映画感想 博士と狂人
世界最大の英語辞典はいかにして生まれたか……!
『博士と狂人』はサイモン・ウィンチェスターによるノンフィクション『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』を原作とした作品である。「OED」は「オックスフォード英語大辞典」の略称。オックスフォード英語大辞典は「世界でもっとも包括的な単一言語による辞書刊行物」としてギネス登録されている。その辞書がいかにして作られたか……という実話物語である。
このノンフィクションの映画化に最初に手を付けていたのはリック・ベッソンだったが、しかし「英語は我々の第一言語ではない」という理由で映画化権はメル・ギブソンに手渡された。メル・ギブソンは当初は主演と監督両方こなすつもりだったが、間もなくそれは無理と判断して、映画『アポカリプト』を制作したときの脚本家ファルハド・サフィニアを監督に指名した。
制作は2016年に始まり、間もなく撮影は完了したのだが、その後、トラブルが起きた。制作会社ボルテージピクチャーと対立だ。監督と脚本家はさらに重要なシーンの撮影をしたかったのだが、ボルテージピクチャーは拒否。さらにファイナルカット権(編集権のこと)も拒否され、それを不服としてボルテージピクチャーと対立し、訴訟することになった。この一件により監督・脚本はP・B・シェムランという別名義となり、メル・ギブソンが運営する個人会社アイコン・フィルムズは手を引くことになる。映画の冒頭にアイコン・フィルムズのロゴが出てこないのはそういう理由。
2016年に制作が完了していたこの映画は裁判沙汰になったために、2019年3月になってようやく劇場公開となった。しかしメル・ギブソンもファルハド・サフィニアもプロモーションには一切手を貸さず、それどころか現バージョンに対し「苦い失望」という声明を出している。
映画批評サイトRotten Tomatoesでは肯定的レビュー41%、平均点は10点満点中5.5。Metacriticによれば100点満点中27点。「駄目映画の歴史における最新の一作」と評され、かなり残念な評価が下されてしまった。
では物語を見ていこう。
1872年ロンドンの裁判所に連れ出される男がいた。
この男――被告人の名はウィリアム・チェスター・マイナー博士は元アメリカ軍医大尉。故郷はアメリカだったが命を狙われるようになってイギリスへとやってきた。しかしある晩、マイナー博士は何者かに追跡されていることを察して、拳銃を持って夜の街に飛び出した。そこで通りがかった男を「アイルランド人め!」と叫んで撃った。
しかし男はマイナー博士を狙っていた男ではなかった。その地域に住んでいるごく普通の若者……ジョージ・メレットだった。人違いによる殺人だった。
弁護人はマイナー博士の無罪を主張する。マイナー博士は事件当夜命を狙われていて、通常の精神状態ではなかった。そこにたまたま通りがかって撃たれてしまったジョージ・メレットは単に運がなかっただけだ。殺人の意思はなく、人違いだったのだから、マイナー博士を裁くべきではない。
弁護人の主張に裁判は荒れるが、間もなく陪審員たちは評決に達する。無罪! ただしマイナー博士は心を病んでいる。ブロードムーア刑事犯精神病院にて拘禁することとする。
同じ頃、オックスフォード大学では名士達が難しい顔をして集まっていた。
懸案事項はオックスフォード出版局が編纂することになっている「辞書」について。オックスフォード発の辞書を編纂するという計画は、すでに発足から20年の歳月が流れているが、どうにもうまくいかない。
そこに招聘されたのが在野の言語研究家ジェームズ・マレー博士だった。
マレー博士はスコットランドの貧しい仕立屋の出身で、学校は14歳までしか通っていないが、その後の独学でラテン語、ギリシャ語、ロマンス諸語を習得し、さらにイタリア語、フランス語、スペイン語、カタルーニャ語、ポルトガル語、ヴォー州方言、プロバンス語。チュートン語派ではドイツ語、オランダ語、デンマーク語、フラマン語。古英語はモエシアゴート語。ヘブライ語、シリア語。他にもアラム語、アラビア語、コプト語、フェニキア語……などを習得していた。ここにいるどの大学教授たちよりも言語に秀でた男だった。
しかしいったいどのようにして辞書編纂をするつもりなのか? オックスフォード最大の頭脳が20年間討論して実行してもうまくいかなかった編纂事業だ。独学で勉強しただけという学者にどんな計画があるのか?
