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よみあとんと(読書記録6)

こんにちは。とんとです。

今回の記事は、近代日本を生きた伝説の批評家の読み跡(よみあとんと)です。

よろしくお願いします。

 とりあげる本は、
浜崎洋介さんの『小林秀雄の「人生」論』(NHK出版新書 2021)です。

小林秀雄版「君たちはどう生きるか」的な本でした!


<短めな紹介文>

 近代日本は、考えてみれば非常にいびつな形であった。欧米諸国に立ち向かわんとするために急ごしらえで導入した、「四民平等」「立身出世」「文明開化」「富国強兵」「殖産興業」といった標語からの活動に加えて、かの国に対する「天皇制」をもって、日本は近代化していく。
 その急速な変化によって対応しきれない国体をまるごと体験し、数々の批評文を残したのが、小林秀雄。本書は彼の人生を通して、「人は如何に生きるべきか」をわれわれに問う内容となっている。


<読後の感想>

 志賀直哉に宛てての小説を書くことから始まった(!)小林秀雄の批評家人生が、ドストエフスキー文学の考察や、中原中也との出会い、長谷川泰子との生活などを通して描かれていて、ややもすると神様扱い(批評の祖として)される小林のとても人間臭い面がぐぐっとと入ってきました。 

 当時の知識人やエリート学生が直面した、「葛藤と動揺」が、小林秀雄の批評を生み出す原動力となっていったことが、よく分かる本でした。

 確かに元々日本人の世界観は、八百万の神々に馴染んだアニミスティックなものだったのに、欧米諸国の考えは、正反対の位置づけとなるキリスト教。これではいびつな近代化にもなるワケです。

 芥川龍之介の自殺の衝撃も残る、昭和最初期の日本の暗澹たる雰囲気を、著者の浜崎さんが、うまく描いていました。

「西洋的教養では人を救えないのではないか」
「個人主義は人の支えにならないのではないか」
「自由が自由だけの力で自分を保つことはできないのではないか」

そういった今の時代にも言えるような大問題がこのときに明るみになっていました。

 そんな中、横光利一らの<新感覚派>でもなく、マルクス主義の<プロレタリア文学>でもない、第三の眼<批評家、小林秀雄>の登場は、当時非常に鮮烈だったのだろうなと思いました。

 また、小林秀雄が徹底した現実主義者であり、直観を重視した非常にバランス感覚の良い批評家であったことを再認識しました。


<振り返り>

 今回は以上です。

 振り返りとしては、小林が考えるヒントにしたであろう、内村鑑三の「砧木の幹」のメタファーを、彼が生涯でどれだけ掘り下げていくことが出来たのだろうかという点に興味がわきました。

 また、西欧の知識を武器に思索や批評をしてきた小林が、晩年は絵画や本居宣長に注目していったことが、彼の成熟にどれだけ影響があったのかや、現代人にとってもその方法は有効であるのかどうかという点も気になっています。

 あと、批評めいたことを書きますが、
 私が思うに、現代人はもう既にすっかり「葛藤」を捨てて「外的なもの」だけを優先して生きるような人生が当たり前になってしまっていると感じます。
 もう一方で、もし「葛藤」をもって「内的なもの」を重視して生きることを取った場合は、メンタルを病んでしまいかねないです。
 要は、両極のバランスをとって均衡点を見いだすことが大切だと思うのですが、これは微妙な思索・作業・言動になるので、非常に難しいと思います。
 でもだからといって、大衆に流されないように自分の足で立って流れに抗っていけたらと思います。

 私もどうにかして小林秀雄のようなバランス感覚を保って成熟したいと思うようになりました。

 それでは、ご一読頂きありがとうございました!

とんと

<キーワード>

・接ぎ木と「砧木の幹」
・武士道のエートス(士魂)
・「幻(ヴィジョン)を見る人」
・「人生は一行のボオドレエルにも若かない」
・10年間で3度の恐慌
・処女作「蛸の自殺」
・ハイデガーの「解釈的循環」
・ナロオド

<キーパーソン>

・正宗白鳥(1879-1962)
日本の文学者。小林秀雄の論敵。


・河上徹太郎(1902-1980)
日本の評論家。『日本のアウトサイダー』など。小林秀雄より学年1つ上。同級生に富永太郎。


・カール・レーヴィット(1897-1973)
ドイツの哲学者、ユダヤ系。東北大学で教鞭をとったこともある。ハイデガーの弟子でもある。


・長谷川泰子(1904-1993)
グレタ・ガルボ似の自意識強い女優だったそうで、神経症(質問病?)だったそうです。


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