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vs会食恐怖症のたたかい方


「会食恐怖症」について、ご存知だろうか。

外食をしたり、自分以外の誰かと食事をするような特定の場面で「食べられなくなってしまう」
そんな不思議な、一種の適応障害・不安障害なのだそうだ。


かくいう私も、会食恐怖症である。
普段は1食で2合のコメを平らげる大食いなのだが 、会食恐怖症が顔を出すと、たった3口が限界になる。
治ったと思えばたまにそうなることもあり、かれこれ14年の付き合いだ。


きっかけはほんの些細なことの積み重ね

きっかけは、幼なじみ一家との旅行で、
夕飯の席で隣の幼なじみが吐いてしまったこと。
当時まだ10歳。色々と感度が高い私は、諸に貰って気持ち悪くなるタイプで笑
それはそれは戸惑った出来事だったのだ。
ちなみに私は、この出来事のおかげで、嘔吐恐怖症でもある。
(まあ、だから、自分が吐くまでいくことは、余程でない限りはないのだけど)

その時はそれで終わるかと思っていたのに、
不思議なことに、その後の旅行で何も食事が食べられなくなってしまった。
一緒にいる幼なじみが、また体調が悪くなって戻してしまうのではないか?そんな考えが一瞬でも頭をよぎると、サーっと血の気が引いて何にも箸が伸びなくなるし、喉が一気に詰まるのだ。
結局自分の親に、「あんたが体調が悪いわけでもないのに、みんなに心配をかけてどうするの」と、怒られてしまった。
それもそうだと思いつつも、小さい私には、対処法が分からず、食事の機会が訪れる度に「あぁ、また食べられなくなったらどうしよう」と思った。
案の定食べられなくなって、その度に親の目線を気にして、食事が終わるまでトイレにこもった。

それが、全ての始まりだった。



それからは、その一連の流れがトラウマになってしまったようで、なにかの条件が合致すると、食事が食べられなくなるようになってしまったのだ。

①旅行での食事の場
②家族と食べる食事の場
③ボリュームのあるお店や、新しく行くお店など、少しでも、「食べられるかどうか」不安がある時

酷い時は、「外食をする」ことだけでもダメな時期があった。
そのおかげで外食が嫌いになったし、旅行が怖くなってしまった。
家族には素直に話したこともあるが、
「あのね、トラウマなんてね、命が関わることを言うんだよ!あんたのはトラウマなんて言うことじゃない。
そんなことで、毎回の食事で気持ちが沈んで、こっちの食事まで不味くするようなことしないでくれる?」
と言われ、さらに外食が怖くなってしまった。


7年かけて自力で半分治したプロセス

家族に怒られたことでトラウマは追加されたが、確かに反省もした。
自分はもちろん苦しいのだが、一緒に食事をしている家族にまで、その気持ちを負わせてはならないと。

そう気づいてから、私と会食恐怖症のたたかいが始まった。


○食事にはエチケット袋を持っていった

まあ、実際使うことは一度も無かったのだが、いつ体調が悪くなっても良いように、エチケット袋を忍ばせていた。
使わないのになんの意味があるのかと言うと、それを持つだけで「まあ、最悪の状態になってもこれで大丈夫(いや現実的に考えたらまあまあだいじょばない)」という謎の安心感が湧いてくるのである。ただそれだけ。

なので、旅行中でもいい所のビュッフェでも、ポケットにはいつもビニール袋が入っていた奇妙な子どもだった。


〇食欲は全くないが全力で食事の場を楽しめ

食欲が全くなくても、雰囲気をぶち壊さなければ勝ちだ。
よって私は、「会話で気待ちを落ち着かせ、会話で間を持たせる」という術を身につけた。
箸が止まるのであれば、その分話して間を持たせればいい。普段大人しい私が急に話し出すから、きっと親はびっくりしたろうが、仕方ない。
また、話をすることで他の情報が頭に入ってくるから、自分の脳内から「どうしよう、食べられないかも。」という不安でいっぱいな状態がが少し和らぐ。そうやって、自分で安心感を作ったり、気を紛らわせたりするのだ。
話しながらゆっっっっくりと食事をして、最後は食欲のありあまる父に可愛く残飯処理をお願いするというオチ。
父よ、あの時はごめんな。そしてありがとう。


〇食べられそうな候補を最速で考えて提案する

一人っ子の私は、ありがたいことに食べる選択肢を委ねられる場面が多かった。
その時は、頭をフル回転で食べられそうな候補を考える。

・回転寿司だったら好きな皿数だけ食べられる
・小皿で注文していく居酒屋なら、大丈夫かも
・長年通ってるお店であれば、食べられる自信と安心感がある
・まだ食べない、家で食べるという選択肢はいけるか提案してみる