マレー博士はこう語る。
「ボランティア1000人いれば数年で完成する」
人々に呼びかけるのだ。英語を使っているあらゆる場所に。書店、学校、職場、そして一般の家庭。その全ての人に声をかけ、彼らが見付けた単語と引用文をカードに書いて送ってもらう。それを編纂室でチェックして採用する。その方法であれば5年から7年で完成する……。
一方精神病院。
看守達が囚人達を連れて移動している最中、突如門が落下し、看守の足を貫いた。抜こうしても抜けない。このまま放置すると、出血多量で死んでしまう……。
そこで元軍医のマイナー博士が進み出た。看守の足を縛り、ノコギリを持ってくるように指示を出す。そこで看守の足を切り落としてしまうわけだが……看守の死を防ぐことに成功する。
この“適切な処置”により看守達に感謝されるマイナー博士は、お礼として「なにか必要なものはないか?」と尋ねられる。
相変わらず「何者かに付け狙われている」と思い込んでいるマイナーは、「部屋に監視を付けて欲しい」と。それから自分が誤って殺してしまった男の未亡人に、お金を贈って欲しい。退役軍人だからアメリカ政府から今も年金をもらっている。そのお金を未亡人に贈って欲しい……と。
ここまでが前半25分の内容。
お話しは1872年から始まる。この時代は「大英帝国」時代。作中でも当時の地図が出てくるのだけど、北米大陸の大半、インド、それからアジアの一部が大英帝国領で、実に世界の4分の1をイギリスが手中にしていた。イギリスがもっとも栄えていた頃で、もっとも調子に乗っていた頃でもある。
そうした時代背景で、「世界の公用語」となっていた英語。しかしその英語はどこから来て、どのようは変遷を経て今に至っているのか? その歴史を知るべきではないか。世界でもっとも偉大な言語であるのに、それがどういう背景を持つのか、イギリス人自身が知らないというのはまずい。大英帝国の「権威」としても、それを明らかにした辞書を作り、出版すべきだ……。
という計画が立ち上がったのが1857年。本当に20年くらい前に計画が始まっていたのだが、しかし遅々として進まない。そこで招聘されたのが在野の言語研究家ジェームズ・マレー博士だった。
ところでこの感想文では便宜上「マレー博士」と表記しているのだけど、この当時、ジェームズ・マレーはまだ「博士号」と取っていない。辞書を編纂する過程で博士号を取ることになるので、最初の頃はまだ「趣味で言語研究をやっている一般人」という肩書きだ。
一方、ウィリアム・マイナー博士はもともと軍医なので、本当に博士。というわけで『博士と狂人』というタイトルは、マイナー博士1人を指している……とも読み取れる。
マレー博士の構想は、あらすじでも説明したように、一般の人たちから引用文を募集すること。言語学のプロでも、全ての言葉を知っているわけではない。だから広く一般の人に呼びかけて、引用文をカードに書いて編纂室に送ってもらう。それをチェックし、採用するか否かを決定する……というシステムだった。
ところがこの方法でも間もなく行き詰まってしまう。
「辞書」と聞いてよくある「国語辞典」のことだと思ったらそうではなく、その言葉がいつ頃生まれて、歴史的にどのように使われていったか、その変遷も同時に収録する……というのが『オックスフォード英語大辞典』の大コンセプト。
しかし一般から引用文を募集をかけても、「見つからない言葉」が出てきてしまった。
映画中でも議論になっていたのが「Approve」。現代では「同意する」「承認する」という意味だが……。
Approveという言葉を最初に使ったとされるのは1380年ジョン・ウィクリフで、「キリストは死で立法を立証(Approve)した」という言葉の中で使用した。14世紀当時は「立証」という意味だった。しかし1848年では「謝罪」という意味でApproveが使われていた。
言葉は常に変わるのだ。同じ言葉でも、時代ごとに違った意味で言葉が使われることがある。現代はたまたま現代の意味で使われているだけに過ぎない。そしてそれをつまびらかにして、「定める」という使命を持って作られているのが「オックスフォード英語大辞典」だ。
