【2019年上半期ベスト読書①】私たちがほしいのは力なのか。『パワー』書評 ナオミ・オルダーマン
今年も残り半分とかいう時の流れのはやさに慄くことにも飽きてきた28才の夏。ということでこの半期で読んだ本の中で特によかった本をちょこちょこ紹介します。
私の読書傾向
こういうのが好きな人には自信をもっておすすめできるかと。もしくは今まで興味なかったけど気になっているジャンルがあるという人にもぜひ。
・生活からの逃避としての読書たしなみマン。仕事に使える本なんか死んでも読まねぇからな!・自分と似ている登場人物よりもかけ離れてるほうが心惹かれる・ジャンルとしては海外文学、美術、SF、雑学、連続殺人犯、サイコパスなどなど・ストーリーテリングや世界観が秀逸な作品に興奮する
女性が電撃を操れるようになった世界
ある日を境に女性の胸に電気ウナギのような発電機関が備わり、男女のパワーバランスが逆転しだす…というのがざっくりしたあらすじ。「パワー」という肉体的優位性、社会的権力など多義的なタイトルである。
歴史書という形をとり、「男性が優位だった時代があるらしいよ!現代のみなさんには信じられないかもしれないけど、わかりやすくその歴史を説明しますね」という形ではじまるという意外な出だしから引きまれた。ちゃんと「どこそこから出土した像」みたいのもある。
Huluでドラマ化されエミー賞も獲った『侍女の物語』のマーガレット・アトウッドから影響受けた作者ということでいわゆるフェミニズム文学に入れられがちだけれど、実際に読むとそのカテゴライズは適切ではないと感じた。
なぜかというと、たしかに初めは(女性にとっては)痛快とも思えるシーンがつづく。パワハラを受けそうになった女性が反撃するみたいな。けれども、最終的にはその力を乱用する女性たちにも嫌悪感を読者は抱きはじめる。たとえば、ゲリラ女性から難民キャンプの男性への暴力で屈服させた後の性暴行シーンなどは読むだけでも不快。
そして物語が進むうちに、今の性差別や性暴力の本質的な問題に読者は気づく。
どちらの性が肉体的・社会的な「パワー」を持つのかが問題なのではなく(ちなみに本作の男女逆転の過程は肉体的なパワーがあるとなぜ社会的なパワーも獲得できるのかという仕組みをわかりやすく説明している)、生来もっているパワーを他者への支配に使う傲慢さが問題なのだと。
教祖として崇められる少女アリーにだけ語りかける善とも悪ともつかない存在である「声」が、こう語るシーンが特に印象的だった。
あなたの質問は最初からまちがってるのよ。だれが悪魔で、だれが聖なる母なのか。だれが悪くてだれがよいのか。もういっぽうにリンゴを食べるようにそそのかしたのはだれなのか。だれに力があって、だれが無力なのか。こういう質問はみんなまちがっているの。ものごとはそんなに単純じゃないのよ。どれだけ複雑だと思っても、つねになんでもそれよりずっと複雑なの。
男が悪いのか、女が弱いのか。そういった問いの無意味さ、そして男女の二元論的な問いの危うさがここに指摘される。
さらに、「声」はこう続ける。
どんな人間もひとつのカテゴリーに収めることなんかできないのよ。いいこと、ただの石ころだってほかのどの石ころともちがってるのよ。それなのにどういうわけだか、あなたたちはみんな、わかりやすいレッテルを人に貼って、必要なことはみんなわかった気になってる。でもね、たいていの人はそんなふうには生きられないの、ほんのいっときであってもね。
フェミニズム的な外装をまといながら、本質的にこの作品が訴えかけるのは、互いにレッテルを貼り合い「個人」の尊重が失われることへの危機感である。
男と女。あるいは「年収1千万男性」に「港区女子」。あるいは「キモくて金のないおっさん」や「貧困女子」。性別によるレッテルはとにかく簡単だし煽り煽られ盛り上がる。その結果、男も女もうっすらお互いを憎悪するのが今のTwitterの空気。でもその無数の呟きが本当に求めているのは、支配するためのパワーではなく、「私そのものを見てくれ」ということなのかもしれない。