8月25日 幻覚剤は本当に有害だったのか? 幻覚剤の嘘と本当を巡るお話
Netflixのドキュメンタリーに『心と意識と 幻覚剤は役に立つのか?』というものがあった。ふむ、どんな内容なんだろう?
このドキュメンタリーは、マイケル・ポーランによる『幻覚剤は役に立つのか?』という本をもとに作られている。著者本人がホストとなって進行する。翻訳本はAmazonから手に入れることができる。かなり気になる本なので、そのうち読んでみたい。
まずは「幻覚剤」について、みんなはどのようなイメージを持っているだろうか。危険性、中毒性、犯罪組織、人間精神を破壊し廃人にする……。私も幻覚剤といえばそのようなイメージを持っていた。
ところがLSDなどの幻覚剤には実は中毒性はない。ほぼまったくの無毒だ。LSDによって死者が出た……という実例は存在しない。ただリスクはあり、統合失調症のような重篤な精神疾患の人がLSDを使えば、より悪化する可能性もある。しかしガイド役がいて、安全な環境下で幻覚剤を使用すれば、素晴らしい効果を得ることができる――という。
という説明でドキュメンタリーは始まる。
では幻覚剤というものが発見された歴史と、いかにして恐れられるようになったかを掘り下げていこう。
1943年、アルバート・ホフマンはサンド社で働く優秀な科学者だった。この当時の研究は、産後の女性のための新薬の研究だった。ホフマンはあるとき、ライ麦に寄生する菌である麦角を分離させる研究をやっていた。その時、25番目にできたのが「LSD-25」。
このLSD-25とはなんなのだろうか? ラットに注入してみると、ラットは非常に気持ち穏やかになってくつろぎはじめた。だがその時はそれきりで、ホフマン本人も、周りの研究者達も、特に興味を持つこともなかった。
それから5年後のこと、ホフマンは不思議な予感に突き動かされて、再びLSD-25を合成した。すると急に奇妙な感覚がホフマンを襲った。おそらく微量の溶液が指先に触れていて、皮膚から吸収されたのだ。
ホフマンは一通りの幻覚を見終えると、科学者らしく、もう一度LSD-25を生成し、口から服用した。そこでホフマンは数時間にわたる幻覚を見続けたのだった。
奇妙な薬が発見された。しかしこれは何に使えるのだろうか? サンド社はLSD-25を公開し、研究開発を行うことにした。希望する研究者や心理療法士がいたら無償でいくらでも提供する……ということをはじめた。
LSD研究はこうして始まった。
LSDはごく初期の頃は「サイコトミメティック(精神異常発現薬)」と呼ばれた。精神病患者を真似る薬……と考えられた。しかし間もなくそうではないと考えられた。そこでついた新しい名称が「サイケデリック(幻覚剤)」。
1950年から1965年まで幻覚剤に関する多くの科学論文が書かれることになる。この時期だけでLSDの被験者は4万人以上。国際会議は6回開かれた。
成果も得られた。幻覚剤を使うと、人は心を開き、無防備になる。困難な問題に向き合えるようになる。PTSDなどのトラウマ、アルコール依存症をはじめとする依存症、鬱……そういったものに対する素晴らしい効果を発揮した。何年も抗うつ剤を飲んで治療を行っていた人が、LSD1コで完全に治療するという症例がいくつも報告されたのだ。
ところが思わぬことが起きた。
1960年のはじめ頃、心理学者のティモシー・リアリーは同僚のリチャード・アルパートとともにLSDやシロシビンの研究を始めた。リアリーは200人にもなる人々に薬を投与し、実験をした。それだけでは飽き足らず、受刑者、ジャズミュージシャン、哲学者らに薬を送り、実験結果を報告してもらった。
それで得られた成果は、幻覚の内容はその人間が体験してきたものに関係するということ。環境や考え方、宗教観……そういったものに関連して、幻覚内容は生成される。誰もが共通して同じ幻覚を見るわけではなかったのだった。
ところがリアリーとアルパートの研究が災いして、LSDが実験の外、つまり世間に流れ出てしまったために、二人は解雇されてしまう。その後リアリーとアルパートはヒッピー達のコミュニティに入っていき、「LSDの伝道者」として知名度を上げていく。
LSDが世に広まってしまったルートはもう一つあった。CIAだ。