その後、Approveはどのような変遷を辿ったのか? 14世紀から16世紀、19世紀の例文は見つかるが、17世紀と18世紀での例文が見つからない。研究員達も様々な文献と睨み合いをするが発見できず、「もう14世紀と今世紀だけでいいじゃないか」と言い始める。しかしマレー博士は「駄目だ。全ての過程が不可欠だ。言葉の意味がどのように変化したか、すべて記録する」とこだわりを見せる。それがオックスフォード英語大辞典の基本コンセプトだから妥協はいかん……というのだ。
そういうわけで最初の「A行」からなかなか抜け出せない。それで研究員達はだんだんストレスで「やってられるか!」という気分になっていっていた。
と、とにかくも大変な仕事なので、思ったように仕事がまったく進まないのだった。
それでは続きのお話しを見ていこう。
ブロードムーア刑事犯精神病院ではマイナー博士が幻覚に苦しんでいた。狭い囚人部屋に閉じ込められているのに、「悪魔が忍び込んでくる」と恐れていた。
マイナー博士はどうしてこうなってしまったのか……。
それは南北戦争の時だ。マイナー博士は軍医として戦争に参加していたが、そこで若い兵士を「脱走の罰」として刑罰を下したことがあった。
(顔に「D」の焼き印を押すが、たぶん「脱走:Desertion」の頭文字じゃないかな?)
あの時の兵士は自分を恨んでいる……復讐にくるかも知れない……。そう思い続けた挙げ句、マイナー博士は気が狂ってしまった。
精神病院の院長はマイナー博士の治療のために、家で使っていた品を独房に持ってきましょう、と提案する。服も家で使っていたものと同じものを。壁を崩して、2部屋使ってもいいということにしよう。絵も描ける環境を用意しよう……。若い看守の命を救ってくれた返礼もあって、破格の待遇だった。
部屋を新たにしつらえなおしたところで、看守のマンシーが本を差し入れてくる。「仲間を救ってくれたお礼だ」と。マイナー博士は本を受け取って、「待ってくれ! 肉だ! 温かく上等な塩漬け肉だ!」と声をかけるのだった。
なんのことだと思ったら、未亡人となってしまったイライザ・メレットに食事を届けて欲しい……ということだった。
イライザ・メレットは夫を亡くして以来、貧困に陥っていた。6人の子供たちはみんなで内職をしていて、イライザ自身は売春をやっていた。
マンシーは指示されたとおりにイライザ一家に塩漬け肉を届けに行く。ちょうどクリスマスの夜だ。イライザは断ろうとするが、しばらくまともな食事にありつけていない子供たちのために塩漬け肉を「クリスマスプレゼント」として受け取ることにした。
その後、マイナー博士は本を開き、その中にマレー博士が書いたメッセージが入っていることに気付く。
オックスフォード大学で英語辞書を作るだと! マイナー博士はこの仕事を受けねばならない……と使命感に燃える。
間もなくマイナー博士は1000通にもなる引用文を書き出し、マレー博士の下へと送る。
マレー博士は大学側から辞書編纂事業は遅々として進まないので事業の縮小、内容量の短縮を言い渡されていた。マレー博士は言語学に携わる身としてそれは受け入れがたい。しかし作業が一向に進まない……というジレンマを抱えていた。
そんなある日、編纂室へ向かうと研究員が興奮した顔で飛び出してきた。
「博士! 奇跡が起きました! Approveが完成した!」
編纂室に突如、1000通にもなる単語カードが届いたのだ。しかもすべて文献の裏付けがあり、そのまま辞書に採用可能な単語カードだ。
単語カードと一緒に入っていた手紙には「必要な言葉があったら知らせてください」と書かれていた。こうしてマイナー博士との交流が始まるのだった。
ここまでのお話しで55分ほど。
マイナー博士の協力により、遅々として進まなかった辞書編纂作業が突然進展し、ようやく「A行」をまとめたゲラ原稿が完成する。そのゲラがトンデモなく分厚い上に字がビッシリ! あんな壮大なものを作っていたのか……。
