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『ナボコフ全短篇』を読んだ日記(ひとまとめ)

この日記は、『ナボコフ全短篇』を読んだ日記をひとまとめにしたものです。ただそれだけのものです。45000字弱ほどあります。

2022.02.01~2022.02.06(2~10/68篇)

2022.02.01(2/68篇)
『ナボコフ全短篇』を買った。一年ほど前のことだ。なぜ買ったかというと、柴田元幸さんと高橋源一郎さんとの対談『小説の読み方、書き方、訳し方』という本があって、それは僕の(普段使うことのない「僕」という一人称は、自分を他者になった気分にさせるために使われている。例えば村上春樹さんのように、あるいは柿内正午さんのように書くために。「僕」は僕をロールプレイに引き込む合言葉になっている。これがなければ多分書けない)あまりにも狭小な視野を広げてくれたブックガイドである。
僕は恥ずかしながらこの本を読むまでバーセルミやミルハウザー、エリクソンやパワーズ、キシュやパヴィチ、その他もろもろを知らなかった(実は今でも「知った」とは言えない)。ここでは二人がそれぞれ選んだ海外小説30冊(+α)が紹介されているのだけれど、二人とも選んでいるのが『ナボコフ全短篇』だったのだ。ほかにも『レイモンド・カーヴァ―全集』、クノーの『文体練習』、『カルヴィーノの文学講義』、デリーロの『リブラ 時の秤』、アゴタ・クリストフの『悪童日記』は二人に選ばれている。高橋さんには30冊のほかに「★補欠」とあって、それを含めればタブッキの『インド夜想曲』、トゥーサンの『浴室』、キニャールの『めぐり逢う朝』が共通する。柴田さんには「★当然入れるべきと思われるが通読していないため入れられないもの」があり、そこを含めると、高橋さんの本命と共通するのがピンチョンの『重力の虹』、ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』、プルーストの『失われた時を求めて』、そして、『ナボコフ全短篇』。柴田さんでも通読していないもの……ゴクリ。と生唾呑み込んでほしいものリストに入れたのだった。
この本を読んだのは結構前だったと思うけれど、『ナボコフ全短篇』を買ったのは一年前だ。高いのだ。ちなみに『重力の虹』はもっと高く、『失われた時を求めて』はさらに高く、『フィネガンズ・ウェイク』はとうてい読める気がしない(いつか読む)。踏ん切りがついたのが一年前だったのだ。そうして、今日、はじめてページを開いた。全68篇。一日二篇読めばだいたいひと月と少しで読み終わるナ。4月から忙しくなるから、3月中に読み終えたいナ。どうせ読むなら日記をつけたいナ。読む前にそこまで考えて、我に返って読みはじめた。「森の精」(1921年)と「言葉」(1923年)。
どこまでも恥ずかしながら、ナボコフを読んだことがなかった。もちろん『ロリータ』の名だとか、亡命してロシアから離れ、アメリカに帰化しただとかそんなようなことはおぼろげながら知っていた。だけどもナボコフがどのような文章を実際に書いているのかなどは全然知らない。だから僕は短篇をいくつ読んだって評論めいたことを語ることはできないし、感想にしたって大したものはひっくり返っても出てこないだろう。ただ、ナボコフに出会って、900ページ近い短篇を読むという経験の記述が残る(であろう)というだけである。それにしても構成などないし、ただ思ったことを連ねるだけの文だ。僕は僕に言うけれど、「過度な期待はしないようにお願いしたい」。僕は自分に期待しすぎて、そのぶん失望も大きく、あまりのもの悲しさに動けなくなってしまうことが多々あった。つまるところしょうもない人間なのだ。そのしょうもなさをやっと抱えるまでに小さくして、今ようやく何かを期待せずに書けるようになっている。多分。
だから、『ナボコフ全短篇』を読む日記なのに、『ナボコフ全短篇』の内容についていまだに触れないからといって、触れたところで大したことは言えないからといって、それで自分に落胆する必要はない、と自分に言っておきたい。そして、もしここまで読んでくれた方がいたら、すみませんと言っておきたい。

右の目はまだ陰の中だったが、左の目はおどおどこちらを見つめていた。細長く、くすんだ緑色の目。その瞳が錆びの斑点のように赤く燃えている……。こめかみに掛かった苔のような灰色の髪の房、淡い銀色の、ほとんど目にとまらないほどの眉、そしてひげの生えていない口元の滑稽なしわ――どれもこれも、記憶を苛立たせ、鈍く疼かせるものばかりではないか!(「森の精」沼野充義 訳)

ナボコフはロシア革命の後、1919年に亡命しているらしい。1921年に書かれた「森の精」からはロシアに対する苛立ちや愛や記憶などが読み取れる(のかもしれない)。「ぼく」の元を訪ねてくる「森の精」は、引用のような出で立ちをしていて、「ぼく」に語りかける。それはきっとロシア革命で起こった人死にや開発やあれやこれやのことなのだろう。
知識がないから書くことができないけれど、その少し芝居がかった悲痛さはよく伝わってくる。森の精は「さらば、ロシアの地(ルーシ)よ!」と言った。「おれはもうすぐ死ぬだろう」と言った。「家をなくしたこの亡霊のこのおれを愛していると言ってくれ」と言った。そして白樺と苔の香りを残して消えた。もうこれ以上は頭が働かなくなってきたから、「森の精」についてはここまで。

最初から長く書きすぎると後々息切れを起こすものだが、「言葉」についても一言くらいは書いておきたい。でも残念ながら、僕では「言葉」について書けることなどない。路傍に立つ「私」は霊感を感じて、天使の群れを夢想して……くらいまでなら書ける。「私の故国を救うのはなにか?」という言葉に「森の精」と同じテーマがあるのかもしれない。けれども、何かを感じたかもしれないが、どうにも形をとらない。思い出せない。ただ、最後に引用だけしておきたい。天使は「私」に一つだけ言葉を発した。

私はひとつひとつの節を味わいながら、それを叫び、歓喜の涙ががかけた虹の輝きの中ではっとして瞳を上げた……。ああ! 冬の黎明に窓は緑色に染まり、私は何を叫んだのか思い出せないのだ……。(「言葉」秋草俊一郎 訳)

2022.02.02(4/68篇)
食器を洗いながら湯を沸かしているとスポンジの圧力で泡が宙を舞い、洗い終わったお椀やコップなどに白い軌跡を残しつつ、鍋の縁に着地した。泡はもともと泡立っているのに、よりいっそうぶくぶくと飛沫をあげながら、お湯の中に滑り込んだ。

もったいないけれどもお湯を流して沸かしなおし、ほうじ茶を入れて『ナボコフ全短篇』を開いた。「ロシア語、話します」と「響き」(どちらも1923年に書かれたもの(らしい))。

「ロシア語、話します」は、ドイツに亡命してベルリンに住んでいる煙草屋の秘密を、ベルリンとパリを行ったり来たりしている「ぼく」が教えてもらう話。「響き」は、「ぼく」と軍に所属する夫がいる女性との不倫を描いた話。

熱いほうじ茶を飲んでから「ロシア語、話します」にとりかかった。冒頭でほのめかされる煙草屋の秘密とは何か(以下「秘密」に触れます)。

煙草屋(マルチン・マルチヌィチという名前の繰り返しになんらかの意味があるのだろうけれどわからない。繰り出される名前に意味があるということを何で読んだかということをこのポンコツな頭は思い出さない)には息子(ペーニャという)がおり、彼はレーニンの石膏像をハンマーで叩き割るような人物だ。その彼を「白衛軍のクズ」と言った役人がいた(「白衛軍」はどうやらロシア革命期の反革命軍のようだ)。一息に言ってしまうと、息子はその場では役人を殴りはしなかったが、後日役人(実は秘密警察)が店に来た時に「遅発性パンチ」を食らわせて気絶させ、猿ぐつわをかませ裁判(ごっこみたいなもの)をして終身刑の判決、父親と結託してバスルームを独房にし役人をぶち込むと、交代で見張りを続けた。

その瞬間が、われわれの新生活の始まりだったね。私はもはや単なるマルチン・マルチヌィチではなく、看守長のマルチン・マルチヌィチだ。最初のうち、囚人は自分の身に起こったことに茫然となり、その振るまいもおとなしいものだった。ところが、すぐに、彼は正常な状態にもどり、食事を持っていってやると、猛然と汚い言葉を嵐のように浴びせはじめた。彼の使った卑猥な言葉を繰り返すなんておことは、とてもできないね。[…]そこで、彼の法的な身分がどのようなものか、徹底的に教え込んでやることになった。私は説明してやったよ。お前さんは一生監獄暮らしなんだよ、とね。もしも私のほうが先に死んだら、お前さんは遺産みたいにペーチャに引き継がれる。私の息子はその次に未来の孫に引き継いでもらう、というようにして、お前さんは一家の伝統みたいなものになるのさ。家宝ってところだ。(「ロシア語、話します」沼野充義 訳)

バスルームが独房になり、煙草屋が看守長になる。この監獄というトポスについて、先に読んでいた沼野充義の『チェーホフ』で触れられていて、どこかシンパシーを感じた。ここには監獄の欲望がある。『チェーホフ』では人々の監獄への関心があったことが書いてあり、書いてあったような気がする。どうにも僕の頭は妄想でいろいろ付け加えることがあるので信用できない。僕の引用や紹介は苺だけでショートケーキだと言うようなもので、いつでも大事なクリームやスポンジまでそぎ落としてしまう。

今確認すると、『チェーホフ』における監獄は、精神病院と近似のものとして語られていた。人々の監獄への関心は著者によって書かれたものではなくて、ブコフスキーという名のソビエトに反対する活動家が刑務所に入れられた時の回想記のものだった。そこで取り上げられているチェーホフの『六号室』に触れようとすると長くなるし、ショートケーキから醤油瓶を出してしまいそうなのでやめておく。

何も考えずに書いていると、どうにも落としどころが見つからない。でも何も考えずに書かなければ書けない。もう特に書くこともないのだけれど、「響き」にも触れておきたいから、気に入った部分だけ引用して終わりたい。

立ち去っていく音楽ほど甘いものはない。(「響き」沼野充義 訳)

ほうじ茶はとうに冷めてしまっていた。

2022.02.03
この日記は前日に読んだ短篇を翌日に読み返しつつ書いているものだから、翌日にダウンしてしまうと書けなくなってしまう。

題名に付された2月3日の翌日である2月4日に目と腰の痛みで動けなくなってしまった。だから2月5日である今日に二日前の日記を書いている。

昨日の日記を今日書くつもりなんだけど、昨日は短篇を読めなかったから、一昨日に読んだ短篇は昨日の日付の日記で触れたいと思う。

2022.02.04(6/68篇)
「神々」「翼の一撃」(ともに1923年)を読む。

「神々」は子どもを亡くしたと思われる夫婦の墓参りが幻想的なタッチで描かれている。幻想的というか一読よくわかんない。

バスが停留所の前に止まる。バスの中では、車掌が手のひらで鉄の側板をばん、ばんと叩く。運転手が巨大なハンドルを力強く回す。次第に高まっていく、苦しそうなうめき声、短い耳障りなキーキーという音。幅の広いタイヤがアスファルトに銀色の跡を残している。今日、この夏の日には、どんなことでもあり得る。ごらん、男が一人、屋根の上から電線の上に飛び降り、その上を綱渡りして行く。——揺れ動く通りの上空高く、げらげら笑いながら、両手を大きく広げて。ごらん、二つの建物が仲良く馬跳びをして遊んだところだ。そして三番目の建物が、一番目と二番目の間にはさまってしまい、すぐには自分の場所にぴったりなじめないようだった。その下に割れ目が――つまり、陽光の細い筋があるのが、ぼくには見えた。それから、女が一人、広場の真ん中で立ち止まり、頭をぐいと後ろにそらし、歌い始めた。人々が彼女のまわりに群がり、それからまた波のようにさっと引いていった。アスファルトの上には空っぽなドレスだけが残され、空には透明な雲が浮かんでいる。(「神々」沼野充義 訳)

見上げると小さな蜘蛛がゆっくりと壁を這い上っていた。「神々」を読む前だったらティッシュで潰していたかもしれない。

ナボコフの〈天使〉ってなんか変だ。それは「言葉」でも思ったし、「神々」にも「翼の生えた女が一人、窓の下枠に立ち、ガラスを洗う」とある。でも「翼の一撃」の天使が一番おかしい。これってロシアではわりとポピュラーな天使?

