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好きな曲
※C-PTSDからの回復の記録です。
希死念慮、虐待に関する記述があります。
フラッシュバックを起こしそうな方は読むのご注意ください。
昔好きだった曲を聴いて泣いてた。
元気だったと思っていた頃に好きだった曲なのだけど、歌詞を改めて聴いていたら、死にたい人へ向けた歌だった。
もう少し生きてみようよ、と背中を押す歌だった。
まだ涙と鼻水が止まらないので、鼻をすすりながらこれを書いている。
カウンセラーさんに、あなたにとってそれはまだ、今、なんですね、と言われたことがあったな。
完了しないままの痛みが私の人生を引きずり回して、ズタズタになって、だけど道の途中で誰かから貰っていた小さな優しさや見つけて拾っていた小さな希望をかき集めて、私はまだ生きている。
友達が電話してくれた。
ほっとした。
自分ではそこまで辛いつもりはなかったのに、何かわかったのかな。
今まで依存していたものを断ち切ったから、どうしてもストレスに弱くなっている。
これからの希望が見えると、少しずつでも進む勇気が出てくる。
少しずつでいいって思う。
諦めなかったらきっとどこかに道は繋がるのだ。
あの頃好きだったアーティストさんも、今は何人か亡くなってしまっている。
同じ人を好きだった人のコメントを読んでいると、悲しみや惜しむ声が、自分の気持ちとリンクする。
いまはもういない彼らにも越えられなかった何かがあったのだろうか。
当人にしかわからない思い、わからない決意がある。
こちらの物差しではかっていいことではない、と思う。
泣いているうちに、曲が明るい曲になっていた。
励まされたり、涙を流したりしながら、私はなんとか生きてきた。
これからも生きていくのだと思う。
ただ、治療や回復へのアプローチによって、少しずつでも心の荷物が軽くなっていけばいいなと、もしもそうなったら嬉しいなと思う。
性的虐待の話を認識してから、現実と分断されたような毎日を送ってきてしまっていたな、と思った。
ここからが始まりだから、まだ難しいけれど、つらい記憶に向き合ったり治療法を調べたりする時間を区切って、今の自分の毎日に目を向けるようにしていきたい。
あれからまるで世界がひっくり返ってしまったように感じていたけど、落ち着いてこれば、案外何も変わらなかった。
いや、この状態が本来だったのだと、今は以前よりいろんなものがよく見えるからそう思う。
そして現実は何も変わらずそこにある。
いつの間にか季節は冬に向かっている。
寒いけれど、澄んだ空気を吸いに外に出ようかな、と窓の外の夕陽を見ながら思う。