言葉の暴力を受けていることに気がつかない ストラテラ服用日記637日目
発達障害を生きていると自己肯定感が下がりがちになると、どうしても自分に対する批判を受け過ぎてしまうように感じる。
たとえそれが過ぎた批判でも、受け止めて自分が悪いと考えて、更に自己肯定感が下がる悪循環になる。
自己肯定感が低いと何でも自分が悪いと思ってしまったり、常に自信がなくビクビクと日常を送ってしまったり、次に何を言われるか、どんなミスが出てくるのか、不安と疑念が渦巻いてストレスの高い状態が続いてしまう。
そうなるとどうしても気分はふさぎ込んでくる。ポジティブな考えも漸減してネガティブの悪循環から抜け出せなくなる。
残念ながら、人間は自信のない人には厳しい。言い返されないとなおさら相手は図に乗って更に激しい言葉を浴びせてくる。それこそ暴力と読んでいい言葉を投げつけてくる。
こういうところからもいじめにつながってしまうのかなと思う。
こういう頃には、全て自分が悪いんだと自己批判ばかり繰り返すようになり、酷いこと、自分の境界線を踏み越えて攻撃するような言葉でも受け止めてしまうようになる。
こうなっていくと、自他の境界線がどんどん曖昧になっていく。(自他の境界が曖昧だから踏み込まれるようになる場合もある。鶏と卵。どこかの時点で負のスパイラルがはじまっている)
でも、言い過ぎの言葉に対しては怒って良い。
自分の心身や財産を削る目的のものは、自分に対する暴力・攻撃だと捉えて良いと思う。攻撃されたと感じたら反撃して良い。
自分ができないということと、相手が攻撃することは、全くの別問題だ。
自分ができないからといって相手が自分を攻撃していい理由にはならない。
自我の境界線を感じるのはなかなか難しいかもしれないが、感情が知っている。ネガティブシンキングになるとどんどん悪いい意味で理性的になる。
自分をネガティブにする理性は捨てて、自分がなにか言われて感情がザラッとしたときは境界線を踏み込まれたときだ。
面と向かって反撃しなくてもいい。ただ暴力を受け止めることはない。無視するなり、流すなり、心のなかで怒るだけでもいい。
それが自分を大切にする行動に繋がっていくんだと思う。