そういえば、以前言っていた「ロシア語、話します」という短篇に出てくるマルチン・マルチヌィチという登場人物の名前の繰り返しについて、少しだけ思い出した。ゴーゴリの『外套』に出てくるアカーキイ・アカーキエヴィチのことだ。でもそれがどういう意味をもつのかを説明してくれた文章が思い出せない。

2022.02.05(8/68篇)
「復讐」「恩恵」(ともに1924年)を読む。

「復讐」は若い妻が浮気したと勘違いした老生物学教授が復讐をする話。語りに少し工夫がある。

「海にすっかりご満悦ね……」イギリス娘は小声で付け足した。そのあと彼女は、残念ながら、私の物語から消え失せてしまう。(「復讐」毛利公美 訳)

この自らが語っていることを自覚しているような語りが時おり挟まれるのである。この「小声」の「付け足し」は、おそらく教授には聞こえていないのに、「付け足し」を踏まえるようにして「私の物語から消え失せてしまう」と語っている。この「私」とは誰なのだろうか。はじめは「付け足し」を受けての言葉だと思ったから、教授のように考えたんだけれども、きっと教授ではないのだろう。

「恩恵」はこれまでに読んだ中ではめずらしい、あたたかめの話だ。「ぼく」が「君」と破局しかけているのだから、あたたかめというより冷たい話なんじゃないかと思うけれども、いいシーンがあるのだ。全文引用するのは大変だから、気に入った文章だけを切り抜いておく。

そしておばあさんは飲み始めた。ぼくは人がこれほど完全に、深く、集中して味わいながら飲むのを見たことがない。(「恩恵」毛利公美 訳)

2022.02.06(10/68篇)
「港」「偶然」(ともに1924年)を読む。

「港」は注釈によるとナボコフの自伝的なエピソードがもとになっているらしい。話としては亡命した主人公がマルセイユに流れ着いて、散髪した後ロシア料理屋に入り、仕事の紹介を受けたり、夜になって見覚えのある街娼に出会って金だけ渡してくるといったものだ。南仏の情景の鮮やかさや、ロシアへの郷愁が特徴的な小品という印象。

「偶然」は新海誠作品のような話。すれ違いが描かれている。「翼の一撃」に続いて死のうとする男が登場する。あと何人死のうとする男が出て来るのだろうか。

すさまじく気が滅入っている。

いつまでたっても、というよりも、ことあるごとにと言うのが正しいと思うのだけれど、才能というものが苦手だ。いや、嫌いだ。

もっと正しく言うべきか。才能のある人が嫌いだ。いや、好きだけど嫌いだ。書いているうちにぱっぱっと考えが変わっていく。嫌いなのは才能のある人たちの寄り合いだ。

大人になってみっともないとも思うし、みんなどうしているのかと思う。幼いころ、短歌や小説や評論についてネットあるいは座談会などで話し合っているのを見ると、仲間はずれにされたような気分を味わう。才能ある人は、その仲間について才能のある人だといって語る。安直な言い方だけど、絶対に越えられない壁があって、何をしたって僕はそこには入れないのだ。

知能が足りない、知性が足りない、思考力が足りない、気質として寄り合えない。挙げつかれるほど理由は挙げられる。そんなしようがないことを何度も繰り返し続けてきたからだ。ないものはない。行けないものは行けない。

能力や気質に見合わない渇望を、世の人々はどうやって潤しているのだろうか。天才たちに凡才と呼ばれて、どうやって心を保っているのだろうか。あきらめたのだろうか。悟ったのだろうか。そもそもこんな子どもじみた考え方をしているのは自分だけなのだろうか。

こういうことを言っていると、数多見てきて脳に巣食った、ありとあらゆるものに対するアンチが一切合切を論破していく。努力せずに何を夢見ているのか。がんばろうとしないで愚痴っているだけで変われるわけがない。ただ自己顕示欲を満たしたいだけの哀れな奴。幼稚な考え。アダルトチルドレン。才能っていう言葉に囚われすぎて可哀想。

ただ、才能のある人たちが羨ましい。才能のある人は才能があるからその羨望を知らないだろう。才能がないから知っているかどうかも知らないが。こんなふうに書いていると、本当に子どものままなんだと思う。偽らなければ子どものままだ。自覚はあるのに子どものまま。自覚があると勘違いしているだけかもしれない。

とにもかくにも、才能のある人からすれば哀れな奴だし、そうでない人から見ても、みっともない哀れな奴だ。

2022.02.07~2022.02.12(12~20/68篇)

2022.02.07(12/68篇)
「じゃがいもエルフ」「ある日没の細部」(ともに1924年)を読む。

「じゃがいもエルフ」は、今のところ一番よかった。小人症の芸人である「じゃがいもエルフ」ことフレデリク・ドブスンは、仲間の手品師の妻と不倫をする。小人症がゆえの性の悩みを抱えていたからだ。まともに相手にしてもらえない彼をペーソスたっぷりに描いた作品である。

自分が勝手に思い描いていたナボコフ作品にようやく出会えた感じがあった。哀愁と皮肉と絶望とユーモアの配分がちょうどよく、オチもいい。

小人症で思い出すのが、子どもの頃よく見ていたプロレス番組に出てくるホーンズワグルというレスラーで、彼が自分よりはるかに巨大なレスラーに立ち向かっていくのを(最大で90cmほどの身長差があった)、観客や実況は笑いながら囃し立てていたが、背の小さかった僕は笑えなかった。

小人症の人の悩みとか苦しみというものがわかるとはいえない。けれども、小さい人間というのはそれだけでコンプレックスを抱えている場合がある。小さいものは基本的には弱い。見下ろされる。そういった物理的な経験は、精神的な経験にいつの間にかすり替わっている。見下され、馬鹿にされる。より問題なのは、それが染みついてしまうことだ。そうではないのに、見下されているように感じてしまう。

こんなことを書いているとなんでこの話が一番よかったと思ったのか疑問だ。多分、こういった生々しい感覚を、ユーモアとペーソスで処理してくれているからだろう。笑えはしないが、しみじみくる。

「ある日没の細部」というタイトルは、変更されたものらしい。元のタイトルは「惨劇」という。

まだわかったような口をきくには時期尚早だけれども(ダサいけど、知ったかぶりをしないというのは大事なことだ)、ナボコフは「光」とそれに関する言葉をよく使う。この話は特にわかりやすい。「日没」がそれにあたる。

マルクがパブから出て友達と別れたころには、炎のような夕焼けが運河のあいだで頬を染め、雨に濡れた遠方の橋は金色に細く縁取られて、その上を黒い小さな人影が行き交っていた。
時計を見やったマルクは、家には寄らず、まっすぐフィアンセのところに行くことにした。幸福と夕刻の清澄さに、頭が少しくらくらした。鮮やかな赤銅色の矢が、車からとび降りた伊達男のエナメル靴に突き刺さった。黒いあざに縁取られた乾きかけの水溜り――アスファルトの生きた目――には、やわらかな夕方の灼熱が映っていた。建物はいつもと同じ灰色だったけれども、屋根、最上階に施された塑像、金色の避雷針、石の丸屋根、飾り柱――昼間は上を見上げることがめったにないから誰も気がつかない――それらはいま、鮮やかな黄褐色の光と夕日のふわりとした暖かさを一面に浴びていた。それゆえ、上方の張り出し窓やバルコニーや軒蛇腹や円柱は、その黄色い輝きによって下方のくすんだファサードとのあいだでくっきりとしたコントラストをなし、魔法の事物のような思いがけないものに見えた。(「ある日没の細部」毛利公美 訳)

主人公のマルクはフィアンセのクララと婚約し、約一週間後に結婚を控えて友達と酒を飲んで幸せに生きていたのだが……という話で、そんなに珍しいものでもないとは思うが、大事なのはきっとこういった「細部」なんだろう。翻訳であるから実際どうなのかはわからないが、この描写には、幸せなマルクに対応する描写と、その先の不幸に対応するような描写が両義的に含まれているんじゃないだろうか。

「矢」が「突き刺さった」だとか「灼熱」だとかは、「鮮やかな黄褐色の光と夕日のふわりとした暖かさ」と対照をなしているように思われる。上方の窓やバルコニーや軒蛇腹や円柱の「黄色い輝き」と、下方のファサードの「くすんだ」色とのコントラストも、幸福と不幸を暗示しているようにも見える。

こういった印象で語ってもしかたがないとは思うけれども、まぁいいか。ナボコフも『ナボコフ全短篇』の注釈で、次のように言っているから、描写に注目すること自体は悪いことじゃないだろう。

この短篇に私が今度つけた新しい題名は、[…]「情景描写を飛ばし読み」するような読者を戸惑わせるに違いない[...]。

2022.02.08(14/68篇)
「ナターシャ」「ラ・ヴェネツィアーナ」(ともに1924年)を読む。

なんか急に完成度が上がった気がする。「ナターシャ」は、よくできているけれど、それがゆえにどこかで見たような話だ。そんなありふれた筋書きだけれど、ナボコフらしいロシアへの郷愁があって、幸せな時間を過ごす若者と対照的に老人の死が描かれている。

「ラ・ヴェネツィアーナ」は、この『全短篇』のなかでも長いほうなのだけれど、それだけ描写が鮮明で、わかりやすく、面白い。イギリスの館を舞台にして、その主人である陸軍大佐、絵画修復師のマゴア、その若き妻モーリーン、大佐の息子フランクとその友達シンプソンが主な登場人物である。

大佐は絵画収集を趣味にしていて、タイトルの「ラ・ヴェネツィアーナ」とは、セバスティアーノ・ルチアーニ(デル・ピオンボ)という実在する画家の作品であるとされている。

ちなみにその元ネタとなったのが、「聖ドロテア」という作品だ。特徴が一致する。

画像1

Wikipediaにあったので拾ってきた(1)。この絵を元ネタにした作中の絵は、次のように描写されている。

絵はたしかにとてもすばらしいものだった。ルチアーニは暖かな黒い背景に半ば横向きのポーズで立つヴェネツィア美人を描いていた。ばら色がかった布の間から浅黒く力強い首が伸び、布地は耳の下で類まれなるやわらかな襞を作っていた。左の肩からはチェリーレッドのマントを縁取る灰色のヤマネコの毛皮が落ちかかっていた。右の手すらりと長めの指は二本ずつに開かれ、今にも落ちかかる毛皮を直そうとしているようだったが、女はそのまま凍りつき、絵の中から黒目がちな瞳で悩ましげにじっと見つめていた。手首のまわりを白いバチスト生地のさざ波が取り巻く左手で、黄色い果実を入れた籠をもち、濃い栗毛色の髪に細い王冠の形の髪飾りがきらめいている。女の左側には黒い色調を遮って大きな四角い奈落が口を開け、夕闇の空気へ、曇りの宵の青色がかった緑の深淵へとまっすぐにつづいていた。(「ラ・ヴェネツィアーナ」毛利公美 訳)

たまたまだけれど、最近西洋美術の本を読んでいて、池上英洋さんの『西洋美術史入門』を読み終え、佐藤直樹さんの『東京藝大で教わる西洋美術の見かた』を読んでいて、その後ろには三浦篤さんの評判高い『まなざしのレッスン』やゴンブリッチの『美術の物語』が控えている。

僕のようなずぶずぶのド素人が『西洋美術史入門』から読んだのは正解だったようで、この本はコントラポストやエクフラシスやアトリビュートなどかっこいい言葉をたくさん教えてくれた。そのおかげで「ラ・ヴェネツィアーナ」の引用部分がエクフラシス(作品記述)であると今はわかる。

そもそもなぜ西洋美術に興味を持ち出したかというと、一つには山口つばささんの『ブルーピリオド』という(とても面白い)マンガの影響があって、それは藝大受験を描いた漫画で、才能に対する屈折や、向き合い方や、表現に立ち向かう怖さなどが丁寧に、それは丁寧に描かれていて、最新の11巻などは開高健の「裸の王様」なんかも思い出されてとてもよかった。藝大や絵画に関するマンガなので、当然西洋美術についても触れられるし、主人公が選択するのは王道? の油絵なのだから、興味を持つのは当然と言えば当然なんだけど、『ブルーピリオド』以前にも西洋美術への興味を搔き立てた本があった。

それは高山宏の『近代文化史入門』であり、その中で紹介されているいくつもの本であり、中でもワイリー・サイファーという人の四部作(『ルネサンス様式の四段階』『ロココからキュビズムへ』『文学とテクノロジー』『自我の喪失』)だ。何年か前に『ルネサンス~』に手を出したら、まったく歯が立たず、涙ながらに本を閉じた記憶がある。

今、入門をへて読み始めていると、まったく景色が違っているのに驚いた。それまでの僕は、イギリスの宗教改革が美術となんのかかわりがあるのか知らなかったし、ミルトンの描く『失楽園』が反宗教改革派の芸術に特有なヴィジョンによって生まれたということの不思議さを不思議と思わなかった(僕は絵画のような偶像崇拝を否とする清教徒のミルトンが、偶像崇拝の方向性を打ち出して信者を増やそうとした反宗教改革派と同じヴィジョンを持つことの違和感というものをまったくもって理解していなかった。もちろんこの理解は誤読・誤解かもしれないが)。

手順を踏むことで読めなかった本が読めるようになるという喜びを、久方ぶりに味わった気がした。

話がそれた。「ラ・ヴェネツィアーナ」だ。これは面白い。昨日「じゃがいもエルフ」がこれまでのなかで一番面白いと書いたけど、一日で越えた。ちょっと幻想的な一面もあって、その描写が絵のエクフラシス(使いたい)によって映えている。モーリーンとフランクのこととか、マゴアとシンプソンのこととか、謎を残す檸檬のこととか、いろいろ書くべきことはあるが、ここまでにしておく。

(1)聖ドロテア (絵画)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%86%E3%82%A2_(%E7%B5%B5%E7%94%BB)

2022.02.09(16/68篇)
「雷雨」「ドラゴン」(ともに1924年)を読む。1924年のナボコフはすごい。

どちらも非現実的な話。「雷雨」では預言者イリヤがベルリンに落ちてきて、「ぼく」と一緒に車輪を探す。幻想的な語りで壮麗な情景が描かれている。また、

家に帰ると、風が部屋の中でぼくを待ちうけていた。(「雷雨」毛利公美 訳 以下同様)
目を覚ましたのは、夜がばらばらに壊れはじめたからだった。

など、印象的な比喩が散りばめられている。サイファーを読んで美術と文学の関係を考えているからかもしれないが、次の引用などは映像が鮮明に浮かび、言葉から圧力を感じる。それはたとえば絵画の、塗りこめられた絵具や色調から受ける印象に似ていた。

