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からっぽ〜003〜ショートストーリー

 からっぽが道を歩いていく。人の形をしたその体は透明で誰も見ることはできなかった。

 からっぽの目の前を女の子が歩いてきた。女の子はとぼとぼと歩いては涙をこぼしている。からっぽはそれに目もくれずに歩いている。
 女の子は道の隅に置かれた長椅子に腰を下ろして、下を向いて更にたくさんの涙をこぼしていた。それでも、からっぽは振り返りもせずに歩いていった。

 からっぽが道を歩いていく。すると赤い木の実が成っている大きな木の下で、二匹の小さなイノシシが空を見上げていた。二匹は交互に木の根元に体をぶつけては赤い木の実を落とそうとしている。それでも、その小さな体では木の実は落ちてはこない。
 からっぽが足元の小石につまずき、よろけて木へとぶつかった。
 ポトン
 衝撃で上から木の実がひとつ落ちてきた。イノシシは笑顔を浮かべて喜んだ。それでも木の実はひとつだけ。イノシシがまた悲しそうに空を見上げている。
 自分が木にぶつかると、木の実が落ちてくる。木の実が落ちればイノシシが喜ぶ。なぜだろう?
 からっぽに好奇心が生まれた。透明だったからっぽの体が白くなった。見ていると、穏やかな気持ちになる冬の夜空に舞う、雪のようなそんな色。
 からっぽはもう一度、木を揺らして木の実を落としてみた。
 ポトン。
 木の実がふたつになって、イノシシがまた笑顔になった。
 からっぽは何度も木を揺らす。木の実が落ちるたびにイノシシが喜んだ。からっぽはイノシシの喜ぶ顔を見て、なぜだか楽しくなった。からっぽの体が黄色になった。見ていると、楽しくなる夏のひまわりのようなそんな色。
 イノシシたちが、からっぽに気がつくと木の実を集めて、それを差し出した。
「きみたちは、ぼくが見えるのかい?」
 いままで自分に話しかけてきた者など居なかったから、からっぽはとても驚いた。
「うん。黄色い体が見えるよ。木の実を落としてくれて、ありがとう」
 からっぽは木の実を受け取ると笑顔になった。こんどは体がオレンジ色になっていく。それはまるでどんなに悲しくても見るだけで明日への希望をくれる夏の夕日のようなそんな色。
 もらった木の実を食べてみると、疲れが取れていく。体の色がまた変わる。こんどは黄緑色。春先の新芽のように柔らかそうな、そんな色。

 からっぽが道を歩いていく。すると小さな川のほとりで、ウサギが困った顔をして対岸を見つめていた。
「どうしたの?」
 真っ白な、からっぽは好奇心からウサギに訳を聞いてみた。
「うん、昨日の大雨で橋が流されてしまって、家に帰れないの……」
 そこには確かに昨日まであった倒木で出来た橋がなくなっていた。からっぽから見たら小さな川だが、ウサギから見たらそれは大きな川になる。
「ぼくに乗りなよ」
 そう言うと、からっぽはウサギを抱えて川の中を歩きだす。一歩、二歩、そして三歩もしないで対岸へとたどり着く。
「ありがとう! ほんとうにありがとう」
 ウサギはなんどもなんどもお礼を言った。からっぽはなんだかとても照れ臭くなった。体の色が紅色や茶色になっていく。それは秋の山々を優しく包む紅葉のような、そんな色。

 からっぽが道を歩いていく。すると狼が口に小さな獲物をくわえて歩いてきた。狼が白いからっぽに気が付いて足を止めると、からっぽを睨みつけた。お互いじっと見つめう。
 からっぽの体は一瞬だけ黒くなると、凄い速さで赤くなっていった。体の温度もどんどん、どんどんと上がっていく。それは怒り。からっぽは怒っていた。それは狼の口にさっきのイノシシがあったから。それはもう決して動かない。
 からっぽの体は年に何度か起こる山火事の炎より、もっと赤くてもっと熱い色になった。狼が脅えて逃げていく。それでも、からっぽの熱い色は止まらない。なぜ、自分は怒っているのだろう? なぜ、こんなに悔しいのだろう。それでも、からっぽにはその答えを見つけることが出来なかった。

 帰り道、長い木の椅子に女の子がまだ涙を流して座っていた。からっぽは涙の理由が知りたくなった。なぜあの子は泣いているのだろう? なぜ、あの子は寂しそうな顔をしているのだろう? 
 そのことを考えると、どんどん悲しくなってきた。からっぽの体が黒くなっていく。でも、聞くのは怖かった。聞いたらもっと悲しくなるような気がしたから。それでもなぜ知りたいのだろう? それでもなぜ此処から動きたくないのだろう? からっぽは怖くてなにもできなくなった。怖くて、悲しくてとうとう涙を流してしまった。
 それに気が付いた女の子が、からっぽに声をかけてくれた。
「なぜ、あなたは泣いているの?」
「わからない。君が泣いているから、ぼくは悲しくなった。君が泣いているから、ぼくは怖くなった」 
「……ありがとう」
 道の真ん中で自分のために泣いているからっぽを見て、女の子は少しだけ笑顔を見せてくれた。からっぽの体に一瞬だけ黄色が灯った。でも、すぐに黒い色がそれを隠してしまった。不安と恐れ、悲しみに寂しさがからっぽを包み込む。
 女の子は椅子から立ち上がり、からっぽを長椅子まで引き寄せると、一緒に椅子に腰を下ろした。そしてそのまま、言葉を交わすこともなく時間が過ぎていった。
 いつしか、ふたりの顔から涙が消えていた。お互い顔をあわせて笑ってみる。からっぽの体は青く輝いていた。それは晴れた午前中に広がる空の色。見ているとなんでも出来そうな気持になる、そんな色。

 からっぽが道を歩いている。その昔、透明だったその体は、いまは白い色をしていた。知りたいことがたくさんある。道を歩くと体の色が次々と変わっていく。ときとぎ怒りで真っ赤になるときもある。胸が張り裂けそうな痛みで真っ黒になるときもある。一度、黒くなると他の色に変えるのはとても大変だった。真っ暗闇はとても怖いから。ひとりの夜も寂しくなった。ひとりはとても悲しいから。

 それでも透明だった頃の自分より、いまの方が気に入っている。体が黄色になると、とても嬉しくなった。緑色になると疲れが取れていく。青い色になると勇気がわいてくる。
 そして「ありがとう」そう言うと、体の色が黄色や緑、オレンジ色から青色へと変わって雨上がりに青空に架かる虹のような色になり、ひとりの夜も怖くなくなった。そして明日がやってくる。

 からっぽは道を歩くのが好きだ。それは人や動物、いろんな物に出逢うことができるから。だから、からっぽは、いつも道を歩いていく。

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