見出し画像

夢が今、動きはじめた| 地域の居場所となるカフェをめざして


noteをはじめたとき、
「夢」ということばを使うのにも抵抗があった。

その頃の私は、夫の転勤のため、縁もゆかりもない土地で一歳娘と二人きりでいた。

自分の存在価値を確かめるかのように
すがるように頑張っていた仕事も
あっけなく辞めることになり、
ぽっかりと穴が開いたような気分だった。

結婚し、子どもが産まれて、
たくさんの「しなければならない」に追われ、
自ら作り上げた「母親像」にも縛られる毎日。

ただ、過ぎゆく日々に揉まれて
自分の「夢」はおろか、
「やりたいこと」すらも考えたことがなかった。


それから。

数ヶ月のあいだ、仕事はせずに、
久しぶりのむすめとのどっぷり二人時間。

毎日、毎日、
むすめから向けられる
屈託のない笑顔や、無邪気(すぎる)な泣き声、
けなげな眼差しを受け取っていると、
この子は、どんなときも ただまっすぐに
おかあさんが大好きなんだって
改めて、気づいた。

むすめのおかげで、
「正社員ではたらくべき」という思考がほぐれて、
家族とのかけがえない時間を大切にできる働き方について考えるようになった。

社会人になってからというもの、
とにかく辛くても我慢して駆け抜けてきた。

そんな私が、初めて立ち止まり、
自分の気持ちを見つめ直した。

やりたいこと、

やりたいこと、

私の、胸が熱くなること。



noteでは、
何度も「夢」を綴った。

読み手の方々の中には、
うんざりしてる方もいると思う。すみません。

そうやって、皆さんにもブラッシュアップしてもらいながらあたためた自分の想い。
ここ一年、少しずつだけど行動してみることで、
周りが、そして自分も少しだけ、変わってきた。

「夢への想い」を改めてふり返り、
「これから」へ繋ぎたい。



芽生えた気持ち

社会福祉士として
何百人もの方々との対話を経験することで、
すでに自分のなかにひとつ、
大切なものが芽生えていた。

それは、「地域の居場所となるカフェを作りたい」という気持ち。


前職での経験で、
ご高齢者の方々の「自宅へ暮らすこと」への想いに
たくさん触れた。

病院では、
患者さんたちの「家に帰りたい」という強い想いを
支援させていただいた。

デイサービスでは、
「自宅で暮らす」を選んだ人たちの底力(自称「自宅パワー!」)をありありと見せていただいた。

たとえば、
認知症の症状で利用時間中ずーーーーーっと同じ話を繰り返している方。
「本当に一人暮らしができるの?」と思うけど、
家に帰れば本領発揮し、ちゃっちゃとご飯を作る。

手術のショックでご飯が食べられなくなり胃瘻を作った方は、家に帰ると口からもりもり食べれるようになり、私に「ああ、唐揚げが食べたい!」と言った。
胃瘻も、取ってしまった。

そして社会福祉協議会では、
24時間365日切れ目なく続く「暮らし」を支えるには
公的機関や専門職だけでは到底事足りず、
「インフォーマルサービス」(=家族、地域、NPO、ボランティアなどの公的サービス以外のもの)の大切さを学んだ。

その中でも、「地域の居場所」が私の心に留まった。

仕事で地域へたくさん足を運び、
ご高齢の方のふれあいサロンや体操の場へ参加させていただいた。

みんな、笑顔で出迎えてくれた。
そこは、会話が絶えない場所だった。

印象的だったことは、
「ここに来ることが生きがいなんだよ」という言葉。

子育てが落ち着き、
仕事が落ち着き、
夫婦二人暮らしや、ひとり暮らし。

車の免許も返納すると、
出かけられる場所も限られてくる。

そうしてだんだんと穏やかになってゆく生活の中で、
人との繋がりを感じられる居場所。

笑うこと、話すこと、
そもそも身支度をして出かけることだって、
心と体を健やかにしてくれる。

暮らしの中の、「居場所」の大切さを実感した。
今度は、自分が作りたい!と思った。

むすめと参加した、地域のつどい。


私が思い描く「居場所」

私の居場所への想いは、
見ず知らずの土地で子育てをしている自身の「孤独感」からもきている。

はじまりは「さみしさ」だけだったとしても、
介護の大変さ、育児の大変さ、仕事の大変さ
それぞれが抱える環境のせいで、
それがこじれてしまったら。

自分では、手をつけられない状態になる。

気軽に話をする場があったら。
悩みをぼそっと打ち明ける場があったら。
地域という身近な場所に、普段から話せる人がいたら。
孤独で辛いとき、逃げ込める場所があったら。

