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「大丈夫よ、おかあさん。おやすみ。」


今これ打ってても涙腺が刺激される。


こないだ、
むすめから貰った謎の倦怠感と頭痛モリモリウイルスに侵された日の夜のこと。

いつもはむすめ指定の絵本を5〜6冊読んでから寝かしつけるんだけど、
どうもあの日は本当にしんどくて。

「むすめちゃん、今日はお母さんしんどいから絵本読めないわ。ごめんね。」

と言ったとき、むすめが返してくれたことば。


「 大丈夫よ、おかあさん。おやすみ。 」



"おかあさん"の部分は、正しくは"おかあしゃん"で、
"おやすみ"も、"おやしゅみ"でしたよ。


むすめは、布団に入って絵本を読みながら、いつもだいたい30分〜45分くらいで寝てくれます。

ときには絵本を読んでも読んでも、まだ読んで欲しくて、同じものを繰り返し読んでもまだ眠れない日も、もちろんあります。

そんなむすめが、
あの日は、この言葉を交わしてすぐに目を瞑り、ものの10分?いや5分?で寝てくれたんです。


その時はしんどさで
「あぁ寝てくれた、よかったぁ。」とだけ思って、ほっとして私もすぐに眠りについたのですが、

あとから、
っていうか先日お風呂入ってるときにふと、

あれ?これってすごくない??

と、感動の波が押し寄せまして。(涙)


それと同時に、
気を遣ったりとか、遠慮させすぎてなかったかな、と
心配になるのもなんというか、親の性なんですかね。


そんなことも思ったけど、
私が心配せずとも、優しい子になってくれてるなぁとしみじみ思ったのです。


・・・・・・・・


さてさて、
等身大の30代(2月で31歳になりました!)お母ちゃん、家計のためにパートもするけどまだまだ夢も諦めたくない主婦のnoteなので、
話題があっちへ行きこっちへ行きしておりますが、
子育て…いや私の場合は「子育ち、親育ち」の話題も、自分のnoteに記していきたい大きな柱のひとつで。


こんなふうに、

むすめと過ごす時間、自分がかけることばを振り返っては、
「あぁなんであんなこと言っちゃったんだろう…。」
と、後悔することもたくさんあります。


だけどむすめはいつもそばにいて私をまっすぐに愛してくれて。
「おかあさん大好き」の笑顔を、惜しみなく向けてくれます。

そんなむすめに救われて、手を引かれるように、
お母ちゃんも前に進みたい、進まなければ。と、思うよりになり。


noteで出会った やなせ まみ さん の子育て講座を聞いて、
私のカッとなり大きな声で怒鳴ってしまうところは少なからず父の感情表出を継いでしまっている部分もあること、
(逆に言うと、子どももそれをみて感情表現を学ぶということ)

ただ、気づき、変わりたいと思ったときが、変わることのできるタイミングであること

などを教えてもらった。




そう。
私、思い通りにならないと、すぐイライラしてしまうところがある。
むすめに対してだと、
自分が大人であるのをいいことに、
イタズラやぐずりを制したくて大きな声で怒鳴ってしまうこともあった。


むすめに、のびのびと自分の感性のまま育っていって欲しい。

もう、あんな怯えた顔もさせたくない。

なによりこの先、こんな方法でしか怒りを伝えられないような、苦しいことはさせたくない。

言葉を並べれば並べるほど、
親である私のエゴがいっぱい入ってる気もしてきたけど、

変わりたい!!!


と、思った。

次に、カッとなってしまったときには、
吐けなくていいから深く息を吸って、目を瞑って、頭で考えてから言葉にしてみよう。

自分の中の衝動性にブレーキをかけることを意識したい。

自分のnoteより


そして、その後。

今までは、
「あぁまた怒ってしまった」と、そこでは後悔しても、
次またイライラしたときには気づいたら同じように怒ってしまっていた。

なので、意識してみた。



まずは冷静に、いつもの温度で。

言葉で、「こうしたかったんだよね」「こうなると思わなかったよね」「こうしてみよっか」「これするのはどう?」と。

態度では、頭を撫でたり、抱きしめたり、
ぶちまけた時は一緒にお片付けしたり。

怒るんじゃなくて、「伝える」ということを意識してみた。



実際やってみると、怒ったときと比べて、
そっちの方が子どもも癇癪を起こさずに落ち着いて聞いてくれた。



もちろん、めちゃくちゃ怒りそうになったことも、何度もあったよ。

そんな時は、
深呼吸したり、ちょっと目を瞑ってみたり。

例えば用意したばかりの食事をひっくり返された時など、
言葉を発したら怒ってしまいそうだと自分でわかる時は、
無言で拭き掃除(笑)


金切り声をあげながら寝そべって手当たり次第蹴ったり殴ったりと、狂い泣きするようなときは
頭がクラクラしたけど、
無理に優しい言葉をかけようとすると私がしんどくなるので、
無言で膝の上に抱き上げたりした。


あとは、
今まで意識して「伝える」ことで積み立ててきたものが、
今感情的に怒ることで、台無しになってしまうような気がして。

要は、「自分のためにも怒らない」っていう気持ちも敢えて持つことで、
続けられている気がします。


しだいに、
むすめの気持ちに寄り添い、「怒る」のではなく「伝える」方が
うまくいきやすいってことがわかってくると、

私もあまり自分の感情を抑えつけ過ぎて無理をするようなこともなく、「伝える」ことができるようになってきた。


まだ、「変わりたい」と思ってから数ヶ月だけど、
今のところ順調かな? と思います。


・・・・・・・・


そうやって、お母さんなりの伝え方を模索していたなかでの、この言葉。


「 おかあさん、大丈夫よ。おやすみ。 」


むすめは、
私が心配せずとも、
日々の生活から 自らいろんなことを学び、吸収してる。

少し前の、いわゆる”オウム返し”の時期と比べると、
だいぶむすめの内から生まれた言葉が増えてきた。

丸や線、点々だけだった絵が、
だんだんと人のお顔のようになってきた


親の私から、どこまでのことを学んでくれているのかは、わからない。

でも少なくとも、まだ社会性の広がりが少ない二歳の今は、
私たち両親の関わりから学んでくれることって、たくさんある気がして。


そして、
むすめの方から表現してくれることが増えたからこそ、
こちらの「怒り」という反応でむすめの可能性を狭めてしまうのではなくて、

彼女がのびやかに、見て聞いて感じたものや、今の気持ちを表現できるよう、
「受けとめる」ことのできる存在でありたい。


優しい人になんて、必ずしもならなくてもいい。
思いやりだって、余裕がないときには持てなくていい。

そういうのを望んでいるのでなくて、


このむすめの言葉が、
他者、今であれば一番近しい両親への愛しさからきているものだといいな。

誰かを愛する気持ちは、
誰かに愛されているという安心のもと育まれるものだと思うから、

もちろん私たちがむすめを愛していることは言わずもがなではあるんだけど、
むすめ自身がそれを実感できるような、あたたかい居場所みたいな存在でありたいな。


そんなふうに思いながら、
明日からもまた、むすめとのかけがえのない日々を歩んで行きます。


清々しい空、朝さんぽ。



もしかしたらこの先、
例えば仕事が増えたりして忙しくなったりしたら、
また意識することを忘れてむすめを怒ってしまうかもしれない。

そうなったとしても、
気付いて、立ち止まって、本当に大切なものは何か考える。
そんなふうでありたい。



お読みいただきありがとうございました。

noteのみなさんの記事を読ませてもらうことでも、
「本当に大切なもの」について、自分ならどうかなぁと省みることができています。

いつもありがとうございます。

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