いまその中庭では、息詰まるような夕闇がふくれ上がりつつあった。しかしそのとき、中庭の深みへとなすすべもなく後ずさっていた盲いた風が、再び上のほうへ手を伸ばし始めた。そして突然、風は視力を取り戻して舞い上がり、向かいの黒い壁に開いた琥珀色の穴の中でいくつもの腕や乱れ髪のシルエットが右往左往して逃れようとする窓枠を捕まえ、大きく音を響かせて固く窓を閉めた。窓の明かりが消えた。次の瞬間、轟音がなだれ、遠雷が動き出し、暗紫色の空を転がり落ちていった。そして再び、すべてがひっそりと静まりかえった。

言葉が本当の意味で”効果的”に使われている。言葉のひとつひとつが絵具のように頭の中のイメージに色彩を塗りつけていく。もちろんサイファーを読んだからそう思われるだけなのだろうけど。

「ドラゴン」は、コミカルなファンタジーで、言われなければナボコフが書いたとは気づかないような題材だ。叙事詩『ベオウルフ』のパロディらしい。そこで殺されたドラゴンの息子が、千年の引きこもり生活を経て、現代に現れるという筋だ。皮肉が効いていて、これも面白い。ドラゴンの描写が秀逸。

この日はいろんな本を読めたし、珍しくうまくいった一日だった。なかでも、小島信夫の『私の作家遍歴』がよかった。以前から読もうとして図書館から借りていた。

音読したのだが、それがよかった。基本的にあまりしゃべらない日中を過ごしているので、最初は声を出すとゼイゼイ声になって苦しかった。だけれど、しゃべりなれてくると、小島信夫の文章の読みにくさや引用されるハーンの文章の心地よさを楽しめるようになる。

最初は読みながら話を理解することができなかったが、だんだんと読みながらでも情景が浮かんでくるようになる。これは続けてみたい。

2022.02.10(18/68篇)
「バッハマン」「クリスマス」(ともに1924年)を読む。

「バッハマン」は、ナボコフが創造したピアニスト兼作曲家・バッハマンと、その愛人マダム・ペローフとの物語を、興行師のザックが「わたし」に語るという話だ。

絵画的な描写の説明もそうだが、ナボコフは音楽の説明もうまい。

バッハマンは比類なき手腕を持って対位法の声を呼び出して分解し、不協和音にみごとなハーモニーの印象を与え、さらに彼の『三重のフーガ』では、優美さと熱情を込めて主題を追いながら、あたかも猫がネズミを追いまわすようにして、もてあそんだ――主題を解き放つかと見せかけながら、つぎには突然、一瞬の狡猾な歓喜のうちに鍵盤に覆いかぶさり、勝ち誇ったかのようにしてその主題に襲いかかるのである。(「バッハマン」加藤光也 訳)

このほかにもフーガに関する文章があったような気がして探したのだけれど見つからなかった。それは別の小説のものだった。

まるでこうした一つづきの天気が一年の遁走曲(フーガ)の終りの迫奏(ストレット)であるかのように結合している――思いがけぬ天気、定見のない恋愛、予知されなかった関わりあい。遁走曲の中で迂闊に過ごされかねない月なのだ。奇妙なことに、あとになってしまうと、二月、三月の風やら雨やら情熱やらというものは、この都市では思い出されることがなく、まるでそんなものは存在しなかったかのように感じられるのだ。(トマス・ピンチョン/志村正雄 訳「エントロピー」『スロー・ラーナー』・筑摩書房・2008年)

短篇ですらごちゃまぜにしてしまう脳を呪いたいが、この二作品のフーガの偶然を喜ぶべきなのかもしれない。

「クリスマス」は、昆虫採集に夢中だった息子を亡くした父の話。(多分)ロシアの寒々しい冬が、息子が生きていた夏と対比されることでよりいっそう辛いものに感じられる。

注ではナボコフがこの短篇のことを「チェスで「セルフメイト」と呼ばれる型の問題と奇妙に似たところがある」と述べている。セルフメイトとは、僕もよくわからないのだが、どうやらチェス・プロブレム(詰将棋のようなもの?)の問題のうち、黒白の協力なしに詰める種類のものを指すようだ。セルフ=自分で、メイト=詰み、ということらしい。ちなみに黒白の協力込みだとヘルプメイトというらしい。

これが「クリスマス」という短篇とどう似ているのだろうか。読んでもよくわからなかった。若島正さんがどこかに書いているだろうか。

朝はnoteを書いていた。

書き終わると本の整理をした。

ばらばらに積み重ねられていた本を分類した。現象学や現代日本の小説、小林秀雄と山城むつみ、ボルヘス、マルクス主義、『ミドルマーチ』などの英国文学、サリンジャーやレイモンド・カーヴァ―、SF、クッツェー、カルヴィーノとオースターの三部作、クイーンや阿津川辰海さんのミステリ、ドゥルーズや児童文学についての本、世界史や日本史や歴史哲学、ベンヤミン、都甲幸治さんや柴田元幸さんや巽孝之さんのアメリカ本など。

『西洋美術の見かた』を読んだ。

小島信夫の『私の作家遍歴』を音読した。

鍋のふたのガラスの部分を割ってしまった。

夜は妻と辛口のハヤシライスを作った。

久しぶりにワインを飲んだ。すぐに酔ってしまった。

夜はピンチョンを読んでいた。すぐに寝てしまった。

2022.02.11
今日はナボコフはお休み。

買い物に出た。行く途中でハヤブサを見た。トビかもしれない。でも斑点があったし多分ハヤブサ。

野生のハヤブサなんて見たことなかった。地元では昔はトビが頭上を飛んでいたけど、帰省するともういなくなっていた。

前に住んでいたところではカワセミを見たことがある。思えば昔は鳥にハマっていた。普段見られない鳥を図鑑で見て、描き写していた。自分で探すということはしなかった。でもカワセミやハヤブサが好きという記憶だけかすかに残っていて、だから一瞬でも遠くにいてもなんとなくわかるのだろう。

書店に行った。

苺大福とみたらし団子を買った。

キッチンペーパーを立てかけられるやつを百均で買った。

夜は妻と焼きそばを作った。スープは、最近ハマっている鹹豆漿(シェンドウジャン)にした。豆乳と酢を混ぜてほろほろにするやつだ。近所の肉屋で買ったそぼろのひじき煮がおいしかった。

2022.02.12(20/68篇)
「ロシアに届かなかった手紙」(1924年)「復活祭の雨」(1925年)を読む。

ナボコフはロシアのことがけっこう好きだったのかも知れない。

ピンチョンの『スロー・ラーナー』を読み終えた。精神的にひどく疲れている。原因はわからない。

2022.02.14~2022.02.18(22~30/68篇)

2022.02.14(22/68篇)
「けんか」「チョールブの帰還」(ともに1925年)を読む。読み始めは重くて持ちにくかった『ナボコフ全短篇』が今では不思議と持ちやすく思え、セカンドバッグのような気持ちで片手でも安心してつかめる。

「けんか」は、海水浴をする「私」の隣にいた居酒屋の主人と、その娘と付き合っている電気工(と思われる)男との喧嘩の一幕をスケッチしたものである。

前の日記にも書いたのだけれど、ナボコフ作品には時々優れて絵画的なタッチの描写がなされることがある(と思われる)。この「けんか」もそうで、実際、トップ画に載せたブリューロフの『ポンペイ最後の日』という絵画(『ポンペイとエルコラーノの壊滅』というジョン・マーティンの描いた作品もあるので、本当にこの絵かどうかは定かではないが)に喩えられた場面もある。

最後にその居酒屋に行った晩は、私の記憶では、蒸し暑く、いまにも雷雨が襲ってきそうな晩だった。やがて風が激しく吹きはじめ、広場の人びとも地下道の階段めざして走り出した。外の灰色がかった暗がりでは風が、『ポンペイの崩壊』の絵のなかでのように、人びとの服を引きちぎろうとした。(「けんか」加藤光也 訳)

ナボコフ(1899年生)のちょうど一世紀前に生まれたブリューロフ(1799年生)は、ロシアで初めて国際的な名声を得た画家であって、『ポンペイ最後の日』は、プーシキンとゴーゴリも評価していたらしい。「けんか」の末尾にはこうある。

この出来事で誰が間違っていて誰が正しかったのか、私にはわからないし、それを知ろうとも思わない。物語に別な展開をたどらせて、娘の幸せが一枚の銅貨のために台無しにされたことを同情を込めて描いたり、エマが一晩じゅう泣いて過ごし、明け方近くに寝込んでから、夢のなかで、彼女の恋人を殴るときの父親の狂ったような顔を再び見たことを描いたりすることもできただろう。が、ひょっとすると、大切なのは、人間の苦しみや歓びなどではまったくなくて、むしろ、生きた肉体の上での光と影の戯れや、この特別な日の特別な時間、またとない独特な方法で集められた些細なことがらの調和のほうなのかもしれない。(「けんか」加藤光也 訳)

「人間の苦しみや歓び」といった、物語の人物の内面性よりも「生きた肉体の上での光と影の戯れ」という絵画的な描き方の方が重要視されているように思われなくもない。ここではストーリーというよりも、スナップショット的な、「特別な日の特別な時間」という一瞬間を定着させる画面が、そしてその画面上の「調和」が大事と言われているような気がする。

「チョールブの帰還」は、妻と共に家を出たチョールブという男が、妻を亡くして帰還する話。チョールブは妻との新婚旅行の道程を辿り直して、最初に止まったホテルに帰ることになる。

バレンタインデーということもあって、妻がチョコを作ってくれた。ムースとショコラだった。

付き合ってから毎年チョコを作ってくれて、毎年美味しい。今年は特に美味い、と毎年思っている。チョールブみたいにとり残されたくないと今年は「チョールブの帰還」を読んだので思った。

高橋康也さんの『エクスタシーの系譜』を読んでいて、「愛」と「死」について考えざるをえない。多分、チョールブはこのあと死ぬんじゃなかろうか。

自分はきのこの醤を作る。油が多いということを除けばまあまあの出来。これは『孤独のグルメ』に出てきたやつで、きのこ「の」醤の「の」の部分が気に入ったので作ってみた。多分きのこ醤だったら作っていない。

※トップ画はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%82%A4%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%97%A5_(%E3%83%96%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%95%E3%81%AE%E7%B5%B5%E7%94%BB)による。

2022.02.15(24/68篇)
「ベルリン案内」(1925年)「剃刀」(1926年)を読む。

「ベルリン案内」は地味だけどいい。ナボコフも「単純な見かけにもかかわらず、この「案内」は私のもっとも手の込んだ作品の一つである」と言っている。正直どう手が込んでいるかなんていう説明は僕にはできないけれど、これはいい、と思った。

冒頭にはこうある。

午前中には、動物園を訪問してきた。そしていま、いつもの飲み仲間でもある友人と、一軒のパブにはいるところだ。店の空色の看板には「レーヴェンブロイ」と白く刻まれ、ビールのジョッキを持ってウィンクするライオンの絵がついている。腰をおろすと、ぼくは友人に、下水管や、路面電車や、そのほかの重要なことがらについて語りはじめる。(「ベルリン案内」加藤光也 訳)

このように、「ぼく」は「ぼく」が見てきたベルリンの案内を試みる。写実的に切り取られた場面や風景が丁寧に描かれている。読んで思わずはっとしたのが、以下の引用だ。

起動馬車は消滅したし、やがて路面電車も消滅するだろう。そして、この時代を描き出したいと望む、二〇二〇年代の誰か奇矯なベルリンの作家は、技術史博物館にでもでかけていって、古風に湾曲する座席のついた、黄色い、不格好な、百年前の路面電車を捜し出し、昔の服飾の博物館では、ぴかぴか光るボタンのついた、車掌用の黒い制服を掘りあてるだろう。それから帰宅して、過ぎし時代のベルリンの街路についての記述をまとめあげることだろう。あらゆるもの、あらゆる些事が、貴重で意味深いものとなるだろう。車掌のカバン、窓の上にかかる広告、われらのひ孫たちがおそらくは思い描くであろう、あの独特のガタガタ揺れる動き――あらゆるものが、その古さのせいで高貴なものとされ、正当化されるだろう。(「ベルリン案内」加藤光也 訳)

なんと、ナボコフが2020年代のことを予測しているではないか(あくまでも語り手の「ぼく」が、ではあるけれども)。ナボコフが百年後に思いをはせたように、ぼくは百年前のナボコフに思いをはせた。

百年前のベルリンの路面電車については、このウェブサイトに詳しく載っていた。1924年製とドンピシャである。

さて、ナボコフは路面電車の消滅を予言しているけれども、実際はどうなったのだろうか。

ウィキによれば、ベルリンの路面電車はまだ生きており、「ベルリンの市電網は現在においてもドイツ最大の規模であり、過去の部分廃止を経てもなお、世界最大級の路線網の一つでもある」。だそうである。

路面電車消滅についてのナボコフの予想は外れてしまったようだけど、2020年代のベルリンの作家で、過ぎし時代の路面電車を描き出す人が出てくるという予想は当たっているのだろうか。

