今日も私は、息子のことがわからないけれど。
私の家族は、3人+2匹家族。
夫は男で、息子は男の子。
白黒の猫はオスで、茶トラの猫はオス。
女は私だけ。
私の家は、男だらけ。
今まではそこまで気にならなかったけれど、小学校2年生にもなると「男の子」感が妙に増してきて、最近「自分だけ女」ということを妙に意識するようになった。
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息子は異様に「銃」が好きだ。100均に行けば必ず銃のオモチャをほしいと言う。ゲームセンターに行けば、必ず「銃で撃ちまくるゲーム」をしたいと言う。小学校のお祭りでは、「射的コーナー」でイキイキと働いていた。
家のリビングで、ロブロックスのゲームをしているときなんかも、頻繁に銃の音が聞こえてくる。
私は銃声が苦手。あーあ、野蛮だなぁ。やめてくれないかな。でも好きなんだもんなぁ。なんであんなに銃が好きなんだろう。
息子と父ちゃんが、ゲームセンターで楽しそうにバンバン敵を撃ちまくって盛り上がっている。その様子を横でひっそり見ながら、なんだか「男と女の壁」を感じた。女でも銃が好きな人はいるのかもしれないけれど。
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夜ごはんのとき、「今日は学校でなんかおもしろいことあった?」と聞いてみる。
「いつもどおり!」と返事が返ってくる。
「今日は学校で何したの?」と聞いてみる。
「プリントしてー、集会してー、ねんどした!」と返事が返ってくる。
息子の返事は、いつもシンプルだ。
だから、学校での様子がいまいちわからない。同学年の女の子ママたちと、たまにランチをするときがあるのだけれど、そのときに「そんなことがあったの!?」と驚くことがよくある。
「今日ねー、◯◯したの!それでね〜」
「今日ねー、◯◯ちゃんと遊んでね、それでね〜こんなことがあってね〜・・・」
みたいな会話がしたいなと思う。
女子はおしゃべりが好きなのだ。
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家族でショッピングモールに行ったとき、ガンダムのプラモデルが目に止まった。
父ちゃんが「なつかし〜!」と言ったことをきっかけに、息子も人生はじめてのプラモデルを作ってみよう、ということになった。
結果、めちゃくちゃハマっていた。
ちょっぴり手伝いながら完成したガンダムを眺めたり動かしたりしながら、「かっこいい〜」とキラキラした目を向けている。
完成してから1ヶ月は経っただろうか。今だに眺めたり動かしたりして遊んでいる。
ガンダムが「かっこいい〜」という感覚のない私には、その気持ちはわかってあげられない。
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すごく久しぶりに、家族3人で近所の温泉に行った。
前に温泉に行ったときは、息子はまだ幼稚園だった。小学校になったらもう女湯には入れないらしい。
女湯と男湯の分かれ道でバイバイをしたとき、いよいよ本格的に「男と女の壁」を感じた。
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男の子っぽい、とか
女の子っぽい、とか
そんなの私の頭の中でのイメージにすぎないのだけれど。
なんだか最近妙に、「私は女で、息子は男なんだなぁ」と感じる場面が増えている。
男の子ってよくわからない。
「いいな」と思うものがちがう。
「かっこいいな」と思うものがちがう。
「おもしろいな」と思うものがちがう。
なんかさみしいな。
そう感じていたので、「母ちゃん、みてみて!」と目をキラキラさせながら私に共感を求める息子に調子を合わせてみる。
「うん!それいいね〜!」
「おお!かっこいいね〜!」
「ほんまや!おもしろいね〜!」
できるだけ気持ちを込めて共感してみるけれど、本当はそう思っていないので、だんだんしんどくなってくる。
家の中ではできるだけ、心と言葉を一致させておきたいよなぁと思って、演技するのはやめた。
「おお。そういうのが好きなんや。母ちゃんはちょっと怖いなぁ。」
「ほぉ。そういうのをかっこいいと思うんやねぇ。」
「おお。今それにハマってるんやねぇ。」
そんな感じで返事を返すようになって、楽になった。子供だって、演技をしてまで共感してほしいなんて思っていないような気もしたのだ。共感し合えることは、そりゃうれしいし楽しいけれど。
男女に限らず、男同士でも女同士でも、
大人と子供に限らず
大人同士でも子供同士でも
「いいな」と思うものがちがう。
「かっこいいな」と思うものがちがう。
「おもしろいな」と思うものがちがう。
自分の周りにいてくれる人たちと
いつも共感し合えるわけではない。
でも、「そうなんだ!」とただ受け入れることはできる。そして、「分かりたい」と興味を持つことはできる。
「ねえねえ!りんりんって何でそんなに銃が好きなの?どんなところが好き?」
「うーん・・・気持ちいいねん!」
「そうなんや・・・。」
今日も私の頭に「ハテナ」が浮かぶ。
今日も私は、息子のことがわからない。
でも息子の感じることを、わからないなりに、できるだけたくさん知りたいなと思う。わかりたいなとも思う。
だから、たくさん話したいと思う。
だから、たくさん聞いてみたいと思う。
今日も私は息子のことがわからないけれど、
だからこそ今日もコツコツと、
会話を積み重ねるとしよう。
息子の世界をわかろうとすることで、私の世界もグンッと広がるような気だってする。
自分だけでは広がらないその広がりが、人と人とが関わる醍醐味なのかもしれないなと思うと、「わからない」ということが「おもしろい」なんて思えてくる今日このごろだ。