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なおすとか治さないとか。
※複雑性PTSD治療中の話です
※気持ちの吐き出しと整理と記録です
※フラッシュバックなど起こしそうな方は読むのご注意ください
結局カウンセリングはやめた。
これからどうするかも決めてない。やさぐれてる。
こんなんなら、SM続けてればよかったんじゃないか?
酒も飲み続けてればよかったんじゃないか?
気を抜くと寂しさに呑まれていく夜がある。
自分が悪いのはわかってるんだけど、指摘されたことだって症状なんだし、そこを引き留めて寄り添って隣で一緒に歩いてくれる人じゃないと回復を手助けしてくれるパートナーにはなり得ないと思うんだ。
だからカウンセリングやめたことは納得してる。
でも。
こんなことなら、お父さんのこと、いい父親だって思ったままの方がよかったんじゃないかな?
技術系の専門職で、頭がよくて、社員旅行で海外に行った時にぬいぐるみを買ってきてくれた。
うれしかった。動物好きだったから。
なんかね、もう許してもいいんじゃないかな?
そりゃ、やられたことは決定的に間違ってたと思うんだけど、恨むのも、怒るのも、悲しむのも、私は疲れちゃったよ。
あの頃お父さんは解雇されて気持ちが荒れていたんだよ。
仕方がなかったんだよ。
お父さんが解雇されたあと、お母さんが私に、昔好きだった人と結婚すればよかったって話をしてきたのを覚えてる。
そんな女だから、妻に頼る訳にもいかなかったんだろうし、何かよくわかんないストレスとかが私に向いたんじゃないかなあ。
仕方がなかったんだよ。
お父さんにされたことより、専業主婦だったお母さんが働きに出ないといけなくなって、あからさまに不機嫌になって、家事しないの当然みたいな感じに開き直ってたことの方が嫌だった。
洗濯機を回すことだけはやってくれてたけど、干すのは毎日私だったし、朝ごはんの菓子パンはなかったら私が前日に買って机に積んでおく流れになってた。誰も食器を洗わないので私が洗ってた。流しに食器が積まれてると誰かが不機嫌になるし自分も困るから。ごはんを炊くのは私。おかずは母が作ってれば食べるけど、寝込んでたりしていて作れない日は私が作る。ごはんができたあと家族に声をかけに行くのはいつも私。風呂掃除も掃除機かけるのも私。
正直そっちの方がよっぽどしんどかった。
大人になってからも思ってたけど、身体なんか差し出せば終わるし痛いのも苦しいのもそのうち終わる。減るもんじゃないしって本当そう。ずっとそう思ってた。
そんな中でも宿題もちゃんとやって、前日のうちにランドセルの中身の準備して、本読んで寝る、みたいな暮らしができていたから、私はそんなに悲惨なメンタルでもなかったんだ。朝起きて、年下の兄弟を起こしてゴミを出して戸締りして鍵かけて家を出る。それがその頃の日常だった。
思春期に崩壊したけど。
まあ、なんだろう、なおさなくっても、私なら生きていけるんじゃないかな?ってことが言いたかった。
遅かれ早かれ自分の感覚を遮断していたツケは回ってきたのだろうと思うし、それがアイデンティティの確立だなんだと迫られる思春期の頃に来たのは当然の結果だと思う。
その後は何にも治ってないのにめちゃくちゃ無理して前だけ向いて生きてきた。
だからまた自分に向き合わざるを得ない段階に来てるんだろうな。
仕事の問題。人間関係の問題。問題は山積みだ。
どこでどう治療というものを進めたらいいのか、考えあぐねてる。
今はよくわからないから、目の前のことだけやっていこうと思ってるけど、これって小学生の頃と同じなんだよなって思うとげんなりする。
私の人生はずっと同じところをぐるぐると回っているのだろうか。
好きな曲を聴く。コメント欄に励まされる。私はひとりじゃない。でもそう感じられる人はいつだってネットの向こうの誰かだ。
やっぱ寂しい。
そう感じる夜もあるんだ。