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「伝統」 とは何か。


僕は中高6年間「巣鴨学園」という男子校に通った。
その「巣鴨学園」では沢山独自の行事があり、
その中の一つに夏の館山水泳合宿(巣園流)というものがある。これは本校が培った一つの流派の日本泳法を、三泊四日にかけて千葉県の館山の海で生徒に教えるというものである。運営をするのは卒業生であるOB方であり、僕も恵まれたことにその一人として携わっている。

今回その運営をしているOB達の話し合いがあった。
主な論点は「こういう世の中でどうこの伝統を継承していくか」、というものであった。

議論した上での「伝統」


「伝統」というのは何であろう。
技術的な継承もそうであるし、何かを途絶えることなく存続させることもそうであろう。
だが、それ以上にこの「伝統」という言葉にあるものは思想の「継承」ではないだろうか。

今年度は中止となった。来年も開催できるかどうかは正直分からない。
だからといって、この伝統が無くなるかと言うとそれは違うと思う。

僕はこの行事、「巣園流」を通し沢山の偉大な先輩方にお世話になり、そして色々教わった。技術的なものも、そしてこの泳法を学ぶ上での精神、合宿の意味。

だから僕は上の先輩から教わったことは後輩に教えていきたい。そして一人のOBとして運営できるように、そして継承できるようにならなければいけないと心の底から思っている。僕の同期や同じく若いOBもそのように思っている。
この気持ち、思いが途絶えることなく後輩にもしっかりと受け継がれていけばそれは立派な「伝統」であろう。
そしてその思いがあれば、技術的なものは必ずついてくるだろし、この行事は無くならないであろう。


多少なり時代によってカタチが変容することは致し方ない。
しかし、「思い」だけは変わってはいけない。



ここで筆を置く。


Keitaro.

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