私は忘れない。
8月になると、幼稚園の園長先生を思い出す。
お元気にされているだろうか。
芯があって、怒ると怖くて、包むような優しさと安心感のある園長先生。
そんな園長先生は戦争体験者で、
毎年この季節になると戦争の話をしてくれた。
まだ幼かった先生が体験したのは太平洋戦争。
普段から自分の名前が書かれた防災頭巾を被り、庭に生えたタンポポなどの茎を食べ、防空壕で生活していた。
「防空頭巾(たぶん当時は防災頭巾を防空頭巾と呼んでいたのだと思う)に名前が書いてあるのは、もしも爆弾に当たって倒れた時に、倒れている人が誰なのかわかるようにするためなのよ」
「タンポポは苦いけど、他に食べるものが家にないからね、食べるしかなかったの」
話の合間に、実際に使っていた防災頭巾をみせてもらった。
それは幼稚園児であった私でも
「これは被っていても無駄ではないか」
と思ってしまうような作り。
だって、布製だもん。
火の粉ぐらいしか防げないよ。
「爆弾が当たったときのために名前を〜」なんて言ったって、当たったら燃えちゃうし…
次々と感想が浮かんでいく。
先生は話を続けた。
東京に住んでいた先生は、疎開のためにたった一人で遠く離れた親戚の家まで行ったこともあるらしい。
「親戚のおうちに向かう途中で、焼け野原になった街も見たの。あれは忘れられない」
幼稚園児だった私は、先生の体験と自分を重ねてみた。
幼い子供は一人で親から離れるだけでも寂しいのに、さらに焼け野原を見ることになるだなんて。
自分は耐えられるだろうか。
無理だ。
ただえさえ一人で不安なのに、
すぐそこに「死の可能性」が見えているのだ。
怖い。
耐えられた先生はすごい。
いや、すごいという感想はきっと間違っている。
先生のように小さな子供がこのような体験をしなければならなかったのがおかしいのだ。
先生はこう話を締めくくった。
「先生からお願いがあります。もし大人の人がね、『戦争します』って言ったら、皆は大きな声で『戦争は反対です!』って言ってね。」
私も、周りの友達も、このお願いに大きく頷いたこと。
ここまでの話は決して作り話ではないということ。
戦争なんかのために亡くなった人がいるということ。
先生のように、助かっても苦しい思いをし続けている人がいるということ。
私は忘れない。
忘れてはいけない。
平和は簡単にもたらせるものではないということは
わかっている。
だけど
【忘れない】
これは平和への大事な一歩になると信じている。