現代ドイツ文学については僕はまったく知らないけれど、ナボコフと同時期にベルリンを描いた作家には思い当たった。

僕の好きな小説の五指に入る『ベルリン・アレクサンダー広場』を書いたアルフレート・デーブリーンだ。『ベルリン・アレクサンダー広場』は1927年に書き始められ、1929年に刊行された。「ベルリン案内」と同時代である。『ベルリン・アレクサンダー広場』で語られる市電というのは例えばこんな感じだ。

六十八番系統の市電は、ローゼンタール広場から、ヴィッテンアウ、北駅前、病院前、ヴェディング広場、シュテッティン駅前、そしてふたたびローゼンタール広場、アレクサンダー広場、シュトラウスベルク広場、フランクフルター・アレー駅前、リヒテンベルクを経てヘルツベルゲ精神病院前という経路だ。ベルリンの三つの交通企業、すなわち、市電、高架鉄道および地下鉄、乗合バスは運賃率協定を結んでいる。一般乗車券は二十ペニヒ、学割乗車券は十ペニヒ。運賃割引をうけるのは十四歳以下の子ども、徒弟と生徒。そのほか貧困大学生、戦傷者、歩行障害者もそうで、これらは福祉事業局の証明書を必要とする。さあ、路線系統を頭にたたきこめ。冬季期間中は前方のドアからの乗降禁止、座席定員三十九名、車両番号五九一八、お降りのかたはお早めに申し出てください。運転手に話しかけることはご遠慮ください。走行中の乗り降りは危険ですからおやめください。(アルフレート・デーブリーン/早崎守俊 訳『ベルリン・アレクサンダー広場』・河出書房新社・2012)

これだけだと何が面白いねんとなりそうだけれども、こういった市電の説明だったり、車掌のアナウンスだったり、新聞記事や広告、会話といったもの、つまり有機体としてのベルリンという都市がシームレスに丸ごと描かれているのである。そこが面白い。

そして、今さらながらナボコフとデーブリーンが同時期にベルリンにいたことに思い当たってなお面白い。二人の見たベルリンは違う形で作品となり、再び僕の読む行為の中で出会った。また『ベルリン・アレクサンダー広場』も読み返したい。どこかにナボコフみたいな人がいるかもしれないし。

2022.02.16(26/68篇)
「おとぎ話」「恐怖」(ともに1926年)を読む。

「おとぎ話」は、もてないエルヴィンという主人公が妄想でハーレムを作っていて、偶然出会った悪魔がそれを叶えてくれようとする話。正直あんまりかなというところだけど、注釈でナボコフが言うように、老いぼれたハンバート(ロリータの主人公)がニンフェット(ハンバートが9歳から14歳の少女を指すとして用いている言葉)に付き添っているという描写があることは注意しておくべきなんだろう。ちなみに『ロリータ』は1955年に刊行されている。

でも「恐怖」のほうが好きだった。「恐怖」は、「私」が鏡に映った自分や他人や世界が誰かあるいは何かわからなくなったり、死の前触れを味わった時の恐怖について語る話である。

これもナボコフが言っていることなのだけど、「恐怖」はサルトルの『嘔吐』に先んじた作品であるらしい。

この短篇が多少それと思想的な陰影をともにしているとはいえ、あの小説の致命的な欠陥はけっして共有していないサルトルの『嘔吐』に、これは少なくとも十二年先んじていた。

「この短篇」「それ」「あの小説」「これ」と指示語が多くて何が何だかわかりにくいが、多分サルトルの『嘔吐』と思想的という意味で似たところがあり、先んじていたんだろう。

残念ながら『嘔吐』は未読だが、なんとなく『嘔吐』っぽいなというところはある。

さて、眠れない夜のために心身をすり減らした私が、たまたま訪れた町の中心に歩を運んで、家や木や自動車や人を眺めたその恐ろしい日のこと、突然私の精神は、それらを「家」、「木」などとして――ふつうの人間生活と結びついた何かとして受け取ることを拒んだのだ。世界と私とをつなぐ糸はぷっつり切れ、私は私自身で存在し、世界はそれ自身で存在して、その世界は意味を欠いていた。私はあらゆるもののあるがままの本質を見ていた。(「恐怖」諫早勇一 訳)

なんとなく実存っぽい。

『エクスタシーの系譜』を読み終わり、それがロマン派の「対極の和解」(例えば「多と一」「自然と人間」「世界と私」といったものの和解)の試みについて触れていたので、ナボコフの「恐怖」もそれ以後に断絶していく世界と私、多と一という問題系の中でとらえられるんじゃないかと思った。

とりあえず『嘔吐』を近いうちに読んでおきたい。

2022.02.17(28/68篇)
「乗客」「呼び鈴」(ともに1927年)を読む。

「乗客」では作家と批評家が、言うなれば「事実は小説より奇なり」というようなことを話していて、作家は自らの仕事を人生という小説から気の利いた小さな物語を切り取ってくるようなものだという。その証左として作家が急行列車で自分の上の寝台に寝ている男の話をする。

「呼び鈴」は母と離れ離れになった息子が七年越しに母に会いに行く話。

夜は妻がうまく焼いてくれたハンバーグを食べる。うまく焼いてくれたので、何かできないかと思い、サイゼリヤにあるような二種のソースを作った。ディアボラ風というやつ。

ひとつはハンバーグの上に直接かかっている玉ねぎとパセリのソース。みじんぎりにしてオリーブオイルとにんにくで炒めるだけ。

もう一つはナンプラーやウスターソースや醤油、みりん、砂糖、水などを混ぜてレンチンして作るガルムソース。

どちらも大したことはしてないけれど、妻がいい顔で美味しいと言ってくれたのでよかった。あれはいい顔だった。

『エクスタシーの系譜』を読み終わった。けれど覚えておきたいことが多すぎて逆に覚えていない。呆れる。

とりあえず、ジョン・ダンの詩は読んでおきたい。

2022.02.18(30/68篇)
「クリスマス物語」(1928年)「名誉の問題」(1930年)を読む。

「クリスマス物語」は、主人公の作家が批評家に仕向けられクリスマスを題材とした物語を書こうとする話。

「名誉の問題」は、妻を取られたアントン・ペトローヴィチがベルクという敵に酔った勢いで決闘を申し込む話。これはどうやら決闘もののパロディであるらしい。決闘に至るまでの経緯やその結末など、決闘のロマンチシズムが剥ぎ取られて、なんともいえないもの悲しさに包まれている。

太宰にも「女の決闘」という決闘もののパロディがあったことを思い出す。あれはたしか、「女の決闘」という、森鴎外が訳したオイレンベルクという作家の作品がまるごと入っているものだった。

それはそうと、ナボコフの二篇にはゴーリキーやトーマス・マンの『魔の山』など、同時代の作家への言及があって、ナボコフと同時代のことを考えさせられる。

ロシアとアメリカの作家というイメージの強いナボコフだけれど、ここまで読んできた短篇はほとんどがベルリンで書かれたもののようなので、自ずとドイツやベルリンのことが意識される。

マンへの言及とかまさにそうだろうし。マンは読みたい作家であって、僕は地元の図書館にある合計2000ページ近い『ヨセフとその兄弟』をいつ借りるかよく悩んでいる。

それよりもまず、光文社新書の『文学こそ最高の教養である』というインタビューで、訳者の岸美光さんが「エロス三部作」としている、「ヴェネツィアに死す」「だまされた女」「すげかえられた首」を読まなければならない。「ヴェネツィアに死す」は「トニオ・クレーゲル」と一緒に読んだのだけれど、もうほとんど忘れてしまっている。それにしても、三部作というのは魅力的なくくりだ。読みたくなってしまう。

久しぶりに図書館に行った。

『ジョン・ダン詩集』を借りた。廃棄する本で持っていってもいい本があって、佇まいがよかったので神品芳夫さんの『ドイツ 冬の旅』をいただいた。

画像2

手に取った時はわからなかったのだけれど、神品芳夫さんはリルケの研究者で、『リルケ 現代の吟遊詩人』という本を買ったまま手つかずなのを思い出した。

2022.02.19~2022.03.04(32~40/68篇)

2022.02.19-20(32/68篇)
「オーレリアン」(1930年)「悪い日」(1931年)を読む。

「オーレリアン」は昆虫の標本を収集している男が、海外の蝶を捕まえに行きたいと思っていて、、、という話。タイトルでもある「オーレリアン」とは、古い言葉で黄金を意味し、蝶の黄金のさなぎから転じて「蝶を愛する人たち」を示すようになったという。

「悪い日」は、トルストイに代表されるロシア作家の「子どもの発見」文学とやらに連なるものだと思う。主人公は、ピョートルという名の内気な少年で、コズロフ夫人の長男ウラジーミルの命名日のお祝いに家族と屋敷に来た。そこで他の客の子どもたちと関わることになるのだが、ピョートルはそれが嫌でしかたないようだ。

子どもを描いたものの多くがそうであるように、この物語にも、主人公をいじめる子どもと、主人公が好ましく思う子どもがいる。前者はいとこのヴァシーリイ・トゥチコフで、後者はコルフ男爵の妹ターニャだ。短篇のわりに登場人物というか出てくる名前が多い。そしてまたよくある話で、主人公ピョートルは、ターニャに避けられてしまう。

「コケモモの実、もっと欲しくない?」ピョートルがたずねた。
彼女(ターニャ)は首を横に振るとリョーリャを横目で見て、ふたたびピョートルの方に向き直るとこうつけくわえた。「リョーリャもわたしも、もうあんたとは口をきかないことにしたの」
「でもどうして?」ピョートルは苦しそうに顔を赤くしてつぶやいた。
「だってあんたは気取り屋さんだからよ」とターニャは言葉を返し、またシーソーの上に跳び乗った。ピョートルは、並木道の端にあるもぐらの穴を調べるのに夢中になっているふうをよそおった。(「悪い日」貝澤哉 訳)

なんとなく自分の子ども時代にも覚えがあることで、ピョートルと一緒に悲しくなる。このような記憶とは反対に、トルストイの『幼年時代』などでは、幸せな子ども時代の発見が文学たり得たらしい。

ロシアに「子供時代」はあった――それは何よりも文学的トポスとしての子供時代であり、それはアリエスが子供を発見したのと同様に、ロシアの作家たちによって発見されねばならなかった。
近代ロシア文学の歴史のなかで、「子供時代」を発見したのは、トルストイだった。彼の『幼年時代』は一八五二年に発表され、みずみずしい感性をもった新人作家を鮮やかにデビューさせた文字通りの処女作である。当時トルストイはまだ二四歳。ニコーレンカという主人公の一〇歳の誕生日から、彼の少年時代を回想したこの中編は、地主貴族としてのトルストイ自身の幼い日々の記憶に裏打ちされた、多分に自伝的な作品として知られるが、それは同時にそれまでのロシア文学が知らない「子供時代の神話」とも言うべきものを決定的に形づくる原型ともなったのである。批評家チェルヌイシェフスキーの有名な評言を借りれば、ここでトルストイは若き「魂の弁証法」を、「内的独白」の手法を駆使しながら描き出し、繊細な心理描写と抒情的な風景描写を優美かつ簡潔な文体で織り合わせ、裕福な地主貴族の幸せな子供時代を提示したのである。それは喪失や別離の痛みも伴う切ないものであもあるが、その切なさも含めて、幸せなものだった。語り手はこんな風に呼びかけているほどだ。

幸せな、幸せな、取り戻すことのできない幼年時代! どうしてその思い出を愛さずに、いとおしまないでいられるだろうか? その思い出は私の魂を爽やかにし、高め、私にとって最良の喜びの源泉となる。

アメリカの研究者アンドルー・ワクテルはトルストイとのこの作品がその後一世紀近く、「子供時代」の文学的原型となっただけでなく、社会文化的テーマの源泉ともなり、ロシア文学は様々な疑似自伝小説とも呼ぶべきジャンルの実践を通じて「子供時代を求める闘い」を続けてきたことを示しているが、そうだとすれば、ドストエフスキーとチェーホフはこの「闘い」に逆の側から――つまり子供時代がいかに残酷に踏みにじられるものであるかを示すことによって――参入したとも言えるだろう。(沼野充義『チェーホフ 七分の絶望と三分の希望』・講談社・2016年)

引用によれば、トルストイに対して、ドストエフスキーとチェーホフが子ども時代の残酷さ、悲惨さ、不幸せを描く作家として挙げられている。

では、ナボコフはどうか。そもそもピョートルはナボコフの経験が反映されているのだろうか。

注釈によれば、

この物語の少年は、ほぼ私自身の少年時代と同じような環境に生きてはいるが、私とはいくつかの点で異なっていて、実際私が記憶している自分の姿は、ここでは、ピョートル、ヴラジーミル、そしてヴァシーリイの三人の少年たちに分割されているのである。

とある。もちろん、小説は小説であって作者とまるっきり一緒だと考えるわけはないけれど、ナボコフにもトルストイ、ドストエフスキー、チェーホフに連なる子ども時代を題材にした作品があるということはいえると思う。

そして、ナボコフは「悪い日」に描かれたように、トルストイのような幸せな子ども時代ではなくて、ドストエフスキーやチェーホフのような、不幸せな子ども時代を描いたようだ。

もちろん、トルストイのものは「幼年時代」であって、ナボコフのものは明らかに少年であって、トルストイの『少年時代』を読んだら、そちらの系譜に属するものかもしれないし、そもそもこういう考えが的外れなのかもしれない。

