『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.20(62/68篇)
「時間と引潮」「団欒図、一九四五年」を読む。
「時間と引潮」は、重病から回復した九十歳の自然科学研究者の回想である。近景よりも遠景の方が、つまり近時のことよりも幼少年期のころの方がよく見えるとして、「私」はパリに生まれたこと、西欧を離れたこと、ニューヨークの摩天楼の印象――空を削り取るもの=スカイスクレイパーとしての摩天楼ではなく、夕日の中で、空と摩擦を起こさないそれ――や、アメリカを転々としたこと、寝台車のこと、そして、最後には特別な記憶として飛行機に夢中になったことが語られている。
飛行機のもつパワーでいうと、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』あたりを思い出す。
「団欒図、一九四五年」は、同姓同名の人に悩まされる「ぼく」が、同姓同名の人が招かれた団欒に行く話。「ぼく」は同姓同名のそいつが借りた『シオン賢者の議定書』という偽書の返却を図書館から求められたり、レストランで泥酔し三枚の鏡を割った罪で拘束されたり(もちろんそいつがやった)、不法入国したとしてパスポートにスタンプを押すのを拒まれたり(当然そいつが不法入国をした)した。アメリカに引っ越して解放されると思ったものの、やはり間違えられて、誘われてホール夫人という人の開くパーティに行くことになった。そこでは、ドイツ系の博士が大戦におけるドイツを擁護していた。ドイツ兵たちが征服した町でどのような「もてなし」を受けたかについて語られているが、これは(ドイツ系博士の擁護の台詞であることとは関係なしに)今現在の状況と類似しているように思われた。
「[...]ドイツ兵たちが、征服したポーランドかロシアの町に誇らかに入場する場面を思い描いていただきたいのです。彼らはうたいながら行進してゆきます。総統が狂っていることなど知りませんでした。自分たちは陥落した町に、希望と幸福とすばらしい秩序をもたらすところなのだと、無邪気に信じていたのです。その後に起こったアドルフ・ヒトラーの誤算と錯覚によって、せっかくの征服にもかかわらず、彼らドイツ兵たちが永遠の平和をもたらそうと考えたその町が、敵によって燃えさかる戦場に変えられることになろうとは、知る由もありませんでした。美しい軍服姿で、すばらしい装備や軍旗とともに、通りを雄々しく行進しながら、彼らはすべての人、すべてのものに向かって微笑みかけます。痛々しいほどの行為と善意にあふれているからです。彼らは無邪気にも、住民からも同じ友好的な態度が返ってくるものと思っていました。[...]」(「団欒図、一九四五年」加藤光也 訳)
「私」は、このユダヤ人批判を含んだ(反ユダヤ主義の『シオン賢者の議定書』を同姓同名の人物が借り続けていたことが思い出される)団欒に怒りを覚え、「人殺しか、ばか者」と主催者に言い放って帽子を取り違えて帰る。後日、博士が帽子を届けに来て、アメリカでは誰もが自由にものが言え、個人的意見を述べたからといって侮辱されることはないという。「私」は殴ろうと思ったが博士はすぐに出て行ってしまった。そのまた後日、同姓同名のやつから手紙が届き、そこには「私」の出版物のせいで友達が去り、ドイツ軍に逮捕され、パーティで非難したことについての賠償金を請求された。僕にはなんでかはわからないのだけれど、「相手の要求額は実際には、ごくつつましいものだった。
考えることについて、少しずつ考えはじめていこうとしている。とりあえず花村太郎『思考のための文章読本』を読んでいる。