心が、軽くなったかも。
見える景色が、変わったかも。
必要な人は、支援と繋がれたかもしれない。

そうかといって、
「福祉」や「支援」という色が見えると、
「自分には必要ない」「楽しくなさそう」という印象を与えがち。
「孤立防止」みたいな重たいテーマを匂わさず、「ただお茶をしに行くところ」っていうのがいいと思う。

だから私は、「支援者」のような離れた立場じゃなく、フラットな「一地域の私」として、
たとえば最初は高齢者の方々から、
そして徐々に誰もがふらっと立ち寄れる居場所カフェを作ろうと思った。


動きはじめた

こうして私は、
「まずはこのnoteに書いてみる」という、
夢へのちいさな一歩を踏み出した。

書けば書くほど、壮大な綺麗事のようで怯む。
でも、自分のやりたいことへのビジョンは深まっていった。

そうして書き続けていると、
応援の言葉が届いた。嬉しかった。
応援してくれる人が、だんだんと増えていった。

すると不思議なもので、
今度は「カフェをしたい」と口に出せるようになった。

かなり勇気を出して、地元でお菓子の販売をしている高校の時の友人に連絡してみた。

その子の「とりあえず、屋号作っちゃってもいいんじゃない?」という一言に背中を押され、
「 喫茶 みずうみ 」
をお披露目した。

ロゴマークは、
イラストレーターの中村怜子さんにお願いした。


屋号が後押しとなったのか、
身近な友人だけでなく、広島で知り合った方にも少しずつ、夢を伝えていくことができた。

するとこれまた不思議にご縁が繋がって、
間借りカフェのお誘いを受けた。

人生で初めて間借りカフェをした、一昨年の冬。

はちみつレモンマフィンと、
りんごのクランブル。
お土産でお渡しした "ほほえみクッキー"


生まれて初めて、
「お客さん」に自分が作ったお菓子を食べてもらって、
「美味しいです」って言ってもらったときには
涙がでるほど嬉しかった。

カウンターから望む客席で
来られた方が顔を綻ばせお話に花を咲かせている様子に、私も心が温まった。

その光景を眺めていると、私自身もつながりを実感した。だれかの居場所のための活動は、自分の居場所づくりでもあるのだと感じた。



やりたいことと、憧れること

一度行動してみると、
その分反響や応援をいただいた。

走り続けていないと見えない何かに追われているような、応援してくれてる人たちに見放されてしまうような不安に襲われた。
とにかく何かやらなきゃと、
「間借りカフェ」にこだわって調べまくっていた。
オシャレな人や場所、夢に向かって努力する方々のキラキラした写真たちがたくさん出てきた。
また、自然と自分でお店を作る人達との出会いも増えて、皆が作る空間に魅了された。

その結果、
「やりたいこと」と「憧れること」が
自分のなかでどんどんごちゃ混ぜになっていった。

それは見えない違和感となって、
何か行動しようにも、どうしても最後の踏ん切りがつなかった。

私がやりたいことって、なんだっけ。


いつもは心強い、夢に向かって自分らしく在る人たちのことも、「すごいなぁ」と思うと同時に、「自分は何もできてない」と落ち込み、SNSも見れなくなった。

その当時の私にできたことは、
とにかくお菓子を作ることだけだった。


そういうとき、私を保ってくれていたのは
変わらないむすめのえがお。
仕事へ行き、保育園のお迎えをして、ご飯を作る。
休みの日は朝からちょっと特別なご飯を用意して、
みんなで揃って食べる。
一見繰り返しのようにも見えるけど
当たり前にそこにある毎日が、
そのときの私にはとてもありがたかった。

家族に救われて気持ちの波が落ち着くと、
とにかく書いた。


間借りカフェはたしかに楽しかったし、
皆がしてるカフェはオシャレでカッコイイ。
けど、このままそれを続けるのでいいの?
皆の真似事をするので、いいの?

そう、

私がカフェをつくりたいのは、
「自分が作った料理やお菓子でたくさんの人を喜ばせたい、笑顔にしたい」からじゃない。

カフェはあくまでツールであって、
その先の、「地域の居場所づくり」こそが
私が目指しているところ。


立ち返るとスッキリして、
作ったお菓子をInstagramへ投稿することからまた始めていった。

次なる転機となったのは、
投稿を続けていたところに届いた、ある日のDM。

それが、この前も「ちいさなお茶会」でコラボさせてもらった児島のcalma coffee roastersのはまださんからの、出店のお誘いだった。



見えてくるもの

正直、やっとこさやりたいことと憧れの整理が少しついたところで、また間借りカフェのお誘いを受けるかどうか、迷った。

こんな気持ちでやってもいいのかなって。

でも、はまださんからのメッセージを読んで、
会場となる、築100年超の古民家をリノベーションしたカフェのウェブページを見てワクワクした。
どんなおやつを出そうか、考える自分がいた。