Wikipediaには1884年に「未製本の分冊版が発行」とある。「未製本の分冊版」がどういう状態なのかわからないが、1872年にマレー博士に辞書編纂事業の指令が下され、やっと本が出たのが1884年だから、実に12年もかかっていたわけだ。それがいかに大変なものだったか……がわかる。(最初は5~7年くらい……という話だったのに)
正気を失ってしまったウィリアム・チェスター・マイナー博士について掘り下げていこう。
ウィリアム・チェスター・マイナーはアメリカ人で、この当時のアメリカの戦争といえば1861年から1865年まで起きていた「南北戦争」のことでしょう。この時、マイナー博士は「軍医」として従軍していた。
ところが軍医で、人を救う立場であるのに、あるとき脱走した若い兵士に刑罰を下さねばならないという場面があった。その時は場の空気で若い兵士の顔面に「D」の焼き印を押し当てたのだけど……しかしその時の「罪悪感」が忘れられない。あの若い兵士は自分を恨んでいるはずだ。復讐するはずだ……。そう思い込み、やがて正気を失い、幻覚を見るようになって、何もない物陰を見ては「奴が来た!」と大騒ぎするようになった。
それでアメリカを脱出してイギリスへと渡ってきたのだけど……しかし妄想を振りほどくことはできず、相変わらず「奴が来た!」と思い込んで銃を持って外に飛び出し、その結果、まったく無関係の若い男性を殺してしまう……。
こうしてマイナー博士はより複雑に精神を病んでしまう。若い兵士に焼き印を押してしまった罪悪感、さらに関係ない若者を殺してしまった罪悪感……。
精神病院で拘禁されることになったのだけど、「襲ってくる! 襲ってくる」と毎日怯え続けるのだった。
そんなあるとき、看守のマンシーがプレゼントした本の中に、オックスフォード英語大辞典編纂事業について知る。
この時、マイナー博士はこう言う。
「本当にできるのか……お前のようなイカレ野郎に……」
マイナー博士は自分でも正気を失っているという自覚を持っている。だから正気を取り戻すために、言語がいかにして現代の形になったのか……そのルーツを探る事業に参加する。つまり、言語のルーツという完全に「定められたもの」を作ろうという事業と、「正気を失った自分」が対比になっている。
編纂事業に参加しようと決めた時、「正気を失っているとき」に描いていた絵をバババとかき集めて捨てて、単語カードを書くことに集中しはじめる。これも正気を失っているときの自分を振り切ろうとする行動だ。マイナー博士はこうやって狂気に落ちようとする自分に抗っていたのだ。
それでマイナー博士はあっという間に1000通もの単語カードを作り上げてしまう。それくらいの理性があったからこそ、罪悪感で正気を失ってしまった……ともいえるのだけど。
もう一つ、マイナー博士にはキリスト教的な暗喩が隠れている。
マイナー博士はイザベラ・メレット夫人の姿を絵に描き、それにあたかも崇拝するかのような様子を見せるようになる。マイナー博士にとってイザベラは崇拝すべき対象、身を捧げる対象になっていく。
その一方、脱走兵の顔に焼き印を押したこと、さらに誤って若い男性を殺したこと、がマイナー博士にとっての「原罪」となる。
この原罪をいかにして乗り越えられるか……がドラマの中心となっている。(この辺りはキリスト教圏でないと読み取りづらいテーマだけど)
イザベラ・メレットを神聖視しているから、自分の精神を陥れようとするあの脱走兵の幻覚を「悪魔」と表現しようとしている。マイナー博士の脳内では「天使と悪魔」に変換されちゃっているんだ。
マイナー博士はイザベラ夫人に対する罪悪感を乗り越えられず、以降はイザベラ夫人に対して様々な贈り物をするようになる。自分宛に送られてくる年金をイザベラに送ったり、食料を送ったり……。これは要するに神に対する捧げ物。
するとイザベラは人間なので、だんだんマイナー博士に好意を持つようになる。これがマイナー博士にとっての戸惑いになってくる。「私は神の愛を受けて良いのか? 罪人の自分が?」と。
間もなくイザベラによる自分への好意が決定的になった時、マイナーはまた狂い始めてしまう。イザベラには(死んだとはいえ)夫がいたはず……ついに精神的にイザベラの夫を殺してしまった! こんな私は許されるべきではない!