それはまあしかたないとして、ナボコフは少年を三人に分割したと言っているが、主人公・視点人物がピョートルであるのはなぜなのだろう。ヴァシーリイのようないじめっ子は文学にならないからだろうか。ヴラジーミルなどは特に出てきもしない。ピョートルの苦い思い出だけが文学になり得たのだろうか。

2022.02.21 (34/68篇)
「忙しい男」「未踏の地」(ともに1931年)を読む。

己の魂の働きに気を配りすぎている人間は、ありふれていて、憂鬱ではあるが、かなり奇妙な現象に出会わざるをえなくなる。すなわち、つまらない記憶が、つつましい一生をひっそり終えようとしていた人里離れた養老院から、偶然の機会によって呼び戻され、ぱったりと死に絶えるのを目撃するのである。それはまばたきをして、まだ脈を打っているし、光も反射している――ところが次の瞬間には、すぐ目の前で、最後の息を引き取って哀れな爪先をそらせるのは、現在のぎらぎらする光の中へとあまりにも急に移行したことに耐えきれなくなったからだ。後に残ったもので好きなようにできるのは影だけで、追憶の簡略版にすぎず、残念ながら、オリジナルが持っていた魅惑的な説得力など消え失せている。(「忙しい男」若島正 訳)

このような魅力的な主題の提示からはじまる「忙しい男」は、グラフィツキイという十歳から十五歳のあいだに見た三十三歳での死を予言する夢に悩まされている。彼は三十二歳で、夏に三十三歳になって、ありとあらゆる死の予感に怯えて一年を暮らすことになる。

僕はこの話の筋書きというよりは、先の引用がいいなと思った。もう一度読み返している。やっぱりいい。

少し前、妻と幸せな子ども時代について語り合ったことがある。僕は記憶力に乏しいほうだが、それでも断片的な記憶はあった。たとえばそれは、川遊びで掬ったオタマジャクシであったり、河川敷での花火大会で売られていた光ブレスレットの落とし物であったり、祖父の家でした『ファイナルファンタジー10』であったりした。

不幸なことももちろんあったのだが、幸せな記憶も多くある。そうした子供時代の経験、原風景が自らを形作るなんてことは言いつくされているけれど、自らの身においてそれを再確認する行為というのはやはり新鮮なことで、他人の話を聞くのとは違ったものになる。

そうした幸せな子ども時代を語ってはいたのだが、同時に少し物足りなさも感じていた。あの時の興奮や光の捉え方、音の聞こえ方、物語の受け取り方は、今の僕にはもう不可能なことだ。ということを考えていたから、冒頭の引用に深く頷くことになったのだろう。

ナボコフは「つまらない記憶」と言っているけれども、幸せな記憶もきっと同じで、たしかに僕が今語れる、イメージできる記憶は、あくまでも簡略版でしかない。少し寂しい。

「未踏の地」は、私、グレグソン、クックといった登場人物が、未踏の野生林で植物や昆虫の調査を行う話。

※以下ネタバレを含みます。



私とグレグソンは、クックにそそのかされた(のかもしれない)助っ人の現地人の人夫にテントやら食料品やら採集品やらを盗まれる。クックは原住民に置いてかれて、二人のところに帰ってくる。クックは帰ろうと言い出すが、二人は沼地へ探索に行く。私は幻覚を見せる熱病(?)にかかっていて、葦の茂みが見える岩地で休むことになる。グレグソンとクックは争い、同士討ちになる。最後の力を振り絞って私はノートに記録しようとしていたが、力尽きてしまう。

おかしい。私が死んだとしたら、誰がこの物語を書いたのだろうか。

ということで、これは世にいう「信頼できない語り手」であって、過去に読んだなかでは、「バッハマン」がそうだった。ナボコフなんていかにも信頼できなそうな語り手が好きそうだが、意外と読んだなかではまだ二作品目かもしれない(佐藤亜紀さんの『小説のストラテジー』によれば、後に書かれる「フィアルタの春」がそうらしい(論の主眼はそこに向けられていないようだけど))。

未踏の地での採集の憧れは、前回読んだ「オーレリアン」でもあったが、そこでは実際に行くことは叶わなかった。この作品では行けることは行けるが、その場で死ぬ。散々である。

ル=グウィンの『文体の舵をとれ』を読んでいる。これは『ゲド戦記』の作者として高名なル=グウィンが開いたワークショップを書籍化したものだ。そこでは〈練習問題〉が各章にあって、戯れに一問やってみた。そもそもこの日記をはじめた理由の一つに、自分自身の文体を見つけたかったというのがあったので、文体に注力したこの講義はきっと力になってくれるだろう。

第一章では、文体の響きやリズムの重要性が語られて、知ってる作家や知らない作家の文章が引用されて、声に出して読みあげていたら、次のような問題が出た。

〈練習問題①〉文はうきうきと
問一:一段落~一ページで、声に出して読むための語りの文を書いてみよう。その際、オノマトペ、頭韻、繰り返し表現、リズムの効果、造語や自作の名称、方言など、ひびきとして効果があるものは何でも好きに使っていい――ただし脚韻や韻律は使用不可。
(アーシュラ・K・ル=グウィン/大久保ゆう 訳『文体の舵をとれ ル=グウィンの小説教室』・フィルムアート社・2021年)

素人の身のひと踊りと思って書いてみることにした。内容は気にせず、リズムがいいなと思う言葉をひねりだし、キーボードを叩いた。

街は明るさを取り戻していた。その小さな取るに足らない明るさは、やがて歩き、駆け足になり、走り出し、飛ぶように駆ける。それと同時に、暗闇に隠されていたひびや傾き、吸い殻やなにかの紙、割れたアスファルト、薄汚れたシャッターなどが明らかになる。光はあまりにも速く、暴力的なまでに街の醜いところを暴いていった。それは闇が街を覆うのとは対照的だった。闇は遅い。光の暴力性に耐えながら、じっくりじんわりと闇は傷を隠していく。チョコレートのように世界をコーティングして、あまい夢に誘う。あまりにも単純な光と闇の二項対立から君が導き出したのは、あまりにも単純な結論だった。僕は歩き出した。夢も闇もない街を。かかとを鳴らした。打ち鳴らした。スキップした。走り出した。光よりもずっと遅く、闇よりももっと遅い。足を関節がきりきりというまで伸ばす。遠く。もっと遠く。筋肉が切れる。骨が軋む。指がつる。望むことのできない速さの代りに、精いっぱい伸ばした足。それは負ける。勝負に破れる。足首をひねって僕は倒れ込んだ。泣きだす。君を思って泣きだす。鳥が鳴く。ざわめきが光ほどの速度を出せずに走っていった。アパートに帰りついて、氷を出した。足首にあてがい、目の上に手を置く。今は何も考えなくてもいいだろう。


読み返してみると本当に内容が御粗末なのだが、声に出したらリズムは悪くないんじゃないかと、、、思いたい。恥を忍んで妻に見せたら、妻はすごく褒めてくれた。その後、妻も書いてくれて、それは僕よりもずっとよいものだった。二人して嬉しくなった。


『ナボコフ全短篇』も気づけばもう半分まで来ていた(34/68)。体感としてはすごく早い。けれどナボコフについては全くわかる気がしない。最初の方は忘れてきている。「翼の一撃」の茶褐色の天使だけが忘れられない。
数少ない読んでくださる方、反応をくださる方に感謝申し上げます。

2022.02.22(36/68篇)
「再会」(1931年)「アカザ」(1932年)を読む。

「再会」は、ロシアを離れドイツに住む弟・レフとロシアに残った兄・セラフィムとの十年(以上)ぶりの再会を描いた話。住む国や政治的心情や暮らしぶりのまったく異なった兄弟と会った時の気まずさがリアル。

「アカザ」は、国会議員の息子で、多分小学生くらいのプーチャという視点人物が、父が決闘するということを知り、恐怖に襲われるという話。

三人称だけど内的焦点化をしているので、決闘がどのようにして行われるのかとか、いつ行われるのかとかよくわかってない語り。そのために父の命がいつどのようにして失われるのかわからない、なぜ失われるかもしれないのかが理解できない恐怖感がよく伝わってくる。

語りに着目しながら読んだのは久しぶりで、それもル=グウィンの『文体の舵をとれ』に出てきたからだった。娯楽として読むだけならともかく、書くとなると視点(=焦点化)は意識せざるをえないというのはもっともだ。

視点を意識しながら読むのは久しぶりで、楽しかった。

ちなみにル=グウィンはナボコフの語りに否定的で、ナボコフの一行一行立ち止まらざるをえない美しさというものはあまり好きでないようだ。たしかにナボコフの比喩ってわかりにくいものが多い。外国人の感性だからとか漠然と思っていたけれど、どうやらナボコフの癖らしい。

ナボコフには光を液体として捉える比喩も多い。正直、光を液体のように感じたことがないのでピンと来ない比喩だなと思っていたけれど、繰り返すうちにだんだんわかってくるような気もして、ナボコフはナボコフで読んでいて楽しい。ただ、ル=グウィンのいうこともわかる。

2022.02.23(38/68篇)
「音楽」「完璧」(ともに1932年)を読む。

「音楽」は、ヴィクトル・イヴァノヴィチという男が、音楽会で別れた妻を遠目に見る話。別れたのは妻の浮気が原因だった。イヴァノヴィチは知らない音楽を聴くことが苦手で、また、元妻と同じ空間にいることに気まずい思いをしていた。

音楽が二人を塀のように取り囲み、二人の牢獄のようになってしまったからだ。そしてこの牢獄の中で、ピアノが冷ややかな音響の丸天井をつくりだし支え続けることを止めないかぎり、彼らは二人とも囚われの身をかこつ運命だった。(「音楽」沼野充義 訳)

だが、演奏が終わると、イヴァノヴィチは音楽が二人の空間を作っていてくれたことに気づく。

そのときヴィクトル・イヴァノヴィチは悟ったのだった。たしかに音楽は最初、狭苦しい牢獄のように思われた。その牢獄の中で二人は音に縛られて、互いからほんの六、七メートルの距離に坐っていなければいけなかった。しかしそれは実際には信じがたいほどの幸せだったのだ。音楽は膨れ上がった魔法のガラスのように二人を取り囲み、中に閉じこめ、彼女と同じ空気を呼吸できるようにしてくれた。(「音楽」沼野充義 訳)

音楽が終われば、二人を囲っていた空間は砕け散ってしまう。なくなってはじめてイヴァノヴィチはそれを知る。

間に挟まれる回想——なれそめや妻が浮気を告白する台詞など――も含めて、よくできた構成だと思う。

「完璧」はダヴィドという子どもの家庭教師をしているイヴァノフという男が、ダヴィドの母親に頼まれて、夏休みの間彼を海水浴に連れて行くことになる話。

この話はちょっと前に読んだ「悪い日」のテーマの一つ、「幼年時代」が取り上げられる箇所がある。前にも書いたとおり、「幸せな」ものとしてトルストイに発見された「幼年時代」は、チェーホフやドストエフスキーの文学には反措定として表れたらしく、「悪い日」を読むかぎりナボコフも同様だと思われたのだった。

今回の「完璧」では「幼年時代」は次のように表されている。イヴァノフに焦点化された地の文。

おれの幼年時代がしたことと言ったら、ささやかな興奮したモノローグを自分だけに聞かせることだった。こんな三段論法を組み立てることができる。子供はもっとも完璧な種類の人間だ。ダヴィドは子供だ。したがって、ダヴィドは完璧だ、と。こんな目をした少年には、色々な機械の値段のこととか、店で五十ペニヒ分の商品をただでもらうために、どうしたらちょっとでも多くのクーポン券を集められるか、なんてことばかり考えているわけにはいかない。彼が蓄えているのは、もっと別のこと――魂の指先に自分の塗料を残していく、鮮やかな幼年時代の印象の数々なのだ。(「完璧」沼野充義 訳)

イヴァノフは、彼の「幼年時代」と比較して、ダヴィドの「幼年時代」の大切さを考えている。「完璧」というタイトルは、一つには子どもにかかっている。

ただ、ナボコフの作品なだけあって、「幸せな子ども時代」をダヴィドが経験するということはない。ダヴィドがしてしまうことを考えると、この作品には、「幼年時代」というテーマに対するひねくれた見方があるように思われる。



2022.02.24、ショッキングなニュースが流れた。自分は、少なくともSNSではこのような出来事に関して発する言葉を持ちえない。

ただ、本当に悲しい。

2022.03.04(40/68篇)
「さっそうたる男」(1932年)、「海軍省の尖塔」(1933年)を読む。

「さっそうたる男」は、行商する男が女性をかどわかす話。「ぼくら」という人称が使われているが、コンスタンチンというかどわかす男が主体として動いているものの、語り手がどこにいるのかはわからない。そういう意味では難しい作品だ。

「海軍省の尖塔」は、『海軍省の尖塔』という小説を書いた女性と思われる人物にあてて書かれた手紙という体裁をもつ話。

手紙を書く「私」は、『海軍省の尖塔』の書き手に対して、過去の自分と交際していた女性を勝手にモデルにしたうえにその思い出を改悪したと非難する。

これはナボコフの実際の経験を材料にしているらしく、そのうえで、テクスト上の人物はあくまでも創作であることが注釈では強調されている。

私小説においても問題になることの多いモデル問題そのものが、ナボコフの経験と、テクスト上で自らの経験を勝手に作品化される男とで二重に取り上げられている作品だ。



前回の日記から一週間以上が経過した。

自分はまだこのひどい状況について語る言葉を持ちえない。

多分僕の力では、何を言っても現実の悲惨さを表象することができないし、誤解を生むこともあるだろうし、それならば沈黙することが一番できる最善のことなのではないかと思っている。