それに、はまださんからのお誘いは、
とりあえず2回の出店ということだった。
いざやってみて、やっぱり何か違うってなっても
続けるかどうか悩む心配もない。

そこで私は、
声をかけてくれたご縁を信じて、
そして新たな発見にも少し期待して、
自分の "ワクワク" に従ってみることに決めた。

そして迎えた鞆の浦での出店。

名産品「保命酒」の酒粕を使ったチーズケーキ
発酵あんこのあんみつは、このとき誕生した。

すっごい構えてたけど、やってよかったなと思う。
チャレンジすることで、
自分の居場所作りの参考になることが、たくさん見えてきた。


それは、
「美味しい」も、「居心地がいい」も、
おやつや珈琲だけ、そして場所や立地などだけで決まるものではない、ということ。

出店の日に見た景色。
それは初夏のある日。
古民家の雰囲気そのままに懐かしさが漂う会場。
部屋一面の窓から望む海や空。
珈琲を淹れるはまださんの人柄。丁寧な所作。彼が大切にしている珈琲。そして私のおやつも。
だんだんと賑わう店内。
夏の訪れを予感させる蒸し暑さと、旅の高揚感。

場所があって、人がいて、食べものがあって、会話がある。

その場にあるもの全てが相まって、
「美味しい」そして、「居心地のよさ」になるのだと感じた。

会場となった「ありそろう」のオーナーさんが
撮ってくれた写真。



デイサービスでの出店と、これから


実は転勤族の妻な私。
まだひとつの場所に腰を据えることができない。
だから、
やりたいことと直結しないからといって可能性を狭めるのではなくて、今だからこそ自分のワクワクに従って、その先で出会う様々なものごとを糧にしてゆくのも、いいんじゃないかと思い始めた。

だけど、
またやりたいことを見失わないように、
夢への想いはnoteに書き続けた。



すると今度は、noteの繋がりで、
岡山県総社市にこの夏開業されたデイサービスSodaさんから、オープニングイベントでの出店のお誘いのご連絡をいただいた。

年齢関係なく、何事も「そうだ、やってみよう!」をコンセプトにされているデイサービス。とても共感し、応援させていただいていた。

そしてはじめての、福祉と掛け合わせた活動。

これはもう、やるしかない。
今までの経験ほど、心強い味方はいなかった。

二時間半ほど離れた会場、
初めて借りるキッチンでの作業、
今回も色々とハードルを乗り越え、無事出店。

夏らしく桃の杏仁豆腐と、チャイゼリー。
にぎわい


イベントは大盛況で終わり、
Sodaスタッフさんの、地域へ歩み寄る姿勢が、
地元の方々に届いているのだろうなと思った。

私はというと、
試作と比べて本番で思うようなおやつの仕上がりにすることができず、悔しい思いも抱えた。

それは、それだけ本気になれるものを見つけたということでもある。

そして、これから。

私は来月、夫の転勤に連れ添って高知へ引っ越す。

それで12月に広島でお茶会を開き、
来てくれた方と「また、いつか」のご挨拶を交わした。

お礼でご用意したおやつプレート、
またの名を赤字プレート(笑)


結局、やりたいことと直結した活動は、
まだできていないまま。

だけど着々と、
背中を押してくれる存在が増えている。

それは、
今まで出会ってきたお客さんの笑顔であり、
出店を乗り越えてきた自身の経験であり、
応援してくださる方々からいただくことばであり、
そして、
活動を重ねるごとに少しずつ広がる繋がり。

歩んでいくうち、私は、大きな矛盾に気づく。

人と人とのつながりのために
居場所カフェを作ることを志しながら、
自分は誰かと繋がることへものすごく大きな恐怖や抵抗を抱えていたということ。

だけどそれは、
私に手を差し伸べてくれる方々とことばを交わすことで、少しずつ解れていく、ということもわかった。

最初は怖くても、
少しずつ心が近づいて、
だんだんと助けを求めることもできるようになる。

これこそが、居場所のもつ力なのだと思う。

私は、
これからも心惹かれる人達との繋がりの中で
居場所カフェ開業への道を歩むことで、
いつか自分がお店をするときには
この "居場所の力" を体現できる人になりたい。

さて、
高知ではどんな出会いが待っているんだろう。
人口あたりの喫茶店が日本一多いまち。
楽しみです。



大切な時間を使ってお読みいただき、
ありがとうございました。



いいなと思ったら応援しよう!