マイナー博士にとってイザベラは神。その神の愛を独占しようとした。それは許されるべきではない……と自分自身を罰し始める。
おそらくマイナー博士は高潔なうえに繊細な精神の持ち主。オックスフォード大学の天才達ですらできなかった「古語の蒐集」をやすやすとやってみせるほどの知性も持っていた。それだけの知性と理性があったからこそ、狂ってしまった。
戦争で精神を病んで、さらに若い兵士を陥れたことにも病んで、最終的にはイザベラ一家を陥れようとしてしまった。これでとうとうマイナー博士の精神は潰れてしまう。
オックスフォード最大の辞書編纂事業にもっとも知識を提供した天才は実は精神病院の囚人だった……。面白すぎる実話の物語だ。
しかしこの作品は「未完成品」。最初に書いた通り、予定していた撮影はすべて完了しておらず、編集も監督の意図していない内容。この作品は監督の本意ではないバージョンだ。
とはいっても……そういう騒動があった、という前提を抜いて見ると、この作品はよくできている。まず元々のお話しがかなり興味深い。マイナー博士の正気から狂気へと揺れ動く様子がよく描けている。その一方で、辞書編纂事業で苦戦するマレー博士。背後ではオックスフォードの権力者達が「あんな在野のスコットランドなまりの男に、権威あるオックスフォードの辞書編纂事業を任せるわけにはいかない」と政治性を発揮して事業を潰そうとする。そういうオックスフォード側との対立とも戦わねばならない。意想外な実話に、精神的な問題を乗り越えようとする男のドラマ、エンタメとしての展開もバッチリ抑えている。キリスト教的な「罪と罰」のテーマが背後に隠れているのも良い。騒動があった……という視点で見るとどうしても「そういうもの」として見てしまうが、そこから解放された視点で見ると未完成品とはいえ、よく作り込まれているドラマだ。
ただ、一般受けするようなお話しではない……というのも確か。マイナー博士が陥っている正気と狂気を巡るお話しは、万人に理解できるものか……というとなかなか難しいはず。裏テーマに「神と原罪」が隠れている……なんてそうそう気付けるものではない。お話自体もかなり地味……対話シーンがあまりにも長く、しかも内容が難しいので、しっかり見ていないと時々なんの話をしているのかよくわからなくなる。「画の変化」がなさすぎるのだ……そういう作品だから仕方ないのだけど。
それにこの作品は字幕よりも吹き替えのほうが絶対に良い。字幕だと細かいニュアンスがいまいちわかりづらい部分がある。
例えば、「A行のゲラ原稿」ができあがったとき、マレー博士はマイナー博士に会いに行こうとする。この時、マレー博士はマイナー博士を「精神病院の院長」だと思い込んでいる。看守は「マレー博士が勘違いしている」ことに気付き、そのことに面白がって、何も説明せずマイナー博士に引き会わせている。そこでマレー博士はマイナー博士が「院長」ではなく「囚人」だと気付いてビックリする。
……という流れなのだけど、字幕を読んでいてもこの辺りのやり取りがよくわからない。単純にマレー博士が会いに来たから、会わせた……というだけにしか読み取れない。私も2度目の視聴の時、吹き替えにして「ああ、そういうことか」と気付いたくらい。
字幕だと頭に入ってきづらい、理解しにくい。もともと「簡単なお話」でもないので、初めての人には吹き替えをお勧めしよう。
そういう感じで残念ながら評価の低い作品ではあるけれども、でもきちんと見るとそれなりに面白い作品にはなっている。決して「駄目映画の新しい1本」ではない。でもできればいつか「完全版」を見たいものだ……。いったいこの作品から何が欠けていたのだろうか? それを見れば、もしかするとこの作品の評価は変わるかも知れない。
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