これはあくまでも僕個人の話であって、ほかの人が語るのは自由だし、それについて何も思うことはない。

けれども、今、言葉は氾濫している。今までにないくらい言葉が飛び交って、誰かを幸せにしたり、不幸せにしたり、生かしたり、そして殺したりしている。

僕は言葉に対して、基本的にラフでいたいと思っていた。ただの記号であって、軽いもの。必ずしも深刻に捉えなくてもいいもの。透きとおり、浮遊し、見えても見えなくてもいいもの。

ただし、感情を乗せると重みが出る。深刻になる。色がつく。目に見える。人に多大な影響を与えるようになる。昔の僕は、言葉の記号的な側面と、感情という人間的な側面と、両方を意識していたと思う。

でも、今はそうはいかないだろう。言葉の使い手がいくら言葉を透明化し、軽量化し、軽薄に扱おうとも、受け手の多い現在では、誰かがきっと色をつけ、重くとらえるだろう。

それは決して受け手が悪いのではない。

そして、必ずしも使い手が悪いのでもない。誹謗中傷を除いた場合には、きっと誤解もあるのだろうし、おそらく悪気もないのだろう。ただ、風船のように言葉を浮かばせただけなんだろう。

けれど、誰かがそれを爆弾だと思い、信じるがゆえに、本当に風船が爆弾になってしまうこともあるだろう(本当は爆弾という言葉も使いたくはない)。

だから、言葉の使い手は、注意を払わなければならない。そうでなければ沈黙するのが一番だ。黙っていて困ることはない。これは言論封殺ということではなくて、人間そんなにしゃべらなくてもいいじゃないかということだ。

もちろん僕は矛盾している。今ここに書き連ねていることが、誰かを傷つけるかもしれないのだから。

でも、それでも書きたい言葉があったとき、そういうときになってはじめて言葉を使ってもいいのだと思う。そういう時代になってきていると思う。綿毛を蹴とばすように言葉を吐くということは、なかなか難しくなっている。

息苦しいといえば息苦しい。こういう大上段にかまえてしゃべろうとするからダメなのであって、ケースバイケースですり合わせていくしかないのだろうな。

2022.03.05~2022.03.14(42~50/68篇)

2022.03.05(42/68篇)
「レオナルド」(1933年)、「環」(1934年)を読む。

「レオナルド」にしても「環」にしてもナボコフの作為的な構成が印象的。

「レオナルド」は、言葉によって小説が形作られている過程が語られている。

素材は呼び出しを受けてさまざまな場所から集められ、集積されていくのだが、なかには空間的な距離だけでなく時間的な距離を乗り越えなければならないものもある。集めるのによけい手間がかかるのはどっちだろう。空間の放浪者か、はたまた時間の方でしょうか。たとえば、近所に植わってはいたけれど、もうだいぶ前に伐られてしまったポプラの木、それとも、今でもあるにはあるが、場所はここから離れているという選りすぐりの中庭なのでしょうか? さあ、どうか答えをお急ぎください。
ほらどうです、卵型のちっちゃなポプラが、点描のような四月の緑におおわれて早々と到着し、支持されたとおりの場所に落ち着いているじゃないですか。それは背の高い煉瓦塀のそばだけれど、そいつもほかの街から根こそぎ持ってきたものだ。その向かい側には、大きくて陰気で汚らしいアパートがにょきにょきと背を伸ばしていき、安っぽいバルコニーが抽斗みたいにつぎつぎに飛び出てくる。中庭のあっちこっち小道具が並べられる。樽、おまけにもうひとつの樽、仄かな木陰、壺らしき物、それに壁すそに立てかけられた石の十字架。(「レオナルド」貝澤哉 訳)

言葉が紡がれていくごとに世界が立ち現れていくさまが、自己言及されている。読んで行くごとに世界のパーツが一つずつ組み上がっていくように思える。

ナボコフは、先に世界観があるタイプだろうか、それとも書いていくうちに世界観を作り上げていくタイプだろうか。言葉によって世界が立ち現れていくことそのものに言及したこの作品を読むと、後者であるようにも思える。

僕の浅薄な知識のなかの前者の代表は、『グイン・サーガ』で著名な栗本薫で、後者の代表は森見登美彦である。なぜこの二人かというと、どちらも自らそういうふうに書いていると言及しているからだ。

栗本薫の場合、頭の中に世界観がすでにあって、それを言葉にしているだけだそうな。

森見登美彦の場合、言葉が紡がれることによって世界や人がどんどん立ち上がり、作られていくらしい。

先にナボコフは後者のタイプじゃないかと思ったのだが、むしろすでにある記憶を素材として、それらを布置することで世界観を作り上げていくようにも思える。だから前者と後者のハイブリットとでも言えるのかもしれない。まぁでも結局、どちらにももう片方の要素があるのだろう。無駄なことを書いたものだ。

「環」は、「第二に、突然、狂おしいほどロシアのことが懐かしくなったからだ」という一文からはじまる。

「第一」はどこやねんとツッコミたくなるが、それがこの短篇の肝であって、「第一」は一番最後に置かれている。だからこその「環」というタイトルである。

このような工夫が見られるようになって、ナボコフがどんどんイメージしていたナボコフに近づいているような気がする。

2022.03.06-07(44/68篇)
「告知」「ロシア美人」(ともに1934年)を読む。

「告知」は息子の死を知らないほとんど耳の聞こえない老婆に周りの人がどう伝えたものか苦心する話。シームレスで焦点化が移り、最初は混乱する。ル=グウィンはナボコフのこういうところが好きではなかったのだろう。

「ロシア美人」はオリガという女性の(注釈によれば)細密画のような話。1900年に生まれ、お嬢様として育てられ、革命で転落し、ドイツで落ちぶれて暮らしている。やがてドイツで結婚するも……というほとんど説明みたいなものだ。

2022.03.08(46/68篇)
「シガーエフを追悼して」(1934年)「動かぬ煙」(1935年)を読む。

「シガーエフを追悼して」は、語り手である「私」の友人であるシガーエフへの追悼文、かと思いきや「私」とシガーエフとの仲が語られるという内容である。「私」は恋仲のドイツ人に浮気され、絶望しているところにシガーエフに助けてもらった。シガーエフについての細部——たとえばユーモアのなさとか話がつまらないこととか自分の周囲をかりそめの約束事とする捉え方とか――は、きっと世界を立ち上げるために必要なことなのだろうけれど、今の自分にはそれを楽しむ余裕がなくて、それが残念だった。

「動かぬ煙」は、母が死に、姉と父が喧嘩している家で「彼」が姉に頼まれて父の煙草をもらいに行く話。発表当時にはもういなくなっていた亡命口シア人を描いたものだそうである。でも、この「彼」の部屋に閉じこもる感じとか、妄想とか想像とか幻想に囚われている様子、鬱屈した感じ、小説が並べられている様子なんてのは近代以降いつどこでも見られるものだったんじゃないかと思う。

2022.03.09-12(48/68篇)
「スカウト」「人生の一断面」(ともに1935年)を読む。

「スカウト」は、姉を亡くし生きる意味を失っていた老人が、知り合いの教授の葬式から帰るところを描いた作品。

と思いきや、語り手の「私」がベンチに座り込んでいた老人を見てそのような設定を当てはめていたのだった、という趣向になっている。

職も家族も生活も自由に動くからだも、何もかも失い、あとはもう死ぬだけという老人の悲哀と安堵が入り混じった描写が、突如反転してしまう構造は、いまや珍しくはなさそうだけれど唸らせるものがある。やはりナボコフの細部の描写がうまいからだろう。

「人生の一断面」は、ある男に片思いをしていた女性が語り手で、その男が妻に浮気されて女性の弟に会いに来た場面からはじまる。これも片思いをしていた女性の内部の心理であったり、冷めてしまった恋心の自覚であったりが細かな描写がうまいなと思わせる。

ナボコフは、言語遊戯の側面に目がいきがちだけれど、こうした細部の描写であったり説明であったり、情景を描くのがうまい。言い尽くされていることだろうけど。

四日ほど日記をさぼってしまった。故なきことではなくて、ことさらに寒い今期の冬でできた結露で、本棚にカビが生えてしまったので対策をしていた。

妻に教えてもらったところによると、二重窓が結露対策によいとのことだったので、重い腰を上げて作ってみた。

コーナンで三十分以上悩んでレールや枠、窓の素材などを選んで、なんとか一時間ほどで作った。

画像3

加えてぷちぷちが断熱によいとのことだったので、翌日に作った。

もう暖かくなってきてしまい時すでに遅しの感があるけども、朝結露ができることはなくなった。加えてプラダン製の窓とぷちぷちとで水分が棚に及ぶことはないはず。

本を少しばかりもつというだけで、床の心配やカビの心配をしなくてはならないなんて納得がいかないが(それでなくともソフト面での悩みや苦悩があるというのに)、どうしようもないからしかたがない。

達成感はあるものの疲れてしまったので、しばらく本が読めなかった。しかし、48篇まできたので、順調に進めばあと10日で読み終わるだろう。

2022.03.13-14(50/68篇)
「マドモワゼル・O」(1939年?)「フィアルタの春」(1936? 8年?)を読む。ともに1930年代後半に書かれたようだが、注釈を見ても馬鹿な僕には判断がつかない。

「マドモワゼル・O」は、ナボコフの記憶を題材とした作品の内のひとつで、改稿されたものが回想録『決定的証拠』(自伝『記憶よ、語れ』)の第五章の一部になっているらしい。記憶をテーマにするナボコフの作品は「悪い日」や「忙しい男」など、これまでにもあり、亡命と追憶と表象といった問題が俎上に載せられている。それはこの作品でも同じであって、冒頭から記憶とそれを表象することで失われるものについての言葉が綴られている。

よく経験することだが、小説の登場人物たちに私の過去の大切な思い出を与えてしまうと、突然押し込められた造りものの世界の中でその思い出はやせ細ってしまいがちだ。それは依然として頭の中に消えないでいるとはいえ、そのぬくもりや、思い返すときに感じる魅力は失われてしまい、芸術家の侵害など許すはずもなかった以前の自分よりも、私の小説と同化してしまう。かつての無声映画によく見られたように、家々は記憶の中で音もなく崩れてしまい、一度、ある作品の中で一人の少年に預けた年配のフランス人女性家庭教師の肖像は、見る見るうちにかすんでしまい、いまでは、私自身の少年時代とはまったく関係のない別の少年時代の描写に取り込まれてしまった。一人の人間である私は小説家の私に反撃を試みる。以下の物語は哀れなマドモワゼルから、まだ失われていないものを救い出そうとする、私の必死の試みである。(「マドモワゼル・O」諫早勇一 訳)

引用のようにこの作品はマドモワゼル・Oという家庭教師を描いたものである。

僕は記憶力が壊滅的なので、ナボコフのように幼年時代を筆にのせて鮮やかに映し出すこともできないし(その代償として思い出は死ぬらしいけれど)、ナボコフと同年生まれのボルヘスみたいな人間離れした記憶力が持つ瑕疵なんて想像もつかない。ただうらやましいと思うだけだ。

思い出の死を経験するほどに鮮やかな記憶などもっていない。

それはともかくとして、YouTubeにあった「みんなのつぶやき文学賞」の結果発表の最初のところだけをちらみしたのだけど、関西に住んでいることもあって、京都文学賞を受賞されたケズナジャットさんの『鴨川ランナー』が気になった。結果発表会では、外国人が母語以外と関わりを持つ際の戸惑いがひとつの特徴として挙げられていて、それが「マドモワゼル・O」にも描かれているからだ。

彼女の発音通りに綴ると「ギディエ」[…]というこの単語は、「どこ?」の意味だったが、実際にはたくさんのことを意味していた。迷子になった鳥のしわがれた叫びのように発せられるこの単語には、強く問いかける力があって、それで彼女の要求はすべて足りた。「ギディエ」、「ギディエ」と、自分の居場所を見つけるためだけでなく、とてつもなく深い悲痛を表現するためにも彼女はうめいていた。自分がよそ者であり、遭難者であり、無一文のまま、最後には受け容れてもらえるはずの約束の地を求めて苦しんでいるということを表現するために。(「マドモワゼル・O」諫早勇一 訳)

僕は『鴨川ランナー』をまだ読んだことはないし、そこには母語以外の言語に対する理解という側面もきっと書かれているのだろうと思うけれど、ナボコフが書いたようなこういった一面もあるんじゃなかろうか。

「フィアルタの春」は、「ぼく」とニーナという不倫相手の女性の多分に偶然な出会いと別れを描いた作品。

ナボコフの短篇の代表作のようだけれど、どうにも読むときに疲れてしまっていて、情けないことにあまりぴんと来ていない。フィアルタが架空の地名で、ヤルタという土地が元ネタのうちのひとつかもしれないということはわかった。



これを書いている合間にも、僕は自分への怒りがふつふつと湧いてきて、やがてふすーと空気が抜けるようになって、情けなさだけが残る。

2022.03.15~2022.03.19(52~60/68篇)

