【エッセイ】乗り越えられない小さな失敗
あぁ、またやってしまった。
どうして私は学ばないんだろう。
何回同じ間違いをすればわかるんだ。
私は手に持っていたペットボトルを強く握った。
『よく振ってからお飲みください。』
この世に生まれてきて今年で16年目になる私。
外出した時など、自販機やコンビニで飲み物を買う機会は何度もあったはずだ。
その中で私はすぐにヤツの存在に気づけたことがあっただろうか。
私がヤツの存在に気づくことができるのは、だいたい一口以上飲んだ後だ。
マイルールだが、ヤツに気づくのが飲み始めの「あ、なんか味薄いかも」の段階であればセーフだ。気づいてからすぐに振れば、その後に飲む部分は美味しく飲むことができるし、「また気づけなかった」という気持ちもあるが、「早めに気づけてラッキー!」という気持ちにもなれる。
一方で、もう半分以上飲んでしまっていて、「ペットボトルの底に粉がたまっちゃってるな」や「だんだん味が濃くなってきたな」の段階で気づくのはもう手遅れだろう。今振ったところで美味しく飲むことができるのは残りわずか。最悪の場合、振っても意味が全くないなんてこともあるかもしれない。
「もっと早く気づいていれば最後まで美味しく飲めたのに」と、ヤツのために後悔しなければならないのが非常に悔しい。
小さな容器に入っている飲み物の場合、ヤツに気づけなかったショックがより大きくなることは、詳しく説明せずともここまで文章を読んでくださっている方になら共感していただけるだろう。
『よく振ってからお飲みください。』の他にも、日常は小さな失敗や後悔で溢れている。
何か物を床に落とす。
シャーペンの芯を折る。
タイプミスを連発する。
蛇口を捻りすぎる。
靴紐がすぐにほどける。
配信を見逃す。
大谷翔平選手のように何でもできるような人や、自分と同い年なのに自分よりも輝いて見える人でも、上に書いてあるうちのどれか一つはやってしまっているだろう。
「彼らは何度も失敗をし、それを乗り越えて今活躍している」というのはよく聞く話だ。確かにその通りなのだが、彼らにもきっと何度失敗してもなお乗り越えられていない失敗があるはずだ。
自分は劣っている。
なんで自分はこんなについてないんだろう。
そんな気分になったら、活躍している人たちが『よく振ってからお飲みください。』に気づかずに飲み物を飲んで、「うわぁ、もっと早く気づきたかった!」と言っている姿を想像してみてほしい。
「もしかして私も同じラインに立てているのかも?」なんて思えてしまうはずだ。