見出し画像

愚直にやり続けるということ

noteって思ったより、すぐやめちゃう人も多いんですね。

私は記事を書き始めて、ようやく4ヶ月となりますが、初期にフォローして頂いた方が、もうすでに3ヶ月以上も更新が止まっていたりして、

ああ、せっかく繋がりが生まれたのに、残念だなあと思っています。
(ならフォローバックしろ、というのもありますが、これは私なりの意図もあって…すみません)

でも、お名前の所に「毎日更新」を掲げ、結構な期間、毎日更新を続けていらっしゃる方も多く見受けられます。


私はよく借り物の言葉を使うことは、以前記事にしておりますが、

タイトルにある「愚直にやり続ける」というのも、その1つです。

私の人生にとっての「師」の一人だと思っている方が、時折この言葉を使うのですが、なかなかに良い言葉だなと。

この「師」は、どうやら私のnoteは読んでなさそう(話題に上がったことがない)なので、あまり意識せずにリスペクトだけは忘れず、言葉をお借りしようかと思います。


「愚直」って、まあまあ強い言葉です

「愚か」と評したくなるほど「実直」って、まさしく世の天才と言われる方をまず想像します。

野球は最近そこまで詳しくはないのですが、プロ野球のレジェンド達が、私にとってはそういうイメージです。

私でも知っている話が、イチローさんの「部活以外で、1日10分の365日素振り」とかですね。そしてそれを「誰もやっていないことだから、自信となる」というのは、スゴイな。と思います。

まあ野球の素人が、このあたりの話を持ち出しても、ツッコミがありそうなので、ここまでとして、

おそらくポイントは「10分の素振り」を1日だけなら、私でも何とかやれるのだろうという部分、だと思います。(質の問題はともかく)

「愚直にやり続ける」という所は、決して「実行することそのもの」の難易度が高いから、出来たり出来なかったり、となるものではなくて、

何があっても、続ける。という強い気持ちが必要なのだと思います。


で、割とすぐやめちゃう私の登場です

こんな記事も書いています。

まあ、何でもやり続けることが苦手、という所でしょうか。

こういうWeb上での書き物だって、今まで文字通り「愚直に続けられた」試しがありません。

コンサルタントになって13年。

ある程度今の仕事に対しては、愚直に続けることを強く意識には持っているので、何があっても「やるべき」と決めたことは、何とか続けていますが、

それの要素に「誰かしらに影響することである」が、かなり大事であり、もっとストレートに言うと、

「それをやめちゃっても、特別誰かに迷惑がかかる訳でもない」
「やめることで、直接的に自分にマイナスが起きない」

こういう時には、あっさりやめちゃうクセがあると自己分析しています。


今までの、すぐやめちゃったことリスト

熱しやすく冷めやすい私の、思いつく限りの遍歴です。
幼少期から思い出してみます。

習い事関係もありますが、それらも自主的に「やりたい」と親に頼んだものなので、起点は自分です。

  • そろばん(3ヶ月くらい) 時代を感じるなあ

  • 習字 硬筆(1年くらい) 結局字は汚いまま

  • 習字 毛筆(5年くらい) これは結構続いた

  • ギター(5年くらい) 高校~大学って感じ 今は弾いてない

  • 車DIY(2年くらい) 前に乗ってた車は、自分でバックカメラ付けたり

  • ポタリング(1年くらい) 今はちょっと意欲が復活しつつあったり

  • ブログ、ツイッターなど(1年~3年) それぞれ休眠状態に

んー、もっと考えれば出てきそうですが、別にこれに興味ある人は世にはいないので、これくらいにしておきます。

あ、そういえば大学で、3つ掛け持ちしていたサークルの2つを、3ヶ月でやめた記憶もあるな…健全なやつです。テニスとギターサークル。

共通しているのは、はじめる時はものスゴイ熱量ではじめるのですが、私なりの何かがあって、やめてしまうのだと思います。

そこに踏み込んで考えて見ることで、何かわかるかもしれません。

この文字を打ち込んでいるタイミングで、この記事の結末は想定できていません。

洗い出ししてみます。


やめてしまう理由とは

一番は「飽き」です。

先程ご紹介しました、過去記事にも一部あるのですが、

割と、はじめたばかりの時に、ものすごいエネルギーが出るタイプで、特に今だと、割とインターネットで何でも調べられちゃうので、

興味が出たことは、寝る間も惜しんで調べ尽くすクセがあるので、上にある車DIYなんかは、一気に技術を吸収した覚えがあります。

まったく知らない世界を知ることは、どうやら大好きなようです。

で、勘違いしちゃうんですよね。
大体はやれることやっちゃったな。と。

そんな訳はないと、本当は解っているのですが、

急激に「知識0→50」になった時の好奇心が満たされる快感と、「知識50→51→52」と積み上げていく部分の、じっくりと本当に中級者への領域に進む部分に、私はあまり面白さを感じにくいのだと自己分析しています。

なので「知識50」になったタイミングで、また別の「知識0→50」にしたいモノが現われた時に、別の「知識0→50」に手を出し始めて、

それで時間が足りなくなって、すでに「知識50」の方からやめていってしまう。というのがいつものパターンです。


これって、結局目指すゴールが無いからかも

仕事とは違って、ゴールイメージを誰かに宣言する必要がありません。

noteでのたとえ話をしてみますが、本当に「毎日投稿を365日とか達成しちゃう人」というのは、よほど文章を書くことが好きな方か、その先にあるゴールイメージがちゃんとある方なのだろうと思います。

ああ、だから私も「仕事においては、ゴールをはっきり設定してから進める」ので、それなりに愚直にやれている部分もあるかも知れません。

私のnoteの運用は、4ヶ月目となりますが、少々更新頻度としては低下の傾向にあります。

まあ、それでも3日に1回くらいは更新したいと思っていますが…

ただ、元々noteでは、ライトな記事を書くこともありますが、それなりのボリューム感を持った記事を書くつもりで進めていました。

なので、そもそも毎日更新は、これからもやるつもりはありません。
無理です。

誤字脱字の細かなチェック?
それも無理です。

私の取り上げる題材となるものは、目新しいものは少ないと思いますが、必ず自分の言葉と見解を入れ込んで記事にしています。

勿論、その道の完全なる専門家ではない話題も取り上げるので、その道のプロには知見の上でも勝ち目がありません。

ただ、コンサルタントを名乗っているものの、それでも元々店舗の販売員出身であり、今も現場に入り込ませて頂きながら仕事をしているつもりですので、

変に聞きかじった、難しい言葉や専門用語などは避けつつ、私の記事で何か生活や仕事において、役に立つことがあったなら、応援のメッセージとして受け止めてもらえれば、という思いだけはあります。

そのスタンスをひとまず、ちょうどnoteをはじめて1年間である、2022年の10月まで崩さず、

基本として月に10本の記事更新をなんとか続ける(今月いきなりギリギリですが)、が私にとっての「愚直」であると思っています。

仕事以外の「愚直にやり続ける」を具体化出来た、という経験をこのnoteで作りたいです。一緒にがんばりましょう。


コジマサトシ/トナリコネクト

いいなと思ったら応援しよう!