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『ナボコフ全短篇』を読む日記2022.03.18(58/68篇)

「北の果ての国」「アシスタント・プロデューサー」(ともに1940年ごろ?)を読む。

「北の果ての国」は、昨日読んだ「孤独な王」と同じく、頓挫した長篇のうちの一章で、第一章にあたる。妻を亡くし悲しみに暮れるシネウーソフが、元家庭教師である日突然「開眼」し、預言者となったファルテルに問答するという話。

「アシスタント・プロデューサー」は、実在した民謡歌手とドイツの諜報機関とも通じていた白軍の指揮者の夫婦をモデルにした作品である。白軍の将軍ゴルブコフが元々赤軍について歌っていた歌手のスラフスカをさらって妻にし、白軍戦士同盟の会長の座を狙うも途中でばれて妻を残して逃亡するというストーリー、の映画を見ているという話。


紀要論集ができあがって、自分のものと、後輩のものを軽く読んだ。愕然とした。後輩の論文は自分が何もできないでいる間に、研究者の文体になっていた。比べて自らの文の稚拙なことと言ったらない。呆れるほどに幼稚だった。誰でも書けそうだ。どうやったらそうなれる?

年を重ねるごとに読むこと、書くこと、考えることがわからなくなっていく。書こうと思っても言葉が浮かばない。自然と言葉が出てくる人がうらやましい。目と頭、そして頭と手との間にスクリーンのようなものが挟まれていて、読んで考えること、考えて書くことがうまく連結していない。老化が早すぎるのだろうか。考えることについて考えるほどの元気もない。

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