清々しいくらいに
清々しいくらいに
やる気が起きない。
〝やる気〟というのは
「生きる活力」とか
「楽しみ」
そういう気持ちが一切
起きない、ということだ。
凪
という言葉がある。
風がやみ
波が無くなり
海面が静まることを
指す言葉だが
今の心を表すなら
まちがいなく
「凪」である。
いいじゃん、平和じゃん
いつも忙しくしてんだから
たまにはそんなことがあってもいいじゃん
と、自分に言い聞かせるのだが
どうも気持ちが悪い。
「うつ病」とも違うのだ。
やる気が無くて
「死にたい」というわけでもないのだ
ただ今は
「なんにも考えたくない」
「なんにもやりたくない」
のだ。
少し動くだけで疲れるのだ。
声を出すこと
音楽を聴くこと
映画を見ること
人と会うこと
全てにおいて
エネルギーが
普段の5倍くらい
消費されている状態で
あっという間に
残数値がゼロになってしまう。
こないだ驚いたのは
大好きなサウナに入りに
草加まで行ったのだが
サ室に入った瞬間
エネルギーが切れて
室温90℃の中で
眠っていたということだ。
失神に近かったかもしれない。
やべ、寝てた
と思って外気浴に行くが
ととのいの境地なんてなくて
なんだか虚無な気持ちと
未来へ 何も期待の持てない自分が
裸で空を見上げていて
わたしはいつまで生きるんだろうか…なんて
呆然と考えているのだ。
水風呂に使っても
「冷たい」という実感がなくて
なんだか
生きてんだか
死んでんだか
わからない。
だけど別に、
死にたいわけではないのだ。
「うつ」ではないのだ。
「うつ」になりかけなのかもしれないけれど
そんなのは日常茶飯事だから
別になんとも思わない。
ただ、言えるのは
今、何をやっても楽しくないということ。
そして、できれば何もやりたくないということ。
わくわくすることを見つけたいけれど
それを見つけるために
行動するのも からだにとっては
毒ということ。
ところで
最近
女が
騒いでいる。
わたしの あたまのなかで。
むかし
押し殺した
「人格」
わたしの
「本体」
だ。
「だから言ったじゃん。
統合なんてしなきゃよかったんだよ、バァカ」
26だったか、27だったか
そのあたりで私は
人格統合
というのを行った。
メンタルクリニック
精神病院というところに
厄介になっていた。
詳しいことは割愛するが
子どもの頃に
親から
ことばのDVを受けていたので
自分をまもるために
人格をいくつか創造した。
それが
多重人格…
医療現場では
解離性同一症と呼ぶのだが
人格が私の中でケンカするようになって
日常生活に
支障が出てきたので
人格統合の治療を受けた。
その際
解決策としてとったのが
おおよそ3つの人格を
「ミハシトラ」という人物に
統合し
この「トラ」を司令塔において
他人と会う時は
「トラ」を通して
会話をするべしという
決まりを
創った。
この十数年間は
多少なりに
人格同士のぶつかり合いはあったけど
なんとか乗り越えて
上手くやってこられたと思う。
さて
紙芝居を しばらく 離れると決めて
この
「ミハシトラ」の
鎧が
いらなくなった気がしている。
本当の自分の名前を
忘れてしまった。
わたしは・・・
誰だっけ???
何のために
生きてるんだったっけ????
一度
全てを手放して
人生をリセットしたら
ふたたび
波は、立つのだろうか?
いや、今はまだ
凪でいい。
そのうち多分
勝手に
海は
また荒れる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?