まじめにやれ とは

どうも始めまして.ともやです.

普段は北海道で子供達向けのスポーツクラブを経営しています.

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ここでは日々の運動で疑問に感じたことを書き記して,みんなと共有したり意見交換したり,正解を求めず,追求して,価値観を深めることをしたいと思います.

というより,自分の指導の価値観を文字にするためにここに記します.

なので,日々運動指導していて疑問に思ったこと書くのでなんとなく流しみして,自分ならどう考えるか,どう対応するか考えてみてください.



そんで,きょうは「まじめにやれ」というタイトル


スポーツの指導中に聞こえるコーチからの声

「まじめにやれ」

このコーチングはどんな意味を持つのか.


「まじめに」(真面目)とは.

1 うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「真面目な顔」「真面目に話をする」
2 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「真面目な人柄」「真面目に暮らす」

Goo辞書引用


上記の意味を頭におきつつ....

コーチが子どもたちに真面目にやれと言う時,果たしてどんな気持ちなのか.

今日疑問に思ったシーンを例に考える.


それは,よくある練習の最初の「ブラジル体操」と言われるもの.

おそらく3〜4年生で列になって「ブラジル体操」をやっていた.

慣れていないのか,声に自信がないように聞こえ.列もバラバラ.


と思ってみていたその瞬間.....


「おら!真面目にやれよ」

「列もバラバラで何回言えばわかるんだお前ら」

「汚い列でやっててなんの意味があるんだ!」



よくある,一昔前の声かけかな?

その後補足で子どもたちに説明をするのか聞いていたが...

ブラジル体操を「真面目に」「揃えて」やる理由は言わない.

果たしてこのコーチの意図はなんだったのだろうかと思ったので共有.


ちなみに毎回自分の意見を書きますが,誹謗中傷や否定的な意見は受け付けません.


「真面目に」やる

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なぜ子どもたちは「真面目に」取り組む必要があるのか.

僕はよく子どもたちに言う基準がある.


君の行為は「人に迷惑をかけていることではないか?」


僕が子どもたちに注意?指導?をする基準はそれしかない.

「ひとに迷惑をかけていないか」


「真面目に直向きに」やる理由はここにしかないと思う.


子どもたちに考えてもらうのは

①「真面目に」プレーをしないとどうなるのか.

②仲間は「真面目に」プレーしていない人を見るとどう感じるか



①「真面目に」プレーをしないとどうなるのか

本人が真面目にやらないとどうなるのか.

真面目にやっている人の邪魔になるのではないか.

本気でやっている人と一緒にプレーした時,相手は本気で上手くなりたい・楽しみたいと思ってプレーしているのに,相手にとって「迷惑」じゃないか.

子どもたちに問いかけるのは,以上のこと.

誰かの本気を阻害すること=他人に迷惑をかける

そんなことになるのではないか.

このことは自分にとっても,仲間にとってもいいことなのか.

まずはそこを考えたい.


②仲間は「真面目に」プレーしていない人を見るとどう感じるか

自分のチームに「真面目に」本気でプレーしていない仲間がいるとどう感じるか.

子どもたちから聞こえる声は

「むかつく」「怒りたくなる」「一緒にやりたくない」

以上のようなことばかり.

果たしてここにポジティブな感情はあるか.

誰かの気持ちを阻害することにしかなっていない.

つまり「人の迷惑」になっているのだ



結論

結局「真面目に」やらないと「誰かに迷惑をかける」ネガティブなことしかない.

スポーツ以外でもそれは同様.

もう一度言うが僕が子どもたちに指導するのは

「人に迷惑をかけることをするとき」だけだ.

やってほしいプレーができないから,コーチの言うことを聞かないから,

など,そんなくだらないことでは怒ったり指導したりしない.



「スポーツ」を「楽しむ」には.

プレーしている人全員が「真面目に」その場を「本気で」プレーするしかないと思う.

「本気で楽しむには」「真面目に」取り組むしかない.



最初に戻るが,例に出したコーチは果たして子どもたちになにを伝えたかったのか.

自分の目指すかっこいい見た目を求め親にやっている感を出したいのか.

きれいに並べて,声を張り上げるやり方が「運動」が上手くなる手段なのか.

子どもたちに指導に入るからには,大人として「人としての在り方」を理解しなくてはいけないのではないのではないか.

そう思ったのです.

注意するなら,注意した真髄を(人としての在り方を基準に)説明するべきではないか.

スポーツ(運動)をうまくなりたいなら「人として」成長できる環境が必要なのではないかと思う.


そんで,果たして子どもたちに「ブラジル体操」をきれいに並びカッコよく声を出して,怒られながらやる理由はなんだろうか.

協調性とかストレッチの意味とかあるとは思うけど.

現代の子どもたちにとって本当にその指導が必要なのか,改めて考えてほしい.



「真面目にやれ」


自分が指導者なら,この意味をどう理解しますか.



「真面目にやらなきゃない理由ってなーに?」

子供にそう聞かれたらなんて答えますか.


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