2022.03.15(52/68篇)
「雲、城、湖」(1937年)「独裁者殺し」(1938年)を読む。

「雲、城、湖」はベルリンに住む語り手「ぼく」が、代理人であるヴァシーリイ・イヴァノヴィチ(推定)の身に起こった、亡命者の親善旅行で出来事を語ったものである。

(推定)というのは、「ぼく」がヴァシーリイ・イヴァノヴィチと思われる男の名前を正確に覚えていないからであり、ヴァシーリイ・イヴァノヴィチという名前は、先の「スカウト」という短篇で語り手がベンチに座っていた見知らぬ老人を元に考えついた死を待つだけとなった人物の名だ。

ヴァシーリイ・イヴァノヴィチというのは、ナボコフの短篇では語り手が焦点化する「代理人」であって、その語り手は小説家という設定であって、ということは信用できない語り手である。

だから、「雲、城、湖」における親善旅行でのヴァシーリイ・イヴァノヴィチに対する同行者たちの執拗ないじめは、おそらくテクスト上における創作なんだろう。

雲と城と湖というナボコフが何回も描いてきた故郷の光景にヴァシーリイ・イヴァノヴィチは希望を見出して、ずっとここに住むことを願うのだが、同行者たちによって無理やり引きはがされ、列車内でリンチを受ける。

この希望を見出した途端にそれが奪われる筋立てからは、亡命者ナボコフの自傷行為が感じられるようで、痛々しささえ感じられる。

「独裁者殺し」は、レーニンに向けられたであろうストレートな批判が感じられる作品。

独裁者である「彼」は、語り手「私」のかつての顔なじみである。冒頭からありあまる憎悪が「彼」に向けられていて、今の状況とも重なって、拍手喝采というよりは、読んでいて辛くなっていった。

彼の権力と名声が増大するにつれて、彼に負わせてやりたい罰の重さも、私の想像力のなかで膨らんできた。だから、最初のうちは選挙で敗北したり大衆の熱狂が冷めれば満足できたはずなのに、やがて彼の投獄を求め始め、さらに時が経つと、孤独と恥辱と無力が形作る永遠の地獄の底を示す黒い星印のように、たった一本の椰子の木だけが生えたどこか遠いのっぺりとした島への流刑を求めるようになった。そしていまでは、彼が死ななければ満足できなくなった。(「独裁者殺し」諫早勇一 訳)

こうして「彼」の青年期のことや現在の演説のひどさなんてものが語られていくのだけれど、やがて「私」は自分のなかにある「彼」を殺すためには自分が死ぬしかないというところまで来る。

そう思った瞬間に、「私」は「錬金術的ともいえる変容を遂げる」。「私」は「彼」に「あなたは私たちの誇りです、栄光です、御旗です」というようになる。

もちろんそのまま終わるはずもなく、最後の章ではそれがひっくり返されることになる。

ところが、笑いが私を救ってくれた。憎悪と絶望をところん味わってから、私は滑稽なものを鳥瞰できる高みに到達することができた。心からの歓びの笑いは、子供向けのお話の中で、「プードルの愉快ないたずらを見ているうちに、喉の腫れ物が吹っ飛んだ」紳士と同じように、私を癒してくれた。手記を読み直しながら、彼を恐ろしい存在にしようとして、実は滑稽な存在にしたに過ぎないこと、そして、それによって彼を処刑したこと――古めかしいが、確かな方法だ――に私は気づいた。(「独裁者殺し」諫早勇一 訳)

アイロニカルに独裁者を描くことでそれを「殺す」という抵抗のしかたがある。ナボコフは古めかしいと言いながらもそれを用いた。おそらく文学にできる最低限で唯一の抵抗なんだろう。

最後の文章はいろいろなことを考えさせる。

私は奇跡を信じている。私にはわからない何らかの方法で、明日でも明後日でもない遠い未来に、この手記は他の人たちの手に渡るだろうと私は確信している。その時が来れば、今日の悩みに劣らず愉快な新しい悩みを目前にしても、一日くらい考古学的な発掘を楽しむゆとりはあるはずだから。そして、ひょっとすると私がたまたま書いたものが不滅のものとなって、何世紀ものあいだ、ある時は迫害され、またある時は称えられ、しばしば危険視されながらも、いつも有益な書とみなされないとも限らない。そして、「骨のない影」である私にとって、忘れてしまった過去の眠れない夜々の成果が、将来の独裁者たち、虎のような怪物たち、人々を虐げる間の抜けた迫害者たちに対する密かな特効薬としてこれからも長い間役立つとすれば、これほど愉快なことはない。(「独裁者殺し」諫早勇一 訳)

2022.03.16(54/68篇)
「リーク」「博物館への訪問」(ともに1939年)を読む。

「リーク」は、リークという名の俳優が、幼少期に彼をいじめていた母のいとこの子であるコルドゥーノフと再会し、金をせびられる話。

「博物館への訪問」は、「私」が友人に頼まれて、博物館に友人の祖父の肖像画があるのか、あるのなら買い取れるのか、買い取れるのならいくらで買い取れるのかを確認してきてくれと頼まれる話。


ひたひたと新生活の足音が迫ってくる。嫌だなと思う反面、何をすべきかをあれこれ考えている。noteでHSPの記事を見つけて、前からそうだと思っていたけれど、多くの項目が当てはまってどうやら僕はHSPのようだ。自分で自分のことをそう宣言することにあまり乗り気ではなかったけれど、当てはまるのだからそうなのだろうし、そうなのだから書いてしまう。

日本人の五人に一人はHSPらしい。このあまりにも生きづらい社会にそんなにもいるのかと信じられないでいる。あくまでも自分の観測範囲内という狭い枠の中でしかないけれど、周りの人たちはみな仕事をきっちりこなしているし、覚えも早いし、集中力も高い。自分はそうではないので、うらやましく思い、疎まれることを悲しく思った。なんでできないんだって言われても、心が動いてくれないし、頭が記憶してくれない、感情は落ち着かず騒ぎ続けるし、身体は麻痺したように固まってしまうのだから、しかたがない。たとえば人間にはスパコン並みの計算能力が無いように、素手でビルが動かさせないように、それと同じような困難さが、「ふつう」の人には簡単にできることだとしても、ある。

ベランダから見下ろした先に白い梅がある。それだけはよかった。

2022.03.17(56/68篇)
「ヴァシーリイ・シシコフ」(1939年)「孤独な王」(1940年)を読む。

「ヴァシーリイ・シシコフ」は、詩人のシシコフが「ぼく」に突然話しかけてきて、何人かの仲間と雑誌を作ることを持ちかけるが、出資者の同意を得られず頓挫する話。シシコフは「ぼく」に話を持ちかけた際にはじめに身分証明書としての詩を見せるのだが、それはひどいものだった(と「ぼく」は思った)。だが、それらの詩はくだらない詩人のパロディであって、シシコフが次に見せた本物の詩はすばらしかったのである。なぜこのようなやりとりがあるのか。シシコフは「ぼく」を試したのだろうか。

この小説には興味深い謂れがある。

ベルリンからパリにうつったナボコフは、彼の小説をけなしていたアダモーヴィチという批評家にいっぱい食わせるためのいたずらを思いついた。

彼は、アダモーヴィチが評価するような詩(ナボコフはこきおろしていた)のパロディをヴァシーリイ・シシコフという筆名で雑誌に発表した。アダモーヴィチはその詩に対してどのような評価をくだしたのか。

絶賛したらしい。

ナボコフは楽しくなっちゃって、もうひとつのいたずらをしかけた。それがこの「ヴァシーリイ・シシコフ」という小説を書くことだ。作中のシシコフの種明かしは、そのままアダモーヴィチが絶賛した詩人、ナボコフの筆名である「シシコフ」の種明かしとなる。

シシコフが「ぼく」に最初にヘタクソな詩を見せ、次に「すばらしい」詩を見せたのは、こういう理由によるものらしい。おもしろいね。

似たような話を思い出した。『「知」の欺瞞』という本で知ったことなのだけれど、物理学者のソーカルという人の起こした、ある有名な事件のことだ。もっともそれはナボコフのいうちょっとした「いたずら」にとどまらなかった。詳しいことはウィキにもある。

簡単に言えば、ポストモダニズムを批判するソーカルという人が、ポストモダニズムの学術雑誌に科学・数学用語をちりばめた無内容の論文を送ったところ、掲載されてしまった(査読はなかったらしい)という事件である。これによってポストモダン界に激震が走った。ラカンをはじめとするポストモダニストたちの論述が、難解な科学・数学用語を濫用するだけの、中身のない、理解させる気のないものであったのかもしれない、という問題が俎上に上ったからだ。

僕としては数学・科学用語を濫用すなというソーカルの言い分(の一部)もわからんでもない。実際ポストモダニズムの本を読んでもわけわからんぞと思うことが多いし。でもそれはなんというか、しゃーないなあ的な、微苦笑みたいなものであって、それでいてこの難解さをどうにか理解してみたいなと思わせるところもそういった本にはあるのである。それは、人文学への一定の信頼に基づくものだ。

それに、ソーカルの批判が用語法的なものでしかなく、本質的なものになってないというのもわかる。今でもポストモダニズムの本はたくさん出ているし、それによって更新された知もたくさんあるだろうから、『「知」の欺瞞』を真に受けすぎなくてもいいんじゃないかと個人的には思う。

一方で、論文という形式を逆手にとってフィクションにするという試みもあるようで、それはそれでおもしろそうだな、と思う。はしりは石黒達昌さんの「平成3年5月2日,後天性免疫不全症候群にて急逝された明寺伸彦博士,並びに,」なんだろうか。また、ハヤカワ文庫JAに『異常論文』という小説集があるらしく、いつか読みたい。

「孤独な王」は、北の島国の王の王になるまでの経緯が語られる話。引っかかるのが、王についての説明がなされていたのに突然、次のように

ちなみに、これらはすべて、もはや自由ではない芸術家ドミートリイ・ニコラーエヴィチ・シネウーソフの頭に浮かんだことである。すでに日が暮れており、RENAULTというルビー色のネオンサインが水平に並んで光っていた。(「孤独な王」杉本一直 訳)

と書かれているところ。以後このシネウーソフという男については述べられることなく、メタ的な要素に触れられることもない。

注釈を読んでわかったのだけれど、「孤独な王」は、もともと未完成に終わった長篇の第二章にあたる部分だったらしい。シネウーソフとは妻を失った男で、彼が作り上げたのが、王の治める架空の国だったということだ。その前提を知らずに、それも第二章から読んだからよくわからなかったのだ。とはいえ架空の国の構築力はすばらしいものがあると思う。

2022.03.18(58/68篇)
「北の果ての国」「アシスタント・プロデューサー」(ともに1940年ごろ?)を読む。

「北の果ての国」は、昨日読んだ「孤独な王」と同じく、頓挫した長篇のうちの一章で、第一章にあたる。妻を亡くし悲しみに暮れるシネウーソフが、元家庭教師である日突然「開眼」し、預言者となったファルテルに問答するという話。

「アシスタント・プロデューサー」は、実在した民謡歌手とドイツの諜報機関とも通じていた白軍の指揮者の夫婦をモデルにした作品である。白軍の将軍ゴルブコフが元々赤軍について歌っていた歌手のスラフスカをさらって妻にし、白軍戦士同盟の会長の座を狙うも途中でばれて妻を残して逃亡するというストーリー、の映画を見ているという話。


紀要論集ができあがって、自分のものと、後輩のものを軽く読んだ。愕然とした。後輩の論文は自分が何もできないでいる間に、研究者の文体になっていた。比べて自らの文の稚拙なことと言ったらない。呆れるほどに幼稚だった。誰でも書けそうだ。どうやったらそうなれる?

