映画感想 メイズランナー 1~3
今回は簡単感想文。
メイズ・ランナー1
2014年から2018年にかけて劇場公開された『メイズランナー』シリーズ3作一挙視聴!
もともとは2009年に発表されたヤングアダルト小説『The Maze Runner』が原作。こちらがベストセラーとなり、映画化したのが本作『メイズランナー』。もともとはヤングアダルト小説だったので、原作ではどうやら主人公は少年少女だったらしい……。映画版もかなり若いけれども、少年少女という年齢ではなかったな。それから、もともとの着想に『蠅の王』があったようだけど、映画版は『蠅の王』要素は薄く、「迷路があります。そこからいかに脱出するか」というところにポイントが置かれている。
『メイズランナー』1作目は制作費3400万ドル。そもそもステージは一つしかなかったので、制作費自体はかなり低めに抑えられている。これに対し、興行収入は3億4000万ドル。制作費の十倍の収益をもたらす大ヒット。
映画批評集積サイトRotten tomatoでは批評家によるレビューが174件あり、肯定評価65%とやや微妙。一般レビューもさほど変わらず68%。どうしてこんなに微妙なのだろう……と詳しく読んでみると、アメリカでは『LOST』のような先行する有名作品があり、どうにも二番煎じっぽく見える、同コンセプトの他作品と比較されがち……というのがあったらしい。
本編を見てみましょう。
主人公、トーマスは目覚めると謎の迷路の入り口にいた。そこには同じようにこの迷路に送られてきた人たちが何人もいた。主人公トーマスは自身の記憶を完全に喪っていた。その夜のうちに自分の名前だけはどうにか思い出せたが、それ以前の記憶は何も思い出せなかった。それはこの迷路の入り口にいる人たち、全員が同じだった。
というのが、本作の基本コンセプト。まず「迷路があります!」そこからいかに脱出するか……それだけの話。これ以上ないくらいシンプルな構造。登場人物は全員記憶を喪っているので、掘り下げる必要が全くない。ここからいかにドラマを展開するか、ミステリーを展開するか……でシナリオと監督の力量が試される。
もともと『蠅の王』のようなコンセプトで着想されていたらしい本作。こういう作品にありがちな、官僚的なタイプも出てきます。お約束というか、様式美というやつです。単にお約束として描いている感じなので、さほど重要でもないですね。
迷路自体がミステリだけど、さらに「謎の奇病」なるものが出てくる。この謎の奇病はなんなのか……というミステリ的な興味を喚起させてくれる。
さらに病人の対処のしようがないから、迷路の奥へと追放する……ここも『蠅の王』的な要素。
ドラマ的な核はこの少年・チャック。この少年との交流が終盤に向けてのドラマ的な重しになっている。
こういうコンセプトの作品だから、当然ながら主人公トーマスは迷路探索を担うランナーに選ばれる。
1時間50分の作品で、だいたい前半1時間がトーマスがランナーに選ばれるまでが描かれる。残り50分しかないけど、どうするんだろう? 漫画や小説ではここから迷路探索で数日か数週間の時が流れる……という展開になるが……。
なんと本作は「実は迷路は探索され尽くされていた」という説明が入る。すでにきっちりとした地図までも作られていた。なるほど、こういう設計にすれば、後半の展開が圧縮される。こう作ることでこの世界観における歴史の厚みが出て、主人公はその土台の上で戦うんだ……というドラマ感が出る。うまく脚本が作られている。
迷路探索が展開していく。すると風景にも変化が出てくる。本作はずっと迷路の中……このコンセプトだと、どうしても絵面に変化を付けにくい。しかし迷路の奥へ行くと風景が変わる……というところを見せるだけでも、見た目にも気持ち的にも「お、変化が出たぞ」という気分にさせてくれる。
こんなふうにざっくり見ても、うまく作られている。「謎の迷路があります!」というところから着想して、ドラマ的にも展開的にも薄っぺらくなっていない。しっかり惹きつける物語になっている。さらに絵的にも変化が付けられて、見栄えも意識されている。教科書的な作法がぜんぶきっちり収まっている。この映画から学べる要素は多い。エンタメ映画として秀逸な作品。
ところが……だ。問題なのが2作目以降。
メイズ・ランナー2
2作目以降の問題を語る前に、基本情報から。
『メイズランナー2:砂漠の迷宮』は2015年に公開。監督はウェス・ボール、以下スタッフは第1作目から続投。制作費は6100万ドルなので、ほぼ2倍。世界興行収入は3億1200万ドルと1作目からやや落ちている。
深刻なのが評価で、映画批評集積サイトRotten tomatoを見ると批評家による肯定評価は48%、一般レビューも54%とかなり低い。
実際の映画を見ると、この低評価も納得。あまり面白くない。しかし「出来が悪い」わけでもない……というのがこの作品の困ったところ。
じゃあ何が悪いのか、それは2作目からどこにでもある「ゾンビ・アポカリプト」映画になってしまったこと。タイトルにある『メイズランナー』要素はいったいどこへ?
