映画感想文 この世界の(さらにいくつもの)片隅に
Netflixに『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』という映画が配信されていた。
……まあ、観てみようか……。
と軽い気持ちで観たら……これが素晴らしかった。2019年の『この世界の片隅に』も良かったのだが、さらに良くなっていた。『この世界の片隅に』では断片的になっていたもの、よくわからなかったエピソード――とくに白木リンを巡るエピソードが追加され、色んなものが克明になったし、解釈の有り様も変わってしまう作品になっていた。
実は最初の映画化の時にも、プランとして「このように描こう」と絵コンテが用意されていた、という話だったが、当時は予算の都合や上映時間が長すぎるといった理由で、泣く泣くカットされていた……という話は聞いたことがある。ということは、今作が『この世界の片隅に』の正式バージョンと見なすことができる。同じくNetflixに配信されていたドキュメンタリーによると、ただ当時諦めて捨てた絵コンテを拾い上げて映像にしただけではなく、さらに書き起こしたものも相当あったようだ。当時と解釈が変わったものや、制作が終わってから明らかになった事実も多くあったから、そういった様々なものを盛り込んだ新しいバージョンとして作られている。
お話の骨格は、「日常ものアニメ」である。戦争が激しくなる以前は、ごく当たり前に平和な日常を過ごせていたが、やがて物資の供給が断たれ、以降は「当たり前の日常」を守り、維持するための踏ん張らなくてはならなくなっていく。作品は非常に穏やかな印象で進んでいくが、実はかなりサバイバル的。日常であろうとすることに、ありとあらゆる力を注いで実現しなければならなくなる姿が描かれる。
ある意味、究極の「日常系アニメ」である。
しかし戦火は確実にすずさんの住む呉にも迫ってきて、犠牲も生まれ――。ここにドラマが集約していく作りになっている。
そんな本作だが、追加された尺が40分、カット数にして250カット。168分という、アニメ映画でそんなに長い映画は私もちょっと観たことがない。比較試聴していないのでよくわからないが、「おやこんなカット、こんな台詞あったかな?」というシーンが一杯あった。40分追加、ということだから、色んなところで付け足しがあるのかも知れない。
大きく追加されたシーンは、遊女である白木リンにまつわるエピソードだ。このエピソードがあるおかげで、各シーンの解釈が大きく変わる。
例えば、北条家を訪ねる水原哲のシーン。新しくなったバージョンでは、その直前にすずさんの夫・周作にどうやら「別の女」がいたらしいことに気付き、ゆるやかな不和が生まれる。その直後に水原哲が訪ねてくるシーンになっているから、すずさんの「あの人に腹が立って」の意味合いが異なってくる。
すずさんと周作の結婚も意味合いが違ってくる。すずさんへ縁談を持っていく直前まで、周作は遊女の白木リンに入れ込んでいたようだった。「リンさんをあそこから救い出すんだ」……と息巻いていたところに、周りの人達が「お前も身を固めろ」と諭し、そこで周作は「どうせダメだろう」と幼少期一度会ったきりの女の子の名前を挙げた……というのが経緯だった。
祝言の時、周作がずっとうつむいて無表情になっていて、食事にも手を付けなかった理由がこれでわかってくる。周作はすずさんとの結婚に、そこまで前向きじゃなかった。
ただこの祝言の後、家族達が解散して夜になると、周作はふと緊張を解いてすずさんとなんとなしに会話を始める。周作と家族との間にわだかまりがあったらしいが、すずさんとなら何でもないように会話ができて、その後、初夜のシーンに入ってすずさんの処女を摘んでいる……。この周作の感情の経緯がよくわからなかった。
そんなふうに、「とりあえず」「仕方なし」に突如始まってしまったすずさんと周作の結婚生活だったが、始めてみると思いのほかうまくいったし、しかも愛情らしきものが生まれ、育まれていく。すずさんと周作は祝言を挙げて夫婦になったのではなく、その後、時間をかけて夫婦になっていったのだ。
しかし、間もなくすずさんは、周作と白木リンの関係に気付いてしまう。
すずさんが周作の書斎に入るシーンだが、入ったところですでに背景画が相当に歪んでいる。全ての線が微妙にパースからズレた描かれ方をしている。すずさんが書斎に入った時点でもう気持ちの動揺が現れていることが描写されている。
その後、すずさんは竹槍とお茶碗という奇妙な格好で遊郭を尋ねる(ずいぶん混乱した格好だ)。しかしこの時、白木リンは別のお客さんを相手していて、たまたま居合わせたテルちゃんという女の子と対話し、お茶碗を預ける。
そのテルちゃんだが、名も知らない男と一緒に、お互いの手をロープで結んで川に身投げしようとしたという。それで結核を患ってしまった。
遊郭の世界は剥き出しの情念が混じり合う世界だ。相手は名前も知らない、由来も知らない男。でもそんな男の話を聞いて、たぶん体を重ねていくうちに感情だけが移ってしまい、その瞬間は一緒に身を投げようとまで考えてしまう。その瞬間は、お互いに本気だったはずだ。情念だけの世界になると、そういうことは時々ある……みたいな話はよく聞く。
ただテルちゃんは、そんな行為を経て一時置いた後でも、気持ち穏やかにしている。どことなく全てを悟って受け入れているような……。不思議な存在感を放っている。
