が背景にあるからこの発想が生まれている。

 「食べる」という行為は、単に「栄養摂取」ということ以外に、食べることによってその相手の性質が継承されるという考えがあった。この考えがあったから、人は積極的に特定の動物の肉を一生懸命食べてきたわけである。

 昔は「同じ釜のメシを食う」という言葉があった。「同じ釜を食べる関係性」とは、それ即ち「同胞」という意味であった。なぜなのか?
 日本には「黄泉戸喫」という言葉が古くからある。こちらは「異界の食べ物を食べると、異界の住人になってしまい、元の世界に戻れなくなる」……という意味の言葉だ。こうした思想は実は世界中にある考えで、異界に迷い込んでもうっかり、そこにある食べ物を食べてはならない。
 この「黄泉戸喫」と「同じ釜でメシを食う」は案外似た思想を示している。「同じ釜のメシ」を食うと同胞になる。異界の食べ物を食べると、異界の住人になってしまう……言葉の意味を突き詰めると、似たような意味であることに気付く。
 これはある種の事実を突いているところもあり、かつては食べ物は「地域」と深く結びついていた。海辺に住む人々は海の幸を主に食べていたし、山に住んでいた人々は山の幸を主に食べていた。その地域に住んで、その地域の食べ物を集中的に食べると、自ずと体格や体質が変化し、その地域に住む人々に似通ってくる。その地域特有の栄養の「偏り」を持つようになる。その地域のものを食べると、やがてその地域の住人になる……「黄泉戸喫」も「同じ釜でメシを食う」も案外、正しいことを指摘していると言える。
 現代はというと、物流が発達しすぎて「地域性」というものがなくなってしまった。地域性があったとしても、認識しづらいものになってしまった。南方に住んで北方のものを食べても当たり前だし、北方の住んでいて南方の食べ物を平気で食べてしまう。「地域性」の概念は消えて、その人の「好み」に変わってしまった。物流の発達によって「食の平均化」が進んでしまった。
(マクドナルドのハンバーガーなんて、日本どころか、世界中で同じものが食べられる)

 現代でも、食べ物で人間の性質が変わるという考え方は普遍的に残っている。最近では「健康食品」その中でも「特定保健用食品」というものがあって、そういうものを集中的に食べ続ければ健康が促進する……という考えがある。食べることによって、特定の性質が得られる……という思想自体は変わってない。
 医者に言わせると、そういう特定健康食品に頼るのではなく、過食を控えて、バランスの良い食事を心がければ自然と健康体になっていく……そうだ。むしろ「健康食」でも過剰に食べれば、栄養過多、そして肥満の原因にもなりうる。しかし、「健康になるためなら体を壊しても構わない」と考えがちの現代人は、「健康になれる、健康になれる」と信じて、過剰に健康食を摂取してしまうのである。……ああ、本末転倒。

 人間はある種の「まじない」が好きな生き物だ。
 日本人は今も昔も「プロ根性」というものが大好きだ。よくよく考えると合理的ではないのに、特定の仕事に過剰に労力を消耗することを好むし、そういうエピソードを聞くことも大好きな民族性だ。
 なぜ合理的ではないのにかかわらず、こういう「プロ根性美談」を好むのかというと、日本人は「実体」以上に「怨念」がこもっている物やコトを好む性質があるからだ。創作物にしても、美術的な良し悪しよりも、その美術品から「怨念」が感じられるかどうか……つまりその絵で画家がどれだけ苦労したか……という苦労エピソードの方を重視する傾向がある。日本人にとって、アートはアートそのものではなく、呪具の感覚に近い。作品が良いかどうかよりも、怨念をどれだけ感じられるかを重視する……日本人はそういう怨念に対して敬服しがちだ。
 かつての戦時中においては、末期において零戦による「特攻」が行われた。はっきりいえば、戦略としては愚策も愚策で、特攻そのものに戦術的効果は一切ない。普通に弾丸で撃った方が効果的だ。人的資源というのは貴重な物で、それをいたずらに浪費するだけの最悪な作戦だ。だが特攻は決行された。特攻をやったほうが「怨念」が感じられ、その怨念によって相手にダメージを与えられると考えたからだ。最終的に、「怨念」によって米兵を倒せると思い込んでしまった。
 意味があるかどうかではなく、怨念が感じられるかどうか。まじないを掛ける場面でも、清々しい顔で呪文を唱えても効果があるようには感じられない。ものすごい形相で、汗をかきながら呪文を唱えると、効果がありそうな気がしてしまう。心を込めて呪文を唱えると、その「怨念」が効くのではないか……私たちは潜在的にそういう思いを持っている。
 だから「藁人形に五寸釘」をはじめとした呪具がこの国には山ほど残されているわけである。

 ここで中世フランスに伝わっていた惚れ薬の話に戻ってくる。
 自身の肉体から「念」を込めて排出し、それに呪文を唱えれば、何かしら効果が出そうな気がする。特に「精液」は相手を想いながら出す物だから、強い念がこもっていそうな気がする。
 そんな自分の肉体から念を込めて出した物を相手に食べさせるわけだから、効果が出そうな気がする。自分の肉体から出たものを食べさせるわけだから、すると相手は自分と同じ性質に変わるわけだし、さらに自分が抱いている「念」も通じるような気がする。
 そういうわけでアイドルファンは、アイドルに自分の髪の毛や体液を食べさせようとする。自身の体内から出たものを食べさせれば、アイドルは自分を意識してくれる……と信じて。
 こうした考えは、実は人類が狩猟採取民だった頃の名残だ。現代でもこういうことをやってしまうということは、私たちの意識の中にまだまだ「未開民族」が残留し続けているということなのだろう。
 私たちは「文明」という下駄を履かされて勘違いをしているが、文明を剥ぎ取られてしまうと、すぐにでも森で過ごしていたあの時代の意識に戻ってしまうのだ。

 「惚れ薬」についてだけど、結局のところ、存在しない。いくら念を込めて排出したところで、精液なんぞただのタンパク質の塊。そんなもん相手に食わしたところで、なんの意味もない。
 というか雑菌も混じっているので、お勧めしない。

 でも「媚薬」っていうのはあるみたいだけど……Amazonで商品を検索すると、おお、出た出た。
 えっと成分は……
Lアルギニン Lシアトルリン グルコン酸 亜鉛 ナイアシン ビタミン各種 マカ スッポンエキス
 ……うーん、これ、普通に「元気」になる成分だねぇ? エナジードリンクにも入っているやつだ。こんなので、エッチな気分になるか? プラシーボじゃないかな。効果があるとしたら、結局のところ「性欲」って元気があるかどうかって話だね……。


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