第1作目のラスト、ついに迷路を脱出し、「外の世界」に到達する。しかし外の世界は謎のウィルスが大流行して、壊滅していた……。
というのが第1作目の結末で、主人公たちはある理由で迷路の中に隔離されていた……ということが明かされるのだけど、でも「その理由おかしくない?」と内容が微妙。明らかにいって、コンセプトとして「迷路があります!」というところから構想を出発させて、「なぜ迷路があるのか」を後付けで考えたけれども……しかしこの謎に対する適切な答えを見つけることができなかった。なかばヤケクソ的に、無理矢理ゾンビ・アポカリプトを後ろにくっつけちゃった……そんな感じになっちゃっている。
この場合、本当は「迷路があるという謎」をうまく包み込める、もう一段階上のファンタジーを持ってこなくちゃいけない。あるいは、迷路というコンセプトを最後まで引っ張れる要素にしなくちゃいけなかった。
例えば『進撃の巨人』。こちらはとりあえず「壁」があって「巨人」がいます! ……というシンプルなコンセプトでお話しが始まっている。そこから「なぜ壁と巨人があるのか?」その理由を深掘りする物語へ移っていく。だんだん現実的な問題が立ち塞がってくるけど、最初から最後まで「壁」と「巨人」のモチーフは一貫していたし、そのモチーフを包み込む大きなファンタジー(始祖の巨人を巡る物語)もきちんとあった。
『メイズランナー』にはそれが欠けちゃっている。2作目以降、「結局あの迷路はなんだったの? 意味あった?」みたいな展開になっちゃっている。2作目以降はただのゾンビ・アポカリプト映画になっちゃって、1作目に提示したコンセプトを何一つ引き継げていない。作品の個性がぜんぶ消えちゃった。
2作目以降はストーリーの軸もないし、ドラマの軸もない。「ストーリーの軸」がないから、主人公たちがどこへ向かっているのか、何をしたいのか……それが見えてこない。それが見えてこないから、物語がなんとなく間延びして見えて、「いつ終わるの? まだ終わらないの?」みたいな印象になっている。第1作目は「謎の迷路」という大きな舞台があって、そこからの脱出がエンディング……という目標が見えていたけれど、2作目以降はそういう「目標ポイント」が見えてこないから、どこまでいけばエンディングなのかがわからない。
さらに「ドラマの軸」もないから、感動できるポイントがない。感情移入できる登場人物が出てこない。いったい誰を中心に物語を追いかけて行けばいいのか……。主人公トーマスを中心に見ればいいのだけど、でも今作のトーマスにはたいしたドラマを背負っておらず、トーマスの行動を見ていても「がんばれ!」みたいな気持ちにもならない。
では『メイズランナー2』はまったくの駄目な映画なのか……というとそういうわけでもない。脚本に明らかな欠陥といえるものはなく、場面設計もよくできている。映えるシーンだらけ。監督の腕がいいから、エンタメ映画としてきちんと作られている。クオリティの面で見ると、確実に一定水準以上の作品に仕上げている。
問題なのは、そこではなく作品の「枠組み」のほう。「コンセプト」と言い換えた方がいいかな。監督の腕がいかに良かろうと、脚本がきちんとできていようと、やっぱり「ただのゾンビ・アポカリプト映画」という部分はどうにもならない。これだけ腕の良い映画監督でもこうなっちゃうわけだから、この原作をこれ以上に面白くするのは不可能! 映画ってまず大きな枠組み・コンセプトが大事なんだよな……というのがわかってくる。
メイズ・ランナー3
シリーズ完結編である『メイズランナー3』を見ていきましょう。
とりあえずは基本情報から。『メイズランナー3:最後の迷宮』は2018年公開。3年かかったんだね。詳しく見ると、撮影中の事故で主演俳優が怪我を負って、撮影が中断されちゃった時期があったらしい。制作費は6200万ドル。前作とほぼ一緒。世界興行収入は2億8800万ドルとさらに減少。
深刻なのは評価のほうで、映画批評集積サイトRotten tomatoを見ると批評家による肯定評価42%、一般レビュー58%。トマトは弾けちゃってるし、ポップコーンは倒れている。シリーズ3作品で最低の評価。