そんなテルちゃんと対話しているうちに、すずさんはささくれだった気持ちを落ち着けていく。むしろ遊郭に働いている女に対して、同情する気持ちの方が働いていくようになる。
その後、すずさんは周作と喧嘩を始める。感情を剥き出しにして、ようやく「他人行儀」の関係から「喧嘩ができる関係」へと発展していく。すずさんは周作に対して「腹を立てていた」が、周作に対してその感情をぶつけることができなかった。代わりに幼馴染みの水原哲に感情をぶつける……ということしかできなかった。でも感情をぶつけることができるようになったし、それでも崩れない関係性の強さを獲得していく。「別の女がいた」という疑惑と衝撃は、むしろ2人の関係性を深めていくのだった。
空爆が続く日常のある日、すずさんは北条一家とともに花見に行く。そこですずさんは白木リンさんと再会することになる。すずさんは、そこで自分が周作の妻であることをはっきりと明かす。それを聞いたリンさんは、しばらくうなだれる。リンさんはおそらくいつか周作が迎えに来てくれる……と思って期待していたのだろう。しかしその周作は、気付けば別の女と結婚していた……ことをここで知る。
リンさんはそれでも、すずさんに笑顔を見せ、テルちゃんの遺品である口紅を渡し、
「最後は1人なんは誰でもそんなもんじゃろ。ねえ、すずさん。死んだら心の底の秘密も、なんも消えてなかったことになる。それはそれで、贅沢なことなんかもしれんよ。自分専用のお茶碗とおんなじくらいにね」
と静かに語る。
対話シーンだが、静かな独白のような台詞だ。遺言のようにも聞こえる。
リンさんは遊郭という場所を知っている。周作はリンさんの身の上を聞き、おそらくは体を重ねるうちに、次第に情念に取り憑かれていくようになったのだろう。それでリンさんを救い出すんだ、とお金を集め出していた。その情熱は、すずさんと結婚したことによってすっと鎮火してしまう。
リンさんは周作に期待していたけれど……遊郭は「そういう場所」だ。ポッと情念が燃えあがってポッと消えていく。そういう場所に身を預けて、時に自分もそういう情念に囚われることもある。リンさんの気持ちはずっと周作に期待して燃えていたけれど、妻と名乗る女が現れて、はっと我に返り、諦めの念を浮かべる。そして、自分は最後まできっと1人だ、死んだら胸の内の感情も消えてなくなる……。そういう境地になって、好きだった男の妻に、口紅を残して去って行く。自分はそういう立場だとリンさんは理解していた――所詮は遊女だから、と。「誰かの片隅の女」だ、と。でもテルちゃんがそうだったように、「想う」気持ちだけはずっと残り続けていく。想う気持ちだけが残っているから、口紅を預けて去って行く。
その後、リンさんは周作とすれ違い、「あ、どうも」と挨拶をする。ここで周作の感情はなにも描かれない。周作はリンさんの姿を見て気持ちが揺らいだかも知れないし、「もう過去の女」と思ってスルーしたのかも知れないし……。何も示されない。なぜなら、周作もリンさんもお互いに大人だから。場をわきまえて、お互いに挨拶くらいはしてスルーする。そういう社会的な心得でスルーする。すずさんもそういう姿を見て、そういうものだと理解する。
周作がどういう気持ちだったのか、最後までわからないが、空襲の後、すずさんに遊郭のある場所を教える。すると周作は、なんとなくでもすずさんとリンさんの関係を理解していたのだろう。もしかしたら、心の片隅で想っていたのかも知れない……。周作にも「心の秘密」はあったのだ。
夫に女がいたかも知れない。でもその女はただただ哀しい人だった。その女がいたから、夫との関係はより深く結びついた。それ以前に、女は良き友人だった。
リンさんの存在は、むしろ「日常」の濃さをより強めていくのだった。
『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は2019年のバージョンよりも、さらに色んな人物について掘り下げている。そうすることで、色んな人がいていろんな世界があって、すずさんもその中の1人……という印象がより強くなっている。単純に、モブキャラがぜんぜんモブキャラをしていない。それぞれ、なにかしら背景がありそうな描かれ方をしている。すずさんは作品の主人公だけど、より大きな世界の断片に過ぎない。当時も色んな人がいて、色んな感情があった。それをしっかり掘り下げつつ、しかもひと連なりのドラマとしての強さがある。
2時間40分という、アニメーションとしては非常に長尺だが、「長い」とは感じない。私はあまりにも素晴らしかったので、翌日もう1回視聴したくらい。良い作品がさらに良い作品になっていただけだ。観るたびに、「ああそうか」と気付くものがある。見れば見るほどに、尋常ではないくらい作り込まれている作品だとわかってくる。何度観ても見飽きないし、すり減ることのない。とんでもない傑作だった。まさに名作と呼ぶに相応しい作品である。
一緒に視聴したドキュメンタリーだけど、監督・片渕須直の講演会のシーンがやたらと面白かった。さすがは(元)ジブリきっての理論家。あらゆるシーンをとことん理詰めで考え、構築している。講演会のシーンは断片でしか入ってなかったが、全編入れて欲しかったくらい。いや、最初から最後まで、片渕須直監督が解説し続けるドキュメンタリーだったとしても不満がない。あっ、それはオーディオコメンタリーで見ればいいのか。
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