年を重ねるごとに読むこと、書くこと、考えることがわからなくなっていく。書こうと思っても言葉が浮かばない。自然と言葉が出てくる人がうらやましい。目と頭、そして頭と手との間にスクリーンのようなものが挟まれていて、読んで考えること、考えて書くことがうまく連結していない。老化が早すぎるのだろうか。考えることについて考えるほどの元気もない。

2022.03.19(60/68篇)
「『かつてアレッポで……』」「忘れられた詩人」を読む。

「『かつてアレッポで……』」は、「V」に宛てられた書簡体小説。この書き手の「ぼく」はいかにも信用できない語り手で、手紙の内容は「ぼく」とその妻が大戦中、フランスからアメリカに行くまでの顛末を語るものだったのだけれど、そもそも妻が存在したのか、しなかったのかがはっきりしない。妻は「ぼく」とニースに向かう途中ではぐれてしまって、妻は最初は難民のグループといっしょに待っていたというのだが、なかなかビザがおりない日々のなかで、突然に、はぐれている間に浮気をしたのだという。それも本当かはわからない。結局「ぼく」は最初の説明を受け入れ、引き続きビザ申請に奔走していると、妻がある日いなくなってしまった。しかも、知人たちにはあらぬ(かどうかわからないが)噂をたてて。たとえば若いフランス人と恋におち、「ぼく」に離婚してほしいと頼んだのに拒まれ、一人でニューヨークに渡るくらいなら妻を撃って自分も自殺すると言われた、だとか、彼女の父の話を持ち出されるとお前のおやじなんかくそくらえと言われた、だとか。結局妻は見つからないままで、アメリカ行きの船の上で医者と話すと、「ぼく」は彼女がそもそも存在しなかったことを悟ったという。

「忘れられた詩人」は、コンスタンチン・ペローフという1849年に24歳で命を絶った詩人を讃える会が、1899年に開かれたさいの出来事を語る話。会が始まるニ、三分前に一人の老人がやってくる。ペローフと名乗った。老人はしばらく居座ったが、いかさま師あつかいされて会から追い出された。その後は年金を条件に田舎に戻り沈黙するという要求を吞んだとか、その地方に住む老婆が川の葦間で遺骨が見つかったとか、革命後にペローフ博物館が開かれ、そこにいたとか、そのベンチで死んでいたとか、いろいろな真偽不明な話が語られる。

何を信じていいのかわからない話が連続して、ああナボコフっぽいなあと思いながら読んでいる。

2022.03.20~2022.03.25(62~68/68篇)

2022.03.20(62/68篇)
「時間と引潮」「団欒図、一九四五年」を読む。

「時間と引潮」は、重病から回復した九十歳の自然科学研究者の回想である。近景よりも遠景の方が、つまり近時のことよりも幼少年期のころの方がよく見えるとして、「私」はパリに生まれたこと、西欧を離れたこと、ニューヨークの摩天楼の印象――空を削り取るもの=スカイスクレイパーとしての摩天楼ではなく、夕日の中で、空と摩擦を起こさないそれ――や、アメリカを転々としたこと、寝台車のこと、そして、最後には特別な記憶として飛行機に夢中になったことが語られている。

飛行機のもつパワーでいうと、村上龍の『限りなく透明に近いブルー』あたりを思い出す。

「団欒図、一九四五年」は、同姓同名の人に悩まされる「ぼく」が、同姓同名の人が招かれた団欒に行く話。「ぼく」は同姓同名のそいつが借りた『シオン賢者の議定書』という偽書の返却を図書館から求められたり、レストランで泥酔し三枚の鏡を割った罪で拘束されたり(もちろんそいつがやった)、不法入国したとしてパスポートにスタンプを押すのを拒まれたり(当然そいつが不法入国をした)した。アメリカに引っ越して解放されると思ったものの、やはり間違えられて、誘われてホール夫人という人の開くパーティに行くことになった。そこでは、ドイツ系の博士が大戦におけるドイツを擁護していた。ドイツ兵たちが征服した町でどのような「もてなし」を受けたかについて語られているが、これは(ドイツ系博士の擁護の台詞であることとは関係なしに)今現在の状況と類似しているように思われた。

「[...]ドイツ兵たちが、征服したポーランドかロシアの町に誇らかに入場する場面を思い描いていただきたいのです。彼らはうたいながら行進してゆきます。総統が狂っていることなど知りませんでした。自分たちは陥落した町に、希望と幸福とすばらしい秩序をもたらすところなのだと、無邪気に信じていたのです。その後に起こったアドルフ・ヒトラーの誤算と錯覚によって、せっかくの征服にもかかわらず、彼らドイツ兵たちが永遠の平和をもたらそうと考えたその町が、敵によって燃えさかる戦場に変えられることになろうとは、知る由もありませんでした。美しい軍服姿で、すばらしい装備や軍旗とともに、通りを雄々しく行進しながら、彼らはすべての人、すべてのものに向かって微笑みかけます。痛々しいほどの行為と善意にあふれているからです。彼らは無邪気にも、住民からも同じ友好的な態度が返ってくるものと思っていました。[...]」(「団欒図、一九四五年」加藤光也 訳)

「私」は、このユダヤ人批判を含んだ(反ユダヤ主義の『シオン賢者の議定書』を同姓同名の人物が借り続けていたことが思い出される)団欒に怒りを覚え、「人殺しか、ばか者」と主催者に言い放って帽子を取り違えて帰る。後日、博士が帽子を届けに来て、アメリカでは誰もが自由にものが言え、個人的意見を述べたからといって侮辱されることはないという。「私」は殴ろうと思ったが博士はすぐに出て行ってしまった。そのまた後日、同姓同名のやつから手紙が届き、そこには「私」の出版物のせいで友達が去り、ドイツ軍に逮捕され、パーティで非難したことについての賠償金を請求された。僕にはなんでかはわからないのだけれど、「相手の要求額は実際には、ごくつつましいものだった。

考えることについて、少しずつ考えはじめていこうとしている。とりあえず花村太郎『思考のための文章読本』を読んでいる。

2022.03.21(64/68篇)
「暗号と象徴」「初恋」を読む。

「暗号と象徴」は、精神錯乱で入院した息子に妻と夫が誕生祝いを渡しに行く話。息子の精神錯乱はタイトルにあるように、身の回りで起こることが自分個人の存在に対する暗号めいた言及だと思うようになる「言語強迫症」らしい。生身の人間はそこに加わっておらず、自然現象などによるもののようだ。たとえば、空の雲や木々や小石やにじみや日影のパターンなどに暗号を読み取ってしまうらしい。

「初恋」は、ナボコフの記憶を題材にしたっぽい、ナボコフには珍しい初恋を描いた話。十歳のころの回想で、「私」はフランス南西部のビアリッツという町に海水浴に行っていて、そこでコレットというフランス人の少女に出会う。彼女に対する情熱は、蝶に対する情熱を上回るほど(ナボコフは鱗翅目研究者で、「オーレリアン」などの蝶への情熱を描いた作品もある)だったらしい。結局、駆け落ち未遂などを経て帰途につく際にパリで最後に会って、その初恋は終わったようだ。

2022.03.22(66/68篇)
「ランス」「重ねた唇」を読む。

「ランス」は難解。一読何が書いてあるか判然としないが、なんとなく青年エメリー・ランスロット・ボークという人物が宇宙に行って、そして帰って来たのだと読める。宇宙への旅と、アーサー王の中世騎士道物語が重ね合わされて(ランスという名前も当然それに由来するのだろう)、歪んだレンズのような、あるいは「悪い日」などに出てくる色ガラスごしの景色を見ているような、不思議な読み心地になっている。

「重ねた唇」は、年を取ってから作家になろうとしたイリヤ・ボリソヴィチ・ターリが書いた小説のタイトルがそのまま短篇のタイトルになっている。イリヤ・ボリソヴィチは、言ってしまえば文壇からは軽蔑されるような甘ったるい小説を書いていて、自費出版をしようとしていた。そこに、彼を仲影で馬鹿にしていたエヴフラツキイというジャーナリストが話を持ってくる。彼はガラトフという作家が出版している〈アリオン〉という雑誌に投稿したらどうかと提案し、イリヤ・ボリソヴィチは作品を送ろうとする。すると、ガラトフから手紙が来て、小説を送ってほしいという。彼はエヴフラツキイと繋がっており、資金不足で廃刊になった〈アリオン〉を復刊させるため、資金を捻出するためにイリヤ・ボリソヴィチに働きかけたのである。エヴフラツキイから資金不足で小説が載せられないのだろうと説明を受けたイリヤ・ボリソヴィチは、何も知らずに金を送り、〈アリオン〉は刊行され、イリヤ・ボリソヴィチは変な名前に勝手に改名されて、三ページ半だけ載っていた。彼は有頂天になっていろんな人に手紙を、雑誌を、書評を持ち歩いて見せていた。ガラトフに会うという話が出て、会う予定の前日に、イリヤ・ボリソヴィチはガラトフが行くと言っていた劇場に向かった。多分、サプライズのような気持ちで。そこで彼は、ガラトフ(まだ彼はそうとは知らないが)と知り合いの記者とその妻が話しているのを聞いた。イリヤ・ボリソヴィチは記者の妻にけなされていて、ガラトフにどうしようもない凡才呼ばわりされていた。その後、イリヤ・ボリソヴィチはエヴフラツキイに紹介されたガラトフを突き放して帰ろうとするが、ステッキを忘れたのを思い出した。鉢合わせを避けるため、舞台が始まるのを待っている間、イリヤ・ボリソヴィチは次のように考えていた。

考えてみれば、自分は年寄りで、孤独だし、楽しみも少なく、年寄りが楽しもうと思えば金がいる。考えてみれば、ひょっとしたら今晩にでも、悪くても明日には、ガラトフがやってきて、説明やら、説得やら、釈明をするに違いない。そうなればすべてを許してやるはずだ。そうしないと「続く」は絶対に実現しないのだから。そして彼は、死んでからすっかり世間に認められるようになるとも自分に言い聞かせ、最近受けた賛辞のかけらを拾い集めて小さく丸め、もう一度味わいながら、ゆっくりと前後にふらつき、しばらくしてからステッキを取りに戻っていった。(「重ねた唇」若島正 訳)

僕もよく才能であったり、頭の良さであったりを認めてもらえるかどうかというところを考えていたので、イリヤ・ボリソヴィチと同じ気持ちを持っているといえるのかもしれない。頭の良さであったり、能力といったものをシビアに判断される世界にいるので、決して頭がいいとはいえない僕も小さな賛辞(とは言わないまでも褒められ)のかけらを大事に拾い、時々眺めている。まぁ、ナボコフみたいな天才には本当のところはわかるまいと思いながら。

2022.03.23-25(68/68篇)
「怪物双生児の生涯の数場面」「ヴェイン姉妹」を読む。

「怪物双生児の生涯の数場面」は、体がくっついて生まれた双子の話。ロイドとフロイドという名の二人のうち、フロイドが「ぼく」として語っている。

「ヴェイン姉妹」は、「私」とシンシア、その妹シビルと不倫関係にあったDとの関係性が描かれている。シンシアは非科学的な、オカルト的なものを信じていて、心霊術であったり、小説の言葉を飛ばして読んでいくと(縦読み的な)死者のメッセージであると思ったりしていた。Dからシンシアが亡くなったことを聞いた「私」は、シンシアが幾度なく語っていた霊という存在に恐怖した。

シンシアのことを考えて眠れない(もちろんロマンティックな意味ではない)「私」がようやく眠り、目を覚まし、小鳥の声を聞くと、シンシアが言っていたように、そこに存在の暗示があるとして、解き明かそうとした。この話は次の引用部分で終わりを迎える。

私がいくら頑張ても意識ではなん分離できない。あゆるものが霞んで、黄色い雲にあやく包まれて、ほとどなにひとつ、たかな、手ざわりのる証拠を生み出しうがない。彼女の解不能な謎々も、めしい言い逃れも神との合一というわごとも、すべて思い出が形作るの不可思議な意味がのような波になっ姿なのだった。そて、なにもかもが第に黄色く霞み、妙な幻のようになと、消えていった。(「ヴェイン姉妹」若島正 訳)

太字部分はミスではない。注釈には次のようなナボコフの言葉がある。

この短篇で語り手は、死んだ二人の女性が物語への神秘的な参与を主張するために、最終段落をアクロスティックとして使ったことに気づいていないらしい。

アクロスティックとは折句、つまり、「文章や詩の各行の先頭または末尾の文字をつなげると、ある語句になるという言葉遊び」(コトバンク)である。先ほどの引用部で太字は、「っららはしんしあよ理めーたーは輪たし次微る」である。なんのこっちゃ。

冒頭に、「私」がシンシアの死を伝えるDに出会った日は、吹雪が一週間続いた後の日曜で、「私」は散歩の途中つららの一族を眺めていたとある。「私」はつららとその影への奇妙な執着を見せるのだが、それはなぜか。そういうわけで太字に再注目すると、「っららはしんしあ」と読める。小文字であることに目をつむると、「つららはシンシア」、である。つららの描写の後、次のような描写がある。

ふたたび外に出たときには、もう音も儀式もなくもう夜の帳が下りていた。湿った雪の上のパーキング・メーターが投げかけている長い影法師、瘦せた幽霊が、奇妙に赤みを帯びていて、これは歩道の上にあるレストランの看板の黄褐色がかった赤いライトのせいらしかったが、ちょうどそのとき――そのあたりをうろつきながら、帰り道の途中で今度は運よく青いネオンでできた同じものが見つかるだろうかとぼんやり考えていた、ちょうどそのとき――一台の車がそばに止まって、わざとらしい歓声をあげながら、Dが出てきたのである。(「ヴェイン姉妹」若島正 訳)

注目したのは「パーキング・メーター」である。「っららはしんしあよ理めーたーは輪たし次微る」のダッシュと漢字に目をつむり、先の「つららはしんしあ」をのぞけば、「よりめーたーはわたししびる」である。「めーたー」、そして「しびる」。妹の名前シビル。

ということは、この謎めいた文字の羅列は、「ツララはシンシアより、メーターは私シビル」ということになるのだろう。おもしろい。



ついに、『ナボコフ全短篇』を読み終えた。長かったようで、短かったようで、どちらとも思えるような両義性が、ナボコフを読むということなのだろうか。

短編の歴史を通じてのナボコフの変化や反対に変わらないものなど、おぼろげながら感じるところもあった。たとえば初期のナボコフの「光」は液体であった。直線的であるはずの光の多くが、液体のように感じられる比喩が多用されていたような気がするが、年を経るにつれて、そのような比喩は減っていったと感じた。あるいは色ガラスを通した景色。何かを重ねることで風景や描写や出来事を複雑にし、厚みを加える方法は、ナボコフの短篇のところどころにあらわれるものだと思われる。

この日記もようやく終わりを迎えることができた。途中でショッキングな出来事もあり、頓挫しかけもしたが、なんとか終わることができた。満足のいく書き物ではなかったけれども、書かなかった自分よりはマシだと思いたい。


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