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誰だって、強い心が欲しいんだ
今回の記事は今まででいちばん長い。
私自身が幸せに生きていくために考え抜いた答えを全て言語化したからだ。
テーマは『人として強くなるには』
もうちょっと上手くまとめたかったが、要約は一番下にいい感じにまとまったので、
もしよろしければ、そこの部分だけでも。
今人生からフェードアウトしたいと思うくらい落ち込んだ誰かに、
これからの人生もっと楽しみたい誰かに、
少しでも何か刺さってくれればいいなと思う。
職場の同僚に先日言われた。
「鱗さんは、強いんですよ。
、、、尊敬してます。ほんとに。」
そう言ってくれてありがとう。...嬉しかった。
けど、私はその時思ってしまったのだ。
『私の何が、どこが、そんなに強いのかな?』
大変失礼な話だが、私は誰かに褒められる度に、笑顔の裏で、何回もこんなことを考えてしまっている。卑屈になって、言われた言葉に対して傷つくこともないが、かと言って100パーセント「嬉しい〜」だけで受け止められることもない。
全く自慢出来無いが私は、もともとの自己肯定感は鬼ほど低いのである。
とはいえ、他の人から見て、どうやら私は「メンタル面が強いひと」なのだそうだ。そう言われることの方が多い。
今回の背景は、彼氏と"恋人"という関係を破棄してからも、悲しみに浸ることなく公私をきちんと分けて仕事に勤しみ、たった1日半でメンタルを通常に近い状態に戻したということ。それが、同僚にとっては、私が強い人だと思うに足りたらしい。他の要因も、きっとあるとは思うんだけど。
私にとっては、それは、当たり前のことだったつもりで、すぐには納得が出来なかった。
自分視点では、私は全くココロが強くないと思っている。むしろ私自身が1番、強い心が欲しいと渇望している。私だって病むし、病んだらご飯だって食べられなくなる。人と話すのが億劫にもなる。人に迷惑をかけて自分が情けなく思う時なんてしょっちゅうだ。
でも、そんな自分のことも嫌いじゃない。自分の感覚とかセンスは好きだし、今生きてる人生は、多分とかじゃなく楽しい。
とはいえ、そんなネガティブな感情がコントロールできなくなることにより幸せでいる時間を削りたくないし、何より自分の人生をプラスの意味のあるモノにしたい。だから、強い心が欲しかった。
でも、"人として強い"って、具体的にどういう状態の人を指すんだろう?
心が強いのか?いや、そうじゃない気がする。
強くあることを目指すには、まずはそれを把握しなくてはならないので、自分なりに言葉にしていこう。
こころの強さとは、
「強度」ではなく「何度でも治せる」ことにある
私は、心の"強さ"自体は、正直人による差はそこまでないと思う。
どこが違うかと言うと、
・キャパシティ(容量)を調整するスキル
・出来たキズを修復するスキルまたはその速さ
この2点。
要は、"ハート"は似たような機能性のものを持っていて、
それを動かしているのは"頭(第2の自分)"であって、これは個々により違っててそれが良いと考えている。
生きていれば誰でも、何回でも、傷つくし落ち込む瞬間はあると思う。どんなに優秀な、テレビに出るような人でも、きっとそう。
でも、その人がいままでの人生で積み上げてきた経験と知識によって、その人なりの哲学があるはず。だから、ハートがキャパオーバーになるまでの余裕が作れるようになって、オーバーになっても修復までの期間が短くなっていくんだと思う。もしくは、より大きな傷を負っても、対処できるようになるんだと思う。
心のキャパシティに余裕を作ることはできるのか
これは最近になって、やっと答えにたどり着いた。「できる」。
でもこれはあくまで、わたし自身に対する答えだ。ひとつの考えとして「ふーん、そうかなるほど」と思っていただきたい。
①時間に余裕を作る
時間に追われることは、じぶんにとってかなりのストレスであると分かった。
ほんの些細な瞬間なのだ。朝、準備をしている時に"仕事の始業時間に間に合わせるために急がなきゃ"とか、"これはいつまでに終わらせなきゃいけない"とか。
しかし、それが分かったので、対処法もわかった。
始業時間に対して焦るなら、なにも、始業時間ピタピタに合わせて行動しなければいい。会社に始業1時間半前に着いてもいい。どうせ残業になってしまうのが私にとっての普通だから、それが朝の時間に回るだけだ。残業するのだって、全然悪いことじゃないと思ってる。だって固定残業代ついてるし。悪い事だと思ってないから、残業になっても何に対する罪悪感もない。
タスクの期限が近づいてストレスを感じるなら、
