茹でガエル
私の今の生活の楽しみの1つに、本を読むことがある。テントの中、ランタンを灯し、眠くなるまで文字を追う。この時間が、1日の最後に待つ至福の時だ。
しかし今日は、本を開く代わりに、パソコンを開いている。こうしてnoteに、高ぶる感情を書き留めるためだ。「感情の保存」こそが日記の醍醐味だ。
といっても、私はどんな感情を書き留めたいのか、明確な言葉が出てこない。ただ、これが肯定的な感情であることは確かだ。
台風が過ぎ去って、空には満月が浮かぶ。夜空はその分明るいが、星はしっかりと目でとらえることができる。
私はビックルを飲んだ。
「うまい.....」
普段は、水かお茶しか飲まない。乳酸菌だかなんだか知らないけれど、その甘さに感情が掻き立てられるのが分かる。
途端に、
「私はいま幸せだ」
と思った。
家も、友達も、大切な人も、そばにいないけれど、自分を大切にできてる。生きることがすごく面白い。
なぜかそんなことを、ビックルが気づかせてくれた。
この日記を読んでくれている人には、筋のないこんな文章に首をかしげるかもしれない。
けれど本来、人の感情なんて、きっとぐちゃぐちゃなんだ。
それを書き出すことを、紙だけは許してくれる。紙は嘘をつかない。だから、私も嘘をつかずにいられる。
今日は、渓流のそばでイカを焼いた。もちろん自分で捕まえたものではなく、スーパーで半額シールの貼られたもの。
気づいたら、真っ暗になってた。灯りのない場所だったから、見渡す限り、真っ暗。
「怖い」と思う前に、「美しい」と思った。
人が誰一人いない場所。絶対にこない場所。灯りがない場所。川のせせらぎが聞こえる場所。虫のさえずる場所。
不思議だ。私たちは「ゆでガエル」と同じじゃないか。
真っ暗の森の中には、怖くて誰も入ろうと思わないけれど、明るいうちに入ってしまえば、暗くなっても怖くない。むしろ、そこに美しさを見出せる。
そんなことを思った矢先、原付のリアボックスに小さなカエルがよじのぼってきた。それはまるで、
「俺は生きてるぞ」
「茹で上がってないぞ」
とわざわざ伝えに来てくれたような、不思議なタイミングだった。
そう、私たちは生きているのだ。