人間失格、ハリネズミ合格
今めかしい美男子がほくそ笑むブックカバーの
「人間失格」が新刊のコーナに並んでいた。
私がこの本から感じ取りたかったのは
太宰治の冷たくて無機質な人間味であった。
だから、新刊ではなく中古の真っ黒な
「人間失格」を手に取った。
太宰治の「遺書」と呼ばれる作品である。
彼の興隆や哀愁を知らずに
知名度だけを手綱にしてやってきた
通りすがりの私が「遺書」を読み
おこがましくも感想まで持つことは
「訳知り顔の野次馬」のようにさえ思われた。
しかし読み進めると罪悪感に似た気持ちは
消え失せ、自らの少年時代に思いを馳せた。
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私は少年時代、勉強はできる人間だった。
テストや通知表でクラス一位やらの
高評価をもらっても冷めきっていて、
そんなことは当たり前だと思った。
それが道化の才能が乏しい私が認められる
数少ない方法だと知っていたからである。
グループのリーダーや代表には
いつも立候補したり推薦されたりした。
同級生には「リーダーシップがある」
と言われていた気もするが
役職のない私が、それ以外の方法で居場所を
見出せる自信が全くなかったからである。
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この小説の主人公は、本当の自分は
人に認められない、さらけ出してはならぬ
存在だと自覚していた。
私はこのようにして文章を書くことを
ひとつの気分転換にしているが、
どうしても世間体を気にしてしまう。
「あの人に見られたら困る」と。
言論の自由は「責任」と対に存在する。
好きな言葉を好きなだけ使いたい。
何をするにも責任がつきまとう
社会人としては「失格」かもしれないが
自分だけでも合格だと思えたらそれで良い。