タスクが目に入った瞬間に終わらせてしまえば、1個分のストレスが達成感に代わる。ならば、これからは「タスクは見えたら速攻倒す」がルーティーンになるだけだ。これは仕事だけじゃなく、日常的な、皿洗いとかもそう。
②ストレス要因になる情報には、選択的に触れない
これはいい面と悪い面があるが、私はテレビのニュースもTwitterも、Instagramのリールも見るのを辞めた。TikTokは、出てから1度もアプリを入れたことがない。テレビに関しては、家に先ずテレビが無い。
メディア(音と映像があるものは特に)は、私たちに対する影響力がほんとに大きい。しかも彼らは、こちらの準備もできていないうちに、悲しい情報も苛立たしいようなことも、心配を煽ることも一方的に頭に流し込んでくる。
私はどうも、メディアを見ると精神が削られていくようだ。だから私は、情報を選択的に得られる新聞とか、書籍とか、気になるものを選べるネットニュースとかしか見ない。Instagramも、自分の本当に気になる人とか目標にしたい人だけをフォローしたり、投稿を見たりしている。最近はAIが優秀なので、自分の気持ちがポジティブになる方向性で情報の種類や知識の幅を少しずつ増やすこともできるのだ。
どうせ大きな自然災害とかを目の前にしたら、人間にできることなんて限られているし、優しいことに、そういった情報はなおのこと強制的に届くようにしてもらってる。
ならば、命を失うかどうかに関わる情報以外は、自分にとって必要なものだけ得て生きていく方が、別のことに対して心のキャパシティを使えることを知った。
③義務や縛りを取り除く
さきほど、ちらっと残業の話を出したが、
無意識に自分に縛りとか義務を与えていることがたまにある。
例えば、
・残業が長引くのは良くないことだ
・恋人が居ないことは、恋人がいる時よりも寂しい状態だ
・お金はあればあるだけいい
・寝ないと明日は頑張れない
、、、それって、本当にそうか?
残業になっても、頑張った分だけ成果が出て喜んでもらえたり褒められることもある。恋人がいてもいなくても、友達とのお出かけや一人旅は幸せな時間のはずだ。お金は沢山なくても、必要なだけあれば今日も美味しいご飯が食べられるだけで十分幸せなことの方が多い。寝不足でも、逆にナチュラル・ハイになって仕事が捗る日もある。
普通に過ごしてたら気づかないかもしれない。私たちは、人と関わらないと生きていけないので、その中で無意識に比較をしてしまうタイミングがあるんだろう。
でも、客観的に見たら、それ、自分の人生の幸せにおいてあまり重要ではない課題かも。
そんなんで自分を縛らずに、一つ一つ自由な方へ解消してあげよう。
、、、ただし、私は人に迷惑をかけることもストレスになるので、逆にそこだけはひとつの基準として自分に制限をかけている。
このように、キャパシティに余裕を作ることは、
「ストレスの要因となるものを知って、事前に避けられないか考える。避けられそうであれば、実践する」ということなのだと思う。
だって''ストレスがかかる"ということは、本来あるはずのキャパシティが押しつぶされて、少なくなってしまうということだからだ。そんなの、もったいないじゃん。
心のキズを「修復する」って、
具体的にどゆこと??
▶傷を負うのは仕方ないが、その後に、日常的に使うには問題ないレベルまで戻すこと。
戻すためには何が必要か?
自分なりに出した答えは3つだ。
「受容する」「理解する」「認める」
①「受容する」
頭では理解出来ていても、心が上手く治らないことがある。その時は、きっと奥底で納得出来ていない時だ。
まずは、そのままの事実現実を受け入れる(受容する)必要がある。だいたい自分のハートの影響で、妄想のフィルターがかかるので、大事なことは見落としがちだ。
だから、今回起きたことについて、一つ一つ流れをおって丁寧に確認する作業をする。思い出したことに対しては「あの時のあの言葉にはムカついたな」と感情が動いてもいいから、『盛った思い出』ではなく、事実を思い出すようにする。
そうすると、自分の今回の傷は、どこのポイントでいつ負ったものなのか、どんな時に感情が動いたのかが分かる。
受容するというのは、妄想で話さずに、現実を見ることだと思う。
ここでは、現実を見るだけなので、負ったキズの状態に関しては何も変わらないが、治すための情報収集のような時間に当たると思う。
起きたことは変えられないし、言った言葉も取り消せない。そんな当たり前のことを、再度自分に分からせるという馬鹿みたいだがくだらないとは言いきれない工程が、私には必要だった。
②「理解する」
傷を直そうとするならば、傷の原因を理解し対処法を見つけなくてはならないと思う。
例えば、"彼氏と別れた"ということが傷を負った原因だ、と考えることは「理解」では無い。彼氏がいない状態であるときも、私は元気に生きていたはずだ。重要なのは、『なぜ私は、彼氏と別れたことにより、今こんなに悲しいと思っているのか』だ。感情の理由や原因を理解しないと、ハートは治せない。