CIAも幻覚剤の利用方法を探っていたのだが、そこで何千人もの若者達にLSDを配ってしまった。ティモシー・リアリーよりもCIAがやらかしたことによって、LSDは世間に広まってしまった……といったほうがいい。
1960年、若者文化が急速に変わっていき、新しい道具、新しい意識が生まれようとしていた時期に、LSDが絡んでくる。特にこの当時生まれたヒッピーたちは、好んでLSDを摂取していた。LSDを摂取して既成概念を壊し、新たな意識に目覚めよう……それがヒッピー達の合い言葉だった。
この時代のアメリカといえば「ベトナム戦争」だ。歴史を通じて、国家が若者に対して「戦争に行け」と言われたら名誉だと思って行くものだ……という感覚があった。ところがこの時代の若者は戦争に反対し、政府に反抗するようになっていった。その中心がヒッピーだった。
時の大統領ニクソンの目には、「原因は幻覚剤」と映った。そこで幻覚剤に対し、総力戦を挑む宣言をした。
(あとで別のドキュメンタリーを見たところ、この時代ではすでにコカインを売買する「麻薬組織」なるものはアメリカに生まれていて、その中毒者がニューヨークの路地裏に溢れていたとか……。そう考えると、ニクソンの「麻薬戦争」はヒッピーだけを相手にしたものではなかったのではないか)
政府の潮流に加担したのがマスコミだった。御用学者による「ニセ論文」が山ほど作られて、それらがテレビで紹介される……という流れが生まれた。ここで「幻覚剤の危険性」が誇張して人々に伝えられるようになった。私たちが持っているイメージ……幻覚剤を使うと中毒症状を起こし廃人になる……といったイメージはこの時代に作られていった。
こうしたニセ論文は当時の科学者達に批判され、欠点を指摘され、その1~2年後にはこっそり撤回されるパターンが繰り返されたが、マスコミはそこまで報道しない。論文の問題や撤回されていたことが人々に知られず、「幻覚剤の危険性」だけが一人歩きしていくのだった。
これが幻覚剤はじまりの歴史……なんだそうだ。
私もドキュメンタリーを見ていて……「あれ? そうなの?」と驚くことばかりだった。私もテレビなどを通じて「幻覚剤は危険」だと思い込まされてきたが、あれはすべて御用学者によるニセ論文。その嘘の拡散に、マスコミも加担していた。マスコミってつくづく嘘ばっかりのメディアだな……。
1970年、当時の大統領であるニクソンによってLSDは「スケジュール1」に指定され、LSDは民間での使用はもちろん、医薬的使用も違法となった。その時、多くの科学者がLSDの活用法について研究中だったが、その全てが中止となった。研究者達が仕事をなくした瞬間である。
これにてLSDは「危険な違法薬物」となっていく。
その後、どうなっていったのかというと、LSDは犯罪組織の資金源になっていく。もともと危険性も中毒性もなかったはずの新しい薬は、CIAによって拡散され、新しい社会を生み出し、その社会を目障りだと感じた政府によって禁止され、地下化していく。
アメリカ発で「LSDは危険」という意識は世界に拡散されていき、潮流を生み出していく。……でもすべて茶番だった。
ドキュメンタリーには元麻薬捜査官で現在幻覚剤療法士という人も出てきたのだが、警察官としてやっていたことは「全て茶番だった」と語る。そもそも「麻薬との戦い」自体が政府が人工で作ったものだった。麻薬に中毒性も危険性もない……ということになると、いったいなんのためにやってたんだ……と当事者はそりゃ思うだろう。私たちは特に意味のない闘争を何十年もやらされていたわけだ。
それから30年ほどが過ぎて、2000年初頭、LSDが生まれたスイスで研究が再開された。
しかしスイスにも限らず、LSDは世界中で「悪い薬」と信じられるようになっていた。特に若い世代からの忌避感は強い。1965年までの「ちゃんとした研究論文」の存在すらもう知られていないのだから、そりゃ仕方ない。
2006年、LSDの発見者アルバート・ホフマンの100歳になる誕生会がオスロ会議で開かれた。この時、世界中から集まったのが1000人の科学者。元・LSD研究者達も多いから、年寄りが多い。
この会議の最後に、世界の保健省宛の公開書簡が読まれ、LSD研究を再び許可するように求めた。この書簡に唯一答えた政府がスイスだった。そういった次第で、スイスでLSD研究が再開されたわけである。