それを瞬時に考えて、一瞬の曇りもなく答えていくことで、自分から安心できる食事の場を用意していった


こうして、様々な工夫をしながら、小さい頃を乗り越えた。
年齢を重ねてくると、自分一人で食事をしたり、友達と行ったりする場面が増え、
「トラウマの条件から外れた食事」の場面が増えたことで、成功体験が少しずつ積み重なった。
ここが一番大事。
そうすることで、今度は家族との食事でも、"食べられそうな選択肢"が増えていく。
友達とラーメンに行って食べられたから、家族と行ってもきっと大丈夫だろう。とか、そんな感じ。

ここまでして、ついにやっと、家族と食事に行っても割と何も考えずに食事を楽しめるようになったのである。この時点で約7〜8年かかった。

未だに、家族での旅行には抵抗があるが、前ほどでは無い。



最近再発したが、メンタルが強くなったから聞いて欲しい


運悪く再発してしまったのは、仕事でお世話になっているラーメン屋さんに、視察と挨拶に行った時のことだった。

私ひとりで初めて伺った。せっかくなら、顧客理解としてラーメンに加えて餃子も食べておきたい。調子に乗って2品頼んでしまった。
それが間違いだった。

「2品も頼んじゃった。食べられるかな。」と、一瞬でも考えてしまったら最後、品物が運ばれてくるまで手汗が止まらない(笑えない)
お客様のお店である以上、残すなんて失態は今後の信頼関係にモロに影響する。
残せない状況を目の前にして、案の定、食欲は速攻減退した。

しかし、頼んだのは塩味のあっさりラーメン。
今までの経験上、足りなく感じることも多い部類だ。諦めるなわたし。
イメトレをして、脳内で、麺を5口すするくらいで完食する自分を想像する。だいたい、ラーメンなど啜り足りなくてまた来たくなるもんだろ。
これでラーメンも半分まで来た。スープをかき混ぜながら、どこまでが「食べた」とされるゴールか考える。ネギは残しても仕方ないとこだ。もやしと麺をクリアすればいけるな。

とそこに、、、、ラスボスの餃子が来る。
いつもなら食欲を増すはずのニラの匂いがとどめを刺す。個数は小ぶりなものが7個だ。

ああ、無理かもしれない。気弱になって周りを見渡す。
隣のお兄さんに「よろしければ」と、あげようか?
そう考えていたら、隣のお兄さんに、ラーメンに追加でデカめのチャーシュー丼が持ってこられる。ああ、終わった。無理そう。

後ろの、外国籍の女性2人組ならいけるかも。
恥を忍んで、良かったら私の分まで召し上がってくれませんかと言ってみるか。通じるか?通じるだろ大丈夫大丈夫。
、、皿を持って立ち上がろうとした瞬間、同じ餃子が彼女たちの元に運ばれてきた。なんてこったいOMG。

もうこれは腹を括るしかない。
7個のうち何個食べたら合格だろうか。
そんなことを考えて、1つ醤油をつけて口に無理やり放り込むと、思ってたよりも小さくて行ける気がしてきた。
あとは、スマホでモッパンの動画を見て勇気と食欲をもらい、
店内BGMでかかる、ミセスグリーンアップルの最新リリース曲に励まされ、
何とか最後の1個まで食べきった。ああ、達成感半端ない。

こうして、何とか笑顔で「ご馳走様でした」と挨拶して帰ることができたのである。


自分の脳内のあほらしさと必死さたるや、
何と可笑しいことか。
まあ、本人は至って真剣なんだが。
情けないが、このスタイルで当分やっていくしか無さそうだ。


ユニークな戦い方で、少しずつ克服する

会食恐怖症は、いかに自分を上手く誤魔化していけるかが、治すきっかけになると思う。
ほんの小さな成功体験を重ねて、段々とコツと安心を得る。そうすれば、先日の私みたいに再発した時にも、自分で何とかメンタルを保つことができてくる。

もし、同じことで悩んでいる人がいるとしたら、
まずは会食恐怖症を受け入れてくれる、信頼出来る大食いの人と、食べに行ってみることをおすすめする。
食べられなくなったら、存分にその人に頼ればいい。その安心感があれば、食べられる食事の選択肢が徐々に拡がっていくだろう。

大丈夫、完全に治すことはたしかに難しいが、
苦しい状態は少しずつ緩和されるはず。


いつか、会食恐怖症であることなんかすっかり忘れて、食事が楽しめる日が来ますように。



#会食恐怖症
#トラウマ
#メンタル強化
#たたかい


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