私はこの前彼と別れた時、
『彼と別れて苦しいのは、何も余計なことを考えずに甘えられる存在がなくなったことが、自分にとって不安になったからだ』と、理解した。
原因を理解すれば、大体のことは対策をうてるが、今回の私の理解のように、自分だけではどうにもできないことに気づいてしまうこともある。
もしくは、傷を治せはしたが、1度着いた傷は『まるっきり元通り!完治!』は難しい。
そんな難しい心と、どう付き合って生きていけば良いというのか。
③「認める」
言うなれば、ここが「強さ」の本質なのかもしれない。
ここまでの、受容や理解で、原因は分かるし運が良ければ対策も分かる。じゃあその対策をしたら、それでサクッと100パーセント解決にならないところが人間の難しいところで、前述した通り、1度負った傷は『傷痕』が残ってしまうのだ。
何が傷痕として残るかと言うと、情けなくて弱い自分の行動とか思考回路とかに対する気づき。今回の事例で言えば、「彼にもう甘えられないことが理解出来て不安になった。でも、そもそもまず甘えようとか、甘えたいって思う自分とか、甘えないとやっていけない自分の弱さとかってほんとどうしようもないわ。」というもの。
今回の事件については解決した。理由がわかった納得もした。でもその中で自分の嫌な面を、それこそ嫌という程見なければならなかった。しかもその自分の欠点は、この先も大して大きく変えられない。だって生まれ持った個性であり、性格だから。それって、何もダメなことじゃなくないか?
そんな自分のハートも頭も認めてあげよう。それは、自分にしかできない事だ。
「ああ、もう」と思うことがあっても良いじゃん。傷痕着いてたって良いじゃん。その傷痕はカッコ悪くもダサくもない。むしろ、ちゃんと自分と向き合った証。
そうしなければ、傷はぐちゃぐちゃの傷のままだったはずだ。だから他の人からも見えやすくて、「痛々しく(イタく)」見えてしまう。
それがちゃんと治すことによって、今は見れる傷痕になって、
『そっか、そんなことがあったんだね、大変だったね』と見せられるくらいのものになるし、見せる人に対してもダメージは限りなく少ない。それどころか、見せた相手がいつか同じ傷を負った時、治すためのヒントになるかもしれない。
だから、全然、自分が弱い、情けない、恥ずかしいことはかっこ悪いことじゃない。
そう思うことは仕方ないというか、あっていいと言うか、当たり前なんだ。という、爽やかな諦め。
だから、今落ち込んでるけど、まあいっか。
自分、とりあえずもう1回頑張ろうぜ。と、なる。
だから、こうすることで、傷痕が残るハートも、かっこ悪いどころか少し誇らしくなって、この先の長い生涯、付き合っていく気になれる。そう思えた。
ここまでくれば、もう治った!と言えるかな。
強い人になるというよりは、第2の自分を味方にすれば良かったのか
言語化できて気づいた結論はここだ。
"やっぱりハート自体の強さはどうにもならない。"
だから、客観的に自分を見る視点「第2の自分(あたま)」をレベルアップして味方につけることがポイントだった。
第2の自分をレベルアップすることは、難しいがシンプルだ。ゲームとおなじ。経験値を上げて、歩みを進める度に色んなアイテムを獲得して、仲間を増やしていく。だから、レベルの高いボスキャラとも戦える。ここで言う仲間は、自分以外の人間も有り得るし、自分の中の「新しい視点・新しい自分」の場合もある。
生きている限り、何度でもやり直してボスとの対戦はできるし、無理だと思ったら別のマップに行ってみればいい。
ボスキャラに負けても、ゲームだったら、「ま、自分のキャラのこのレベルなら負けてもしゃーなしか。勝つために必要なアイテムは〜、、、」と速攻切り替えるだろう。
人生においても、これくらいの諦めが、強さにおいては大切なんだと思う。
なんか、そう思うと楽しくなってきた。
もう、今後の自分のレベル上げのことしか、
考えられないな。
自己肯定感が低いというか、私はレベル10の人間だと分かってるのに、「私はレベル50の人間だから大丈夫!」なんて言えないのは当たり前の事だ。逆に弱いとわかっているからこそ、戦略を考えられる。
そして、ここが最も重要だが、
私はその弱いレベル10のキャラが好きなのだ。愛おしいのだ。人生というゲームにキャラ変の機能は無いが、私には毛頭、使用キャラを変える気などない。
ここに気づかせてくれた同僚、ほんとにありがとう。
さあさ、楽しんでいこう。
私にとってのゲームオーバーは、ゲームをやるための機械(つまりは身体)が、壊れ切った時だけだ。それまでは、元を取るべく、できる限り多くのコンテンツを開いていこうじゃないの。