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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」08   金鶴泳(きんかくえい/キムハギョン)(その5)

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金鶴泳──不遇を生きた在日二世作家(その5)


5.作家生活の始まり


 1969年2月、総連の女性同盟の人が訪ねてきて、3時間以上議論して物別れに終わる。金日成を尊敬崇拝しない朝鮮人は朝鮮人ではないというふうな態度は傲慢僭越な態度だと感じた。

 1969年2月7日、河出書房に「弾性限界」の原稿を持参する。この日を「作家への道を歩みはじめた」日と自覚した。

 1969年3月、大学院は中退となった。研究室に行かなくなっても父からの仕送りを受け取って生活していたが、堅固な北朝鮮支持の父との対立は治まらず、このころ送金を止められてしまった。

 文藝賞を受賞したとはいえ、固定収入がなく窮した金鶴泳は新聞の求人広告で仕事を探し、亀戸の金属化工技術研究所という50人ばかりのメッキ関係の会社に就職した。しかし親がかりの気ままな生活から、朝7時前に家を出て満員電車に揺られる通勤は身に応えた。収入も少なく、結局1ヵ月半で辞めてしまった。
家賃滞納、酒屋のツケはたまる、米屋の支払いも滞り、子どもが歯痛を訴えても歯医者に連れて行く金もなかった。
 しかたなく見境なく友人知人たちから金を借りまくって凌いだ。また、統一日報の前身である統一朝鮮新聞社で年鑑の編集に携わったりした。

 小説も「弾性限界」(『文藝』1969年9月)、「まなざしの壁」(『文藝』11月)などを書いた。

『文藝』1969年9月号、河出書房新社
国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/7926748

 10月、李恢成に誘われて藤沢の立原正秋を訪ねた。思ったより人なつっこい親しみのある人だった。金達寿のようになっては困るというようなことを言われ、李恢成は反発したが、金鶴泳は分かる気がした。

 11月国分寺市に転居した。
 1970年、『新潮』7・8月号に李恢成「伽倻子のために」が発表されると、衝撃を受けた。この頃から李恢成を強く意識するようになった。

 1970年7月、文藝賞受賞作『凍える口』が河出書房新社から出版された。受賞から4年がかかった。集録されたのは「凍える口」「弾性限界」「まなざしの壁」の3作。初の小説単行本上梓となった。

金鶴泳『凍える口』河出書房新社、1970年

→ 金鶴泳(その6)につづく

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*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。

◆参考文献

◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!


*ヘッダー写真:亀戸の工場地帯(1920年代)/パブリックドメイン
原典:大東京写真帖 - 『大東京写真帖』1930/Kameido view from Kinshicho.jpg


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