幻覚剤といえばLSDと並んで有名なのがMDMA。通称“エクスタシー”と呼ばれる覚醒剤だ。私もエクスタシーを題材にした犯罪映画は一杯見てきた。でもエクスタシーの“正しい効能”はまったく知らなかった。
人はトラウマなどを抱えると、扁桃体の活動が過多になる。扁桃体は逃走・逃走反応に関係する器官で、PTSDが引き起こされるとこの扁桃体が当人のコントールが一切効かない状態になる。
MDMAはこの扁桃体の活性をやわらげる効果がある。さらにオキシトシンを増加させ、被験者を落ち着いた気分にさせる。
これはトラウマ(PTSD)治療にてきめんの効果を発揮する。ドキュメンタリーでも災害に遭い、母の自殺を目撃したために重度のPTSDを負った女性が出てくる。何年も抗うつ剤による治療を続けてきたが、症状は改善することはなかった。が、MDMAを服用されて翌日にはPTSDが一気に緩和された。どうしてそうなるのか、まだ完全には解明されていないようだが、MDMAは人のトラウマや依存症、さらには双極性障害といったものに非常な効果を発揮する。医療の現場では絶大の効果を発揮していた。
このMDMAはLSDより発見が遅く、広がりもゆるやかだったから、1985年まで合法だった。しかしMDMAはエクスタシーという通称でやがて研究所や診察室を出て、反体制文化のなかに潜り込んで、拡散するようになっていく。
これを当時の「麻薬絶対許さないマン」こと麻薬捜査官が見逃すわけもなく――。
1985年5月31日、アメリカの麻薬取締局はMDMAを法的に規制、流通を完全に止めて、研究もすべて中断させた。
ところがMDMAを医療として活用していた医者達が反発した。幻覚剤学際研究会いわゆる「MAPS」が結成され、MDMAを合法薬に戻すべく活動が開始されることになる。
MDMAのストーリーもだいたいLSDと一緒。実際には危険性も中毒性もなく、テレビマスコミを通じて広められた危険なイメージはすべて御用学者によるニセ論文。規制によって地下化し、犯罪組織の資金源となって、「麻薬との戦い」が人工的に作られていく。
私達の社会は思った以上にいい加減で、デタラメな世界の上に成り立っているんだな……と思わされてしまう。
エクスタシーの効能についてだが、オキシトシンを増幅させる……と説明されている。オキシトシンは通称「幸福ホルモン」や「愛情ホルモン」と言われて、オキシトシンが分泌されると幸福感が向上し、社交性が高まり、学習意欲や集中力があがるとされている。知的障害や自閉症の子供にオキシトシンを投与すると、症状が改善するという報告もある。
こういった効果がMDMAによってもたらされるのだったら、むしろ広めたほうがいいんじゃないのか?
日本人はこのオキシトシン受容体が小さい。オキシトシン受容体は型がL・LM・MMの3つのパターンがあり、日本人は遺伝子的にMMタイプがもっとも多い。
日本の「幸福度」は世界的に見ても低い。この問題についてよく「社会に問題があるんじゃないか」と言われ、実際日本にはありとあらゆる問題があるのだが、しかし日本人の幸福度が低い本当の理由はオキシトシン受容体が小さいからだ。オキシトシン受容体が小さいから、日本人は感情に振り回されることなく、いつも理性的に物事を考えることができる……という一面もあるのだが。
日本は社会が整備されていて文化も発達しているのに、なぜ幸福度が低いのか……それは遺伝子的にオキシトシン受容体が小さいからだ。と、これを指摘する人は少ない。だが原因の半分くらいはこの遺伝子的理由に基づくものだ。
こんな日本人の気質をほんの少しでも変えられるんだったら、MDMAみたいな薬を使ったっていいんじゃないか。
麻薬をテーマにしたドキュメンタリーだったが、内容は驚くべきことばかりだった。でも、「本当だろうか?」とも思うところもある。なにしろ麻薬というものは、私が知る限り、非常に危険で社会倫理に反するものだ……という認識だった。この印象が全て嘘でした、アメリカ政府が目障りだったから規制にしちゃえ……という話でした……といきなり言われても、私の人生の中で構築された意識の全体がいきなり180度真逆を向く……というわけにはいかない。考えを変えるためにはもうちょっと情報が欲しい。このドキュメンタリー以外にも、情報を探してみた方が良さそうだ。