私がむすめにたくさん "かわいい" を伝えるわけ。
衝撃的なできごとがあった。
とある週末。
私は生理でソファから起き上がることもままならなかったので、夫がむすめと二人で出かけてくれた。
電車に乗って大きな駅まで行き、構内でお昼ご飯、むすめは ”しろのあいす”(ソフトクリーム)も買ってもらい、帰りはバスに乗って帰ってきたらしい。
この辺りでは
まだまだバリアフリーのバスに当たることは稀で、
降りる際にベビーカーをバスから下ろすことに難儀していたところ、
同じ停留所で降りた中学生の女の子二人が手伝ってくれたらしい。
ここまで聞いて、
「わあ、いい子達がいて助かったねぇ」
と和んでいたら一転、
その女の子達は、
たぶん聞こえてるなんて思わなかったのだろう、
娘のことを「今は可愛いけど、大きくなったらそんなだよねぇ」と言いながら帰って行ったらしい。
”そんな”って、何?
わたしは、
絶望的な悲しみでも、
憤怒というほどの怒りというわけでもないけど、
なんだか言い表しようのない、
とにかくずっとじんわり、後味が悪い心地がした。
「 私がむすめにたくさん”かわいい”を伝えるわけ 」。
親が我が子を可愛いと思い、それを伝えることに明確な理由が要る気もしないし、
わざわざそんなことを書くのは野暮だと思って、
タイトルだけ入力して
ずっと下書きに放置していたけど、
このことをきっかけに少し掘り下げたくなったので、
書いてみる。
朝起きて、夜一緒に眠るまで、
私はむすめに何回「かわいい」って言ってるかな?
起きたての不機嫌そうなお顔も、
ひとりで階段を上りリビングに来られるようになったところも、
朝一番のぎゅーをする瞬間も、
最近になって「トイレ行く」と言えるようになってきたこと、ぷりぷりのお尻、
朝ごはんは好きなものしか食べないとこ、
毎朝みかんを要求し無い日には号泣するところ、
ジャムを挟めばパンを食べるようになってくれたところ、
食べ終わったらソファで眉毛を触ってまったりしているところ。。。
今、朝の場面を思い出すだけで、
こんなにもかわいいなって思って、
かわいいねって言ってる。
回数とかの次元じゃないや。
こんなむすめにメロメロな私でも、一度だけ、
「可愛く産んであげられなくてごめんね」って、思ったことがある。
それは、むすめが産まれてくれてから割と間もない頃。
ホルモンバランスが崩れ、
精神的にやられていたのもあると思う。
むすめは私に似て、鼻が小さいし低い。
顔もまんまる。
お目めは旦那さんに似て、薄い奥二重。
父母それぞれのコンプレックスな部分が、娘に遺伝した。
我が子が自分に似ているなんて、なんと尊く愛おしいことか。
それとは別に、
今まで自分が感じてきたコンプレックスを
もしかしたら娘も抱えてゆくのかもしれないと思うと、
どうしようもない申し訳無さが溢れてきて、
「可愛く産んであげられなくてごめんね」って、
思った。
その気持ちにハッとして、
親の私がこんなことを思ってはいけない、
どんな彼女でも受け容れる存在でありたいと思い、
この気持ちは心のずっとずっと奥に閉じ込めて、蓋をした。
間違っても、口に出さないように。
私は、自分の容姿にとてもコンプレックスがある。
大学生になって、
親元を離れ色々な出会いを経験することで、
だんだんと自分の中と外の大切なものにも気づいて
コンプレックスは少しはマシになったけど、
今でもずっと、父の言葉が、
耳の奥にこびりついている。
「〇〇は母さんに似て顔がおっきいな」
「そんなに鼻がちっちゃくて大丈夫なん?」
「なんで〇〇だけそんな鼻になったんだろうね」
父はことあるごとに、頭を撫でながら、
全く悪気もなく、なんなら愛情表現のように
私にこう言っていた。
”かわいい” の表現が、
容姿をばかにする言葉だったんだと思う。
(他にも色々言われたような気がするけど、
私の自己防衛機能が記憶を抹消していた。)
だから私は今でも
自分の鼻がめちゃくちゃに嫌いだし、
鏡を見て、もうちょっと小顔だったらなって思う。
このコンプレックスが、むすめに対して
あんなふうな感情を抱かせてしまった。
父なりに愛情を持って育ててくれたのだと思うから、
欲張りで我儘だけど、
私のコンプレックスは父の影響。
けど、
全てがそうかって言われると、
90%くらいじゃないかな。
残りの10%は今の社会にあると思う。
テレビを点けたら
容姿端麗な人達がキラキラ笑っていて、
SNSでも美少女の動画がバズったりして。
(あまり見ないから、予想なんですが…。)
容姿が全てじゃない、
人それぞれ光るものがあるし、
逆に容姿が整っている人にもそれぞれ抱えているものがあるのに、
一見、なかなかそれに気づきにくい雰囲気が、
社会全体にある。
なんだろう、
特に学生の時みたいに、
自分で取れる情報が限られている世界では余計に、
見た目っていうのが生きる上で大きな判断材料になりかねないんじゃないかな。
だから、
こんなに ”かわいい” が持ち上げられている社会で、
バスの時の中学生達がむすめに対して何か思うのって、
もう、どうしようもないことだと思う。
でも、
彼女達との出来事を聞いて、気づいた。
むすめがこれから成長し社会へ出ていくなかで、
むすめのことを受け容れられない人もいるということ。
そしてこれからもっと、
そういう人達と出会うことが増えていくということ。
もしかしたら、
直接否定的な言葉を浴びせられることもあるかもしれない。
そんなこと、
考えただけで目の奥がぎゅっとなるけれど、
親の私が狼狽えてはいけない。
むすめが思うことを、聞いて、
必要があれば、言葉にして。
一緒に気持ちを解きほぐしていきたい。
むすめが望む限りは、
一番近くで、「そのままでいいよ」って伝え続ける存在でありたい。
だから今のうちは、
むすめにもわかることば「かわいいね」「大好きだよ」で、
「そのままのあなたを愛してるよ」ってことを
伝えていきたい。
”かわいい”って、
見た目的なことだけじゃないんだよ。
あなたがここにいてくれること、
笑ったり泣いたり怒ったりしてくれること、
生きてくれているだけで、
めちゃくちゃかわいい。大好き。
だから私は、むすめにたくさんたくさん、”かわいい” を伝える。
お読みいただきありがとうございました。
そうそう、
皆さんが背中を押してくださったのもあって
無事に上司に辞めること、
伝えることができました。
前の記事にもたくさんスキやコメントをいただき、
ありがとうございました。