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ごちそうは『塩かけごはん』 (過去の記憶)
みなさんこんにちは、2022年5月9日までには『うつ病の妻』を支えるため、フリーランスになると宣言しているトモです。
今日から、時間に余裕があるときは、1日2本のブログ更新をしていきます。
毎日更新する内容は、現在の挑戦と、失敗と葛藤をテーマに書き、不定期に書くブログは過去の記憶を遡った内容を書かせていただきます。
僕は過去の記憶が『ほとんど』存在しません。
幼少期から『虐待』を受けており、強い記憶だけ残っています。
以前、心理学を学んでおられる講師から、別の人格が作られている、そう伝えられたことがあります。
そして、読書家の義理の姉からは、過去の記憶と真正面から向き合うと、精神が崩壊するから、記憶が消されているかもしれないね。そう言われます。
以前にも書きましたが、ブログを書き始め、自分と向き合っていくうちに、少しづつ、本当に少しづつですが、過去の記憶が浮かんできています。
いま、向き合える時期なのでしょう。
そして、僕はすぐに忘れてしまうので、ブログに書き残し、記録として残します。
けど、過去の記憶の記録は、気分の悪いものや、消化できていないものも多くあるとますが、予めご了承ください。
では、過去の扉を開いていきます
表情が思い出せない『食卓』
幼少期から、引っ越し、転校をするまでの5年間、食卓で日常的に食べていたものを思い出そうとしましたが、全く思い出せません。
母親が料理を作っている姿も、後ろ姿も、料理のいい匂いも、会話も、全く思い出せません。
覚えているのは、夕方6時くらいに、手巻き式の時計が『ボーン・ボーン』と鳴ると、食器棚からお皿を運んだ記憶がかろうじて残っています。
ぐるっと囲めば6人は食事が取れるテーブルだったので、きっと家族で食事を食べていたのでしょう。
けど、どこに誰が座っていたのか、何が並んでいたのか、どんな会話をして、どんな表情で食事を食べていたのか、全く思い出すことができないのです。
唯一思い出せるのは、僕が池で取ってきたタニシと、釣ってきたハエ(川魚)を食べていた、それは覚えています。
記憶にある初めての『外食』
小学校の1〜2年の頃だったと思います。
僕は初めて外食(ファミレス)に連れていってもらえました。しかも、母親と2人っきりで。普段は怖い祖母がいたので、開放感もあり、気持ちが高揚していたことは覚えています。
かなり後で分かりましたが、連れて行ってもらったファミレスは、以前母親が勤めていた場所でした。そして、当時、喫茶店に置いてあった、ポーカーゲームをやっている記憶もセットで覚えているので、どっちが本命だったのかな?そう思う僕は捻くれているのでしょう。
初めて見るメニュー表、見たこともない食べ物が並んでいます。
母親から『好きなものを食べていいよ』そう言ってもらえ、僕が大好きな食べ物を頭に思い浮かべます。
そして、僕はメニューを聞きに来てくれた定員さんに、元気よく伝えたメニューは
『塩かけごはん』
母親が引きつった顔をします。取り繕うように、メニュー表から、何かのメニューを頼んだのでしょう。けど、僕は初めての外食で何を食べたのか覚えていません。
『塩かけごはん』と言ったときの母親の引きつった顔、帰りの車の中で不機嫌にしている母親、そのあとの記憶は僕にはありません。
今でも『塩かけごはん』を食べると、美味しい、そう思います。
けど僕は、日常的に何を食べさせてもらっていたのでしょうか?
幼少期の僕は、表情のない家族の食卓で、『塩かけごはん』を食べさせてもらっていたのかもしれません。。。。
僕がいま思い出せる記憶はここまでです。思い出せるときがきたら、続きを書かせていただきます。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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