シリーズ3作目に対する印象は、第2作目とほぼ変わらない。第2作目でただの「ゾンビ・アポカリプト映画」になっちゃいました……その続き。3作目になると、1作目のできごとは完全に忘れられ、「メイズ」要素も「ランナー」要素も完全に喪われる(2作目の時点でなかったけど)。
どうしてこうなったのか……。躓きは第1作目の時点。第1作目のラストで、「謎の迷宮」という設定をうまく包めるファンタジーが提示できていたら、こんな変な映画にはならなかったはず。あそこが躓きポイントだから、ここからどう頑張っても映画がよくなることはない。
第1作目の「謎の迷宮!」というコンセプトが出てきたときは「おおっ! 面白そう!」っていう感じだったのに……。第3作目にはあのワクワクは何も残ってない。
繰り返すが、それでも映画のクオリティ自体は非常に高い。脚本に変な欠陥もないし、シーンの作りもいい。映画としてのクオリティは一定水準以上のものには仕上げている。それに、これだけのスケール感なのに、予算もそこそこいいところに収まっている。評価は悪くても、きっちり黒字を出している。監督の腕は間違いなくいい。
でも……コンセプトがただのゾンビ・アポカリプト映画である以上、どうにもならんよね……。
映画を見ていても、「まあそういう展開になりますよね」「まあそういう結末になりますよね」なにもかもが想定通り、どこかで見たなぁという内容になっちゃってる。でも、原作がそうなっているんだから、仕方ないじゃない。逆に、ここまでキチッとした映画によく仕上げられているよ……と言ってもいい。こういうコンセプトという前提で、さらに面白くできるなら、教えてくれよ……という感じ。
脚本上の欠陥はない……と書いたけれども、設定上の引っ掛かりはある。
3作目には地上に唯一残った都市が出てきて、その都市は壁に囲まれていて、その壁の中ではホワイトカラーが崩壊前と同じような生活を営んでいた……というが、彼らは何を食べているのだろう? 映像を見ても、どこにも農場も牧場も出てこない。あれだけの高層ビル全体を照らす電気はどこで発電しているのだろう? あれだけの生活を支える「原料」がどこから来ているのかよくわからない。そういうことを考えられなくなった現代人が考えたお話し……みたいな映像になっちゃってる。周囲の環境があれだけ崩壊しちゃっている中で、あんなふうにホワイトカラーの生活を維持するのは不可能じゃないかな。
第3作目も「ストーリーの軸」も「ドラマの軸」もない。主人公たちは何をしたいのか、物語がどこへ向かっているのかわからない。「まだ終わらないの?」「どこに着地したいの?」……それがずっとわからない。ドラマの軸がないから、感動ができない。映像自体はしっかりしていて、どのシーンも映える画面になっているのだけど、しかし「ドラマの軸」がないから、なんとなく上滑りしちゃっている。追い詰められて危機一髪……みたいなシーンが出てきても気持ちが動かない。作り込まれているシーンは一杯あるのだけど、見ていても「凄い!」「感動した!」なんて気持ちになれない。
せめて登場キャラクター達に感情移入ができればいいのだけど、そこまでの強烈な個性は発揮していない。そのおかげで、すべてが微妙な印象に感じられてしまう。
それでも、ちゃんと最後には物語は完結する。何度も繰り返すが、脚本に変な欠陥もないし、シーン作りもうまくできている。3作目できちんとシリーズは完結する。
でも、終幕まで見た印象は、「よくがんばったなぁ……」と。それは主人公たちが幸福をつかめて良かったね、ではなく、「こんな映画でもきちんと結末まで手抜きなく作って立派だなぁ」のほう。スタッフへ「ご苦労様」の気分。
映画はやっぱりコンセプトが大事。この映画も、第1作目以降のコンセプトさえ間違えていなければ、もっともっと面白く、もっともっと注目される作品になっていたはず。脚本も映像もきちんとできていたわけだから。コンセプトの間違いさえなければ、いい映画になっていたはず。そこが惜しくて仕方ない。
という話も、後で